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最初に言ったのは、俺の方だ。
「幼馴染が大事なんだ。」
テーブル越しに、彼女は一瞬だけ驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「へえ。」
その時はまだ、冗談みたいな空気だった。
「それでもいいなら。」
言葉を選んだつもりはない。
ただ、嘘をつきたくなかった。
彼女は少し考えてから頷いた。
「平気だよ。」
あの頷きに、迷いはなかった。
だから付き合った。
条件は提示した。
彼女は受け入れた。
それなら、対等だと思った。
ちゃんと好きになろうと思った。
一緒に映画を観て、帰り道でくだらない話をして、課題の締切に焦る彼女を手伝って。
隣にいる時間は自然だった。
彼女の笑い方も、怒るときに少し早口になる癖も、嫌いじゃなかった。
たぶん、好きだった。
でも。
ある日、彼女は言った。
「悠くんってさ。」
声は静かだった。
「私といる時も、半分どこか別の場所にいるよね。」
その瞬間、否定できなかった。
「この前もさ、湊くんから連絡きたら、すぐ返してた。」
「普通だろ。」
そう言ったけど、彼女の顔を見て気づいた。
普通じゃないのかもしれない。
少なくとも、彼女にとっては。
「私と幼馴染、どっちが大事?」
その問いは、責めるためじゃなかった。
確認だった。
安心したかっただけだ。
分かってる。
好きな人が、自分を“特別”にしないと分かっていたら。
最初は平気でも、だんだん苦しくなる。
俺は答えた。
「比べるものじゃない。」
彼女の目が、ほんの少しだけ曇る。
「それが嫌なの。」
「分かってる。」
本当に分かっていた。
彼女は間違っていない。
俺が条件を出したからといって、
感情まで制御できるわけじゃない。
好きになればなるほど、
“それでもいい”は崩れていく。
「悠くんはさ。」
彼女はゆっくり言った。
「優しいけど、覚悟がないよね。」
「……ごめん。」
その謝罪は本心だった。
彼女を傷つけたことも、
分かっていた。
でも。
「変われない。」
その一言が、喉まで出かかった。
飲み込んだ。
代わりに沈黙が落ちた。
彼女は少しだけ笑った。
「最初に言ってくれたのにね。」
「私が、甘く見てただけだ。」
違う。
甘かったのは、たぶん俺も同じだ。
それでもうまくやれると思っていた。
彼女は立ち上がる。
「ちゃんと好きだったよ。」
その言葉が、一番重かった。
俺も、ちゃんと好きだった。
でも。
選ばなかった。
遥花の家の前で、少しだけ立ち止まる。
チャイムを押す前に、考える。
彼女の言葉。
“優しいけど覚悟がない”。
本当にそうかもしれない。
それでも、俺は順位をつけられない。
湊が出てくる。
「遅い。」
「ちょっとな。」
中に入ると、遥花が振り返る。
「おかえり。」
その声に、迷いはない。
ここでは、何も問われない。
比べられない。
でも。
それは甘えかもしれない。
湊と遥花が並んで座る。
無意識の距離の近さ。
選び合っている人間の空気。
俺はそれを見て、羨ましいとは思わない。
ただ、理解する。
ああ。
彼女は、あの場所が欲しかったんだ。
“選ばれる側”の確信。
俺は、それをあげられなかった。
「悠、なんかあった?」
遥花の声で現実に戻る。
湊も静かに見ている。
「別れた。」
湊が「あー」と小さく言う。
遥花は少し困ったように笑う。
「また同じ理由?」
「うん。」
笑い合う。
軽い。
でも。
彼女の顔が、一瞬だけ浮かぶ。
悪者はいない。
俺も、彼女も。
ただ、欲しいものが違った。
今は三人でいられればいい。
そう思う自分は、きっと変わらない。
それでも。
ここで三人で笑っていられる今を、
失うくらいなら。
窓の外は、夕暮れ。
オレンジ色の光が部屋に差し込む。
湊と遥花が並んでいる。
その少し隣に、俺がいる。
距離はある。
でも、孤独じゃない。
この時間の一部でいられるなら、
今は、それで十分だ。




