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鍋の蓋を開けると、白い湯気がふわりと立ち上がる。
特別な具材は入っていない。
白菜、きのこ、鶏団子。
いつもの味。
でも今日は、包丁を握る手が少しだけ丁寧だった。
「鍋の時期にはちょっと早くないですか。」
湊が鍋を覗き込む。
「文句あるなら帰る?」
「帰りません。」
即答。
そのテンポが、少しだけ安心する。
悠はビールを開けながら二人を見る。
「で?内定男の気分はどうなん?」
軽い口調。
でも目はちゃんと湊を見ている。
湊は箸を持ったまま少し考える。
「……怖い。」
遥花の手が一瞬止まる。
湊は続ける。
「嬉しいのは嬉しいけどさ。」
「終わったってより、始まるって感じの方が強い。」
悠が鼻で笑う。
「急に大人ぶるな。」
「ぶってねえよ。」
すぐ返す。
でも声は強くない。
「普通に怖いわ。」
湊は視線を落とす。
「ちゃんとやれるか分からんし。」
「やれるかどうかなんて誰も分からんやろ。」
悠はさらっと言う。
「俺だって院行くけど、不安ゼロなわけないし。」
湊が顔を上げる。
「悠もか。」
「当たり前やろ。」
同い年の目。
比べない。
見下さない。
ただ横にいる目。
「お前だけ急に遠く行くわけちゃうし。」
湊は少し息を吐く。
「遠く行く気はないけどな。」
「行けるもんなら行ってみろ。」
笑い合う。
その笑いが、祝福の代わりみたいに広がる。
遥花は黙って二人を見ている。
この空気が好きだと思う。
競わない。
張り合わない。
でも認め合っている。
食事が進み、ビールが空く。
話題はいつの間にか大学の教授の愚痴に変わる。
湊の笑い声が少し大きい。
それだけで、今日の意味がある。
食器を片付ける音。
悠がソファに寝転がる。
「で、社会人さん。」
湊を見る。
「変わるなよ。」
冗談みたいに。
でも、目は真っ直ぐ。
湊は笑う。
「変わらんよ。」
笑い合う。
その空気が、もう答え。
悠が立ち上がる。
「うし、俺帰るわ。」
「もう?」
「邪魔だろ。」
ニヤッと笑う。
玄関で振り返り二人を見る。
一瞬、間。
「並んだな。」
それだけ。
ドアが閉まる。
湊がソファに戻り、遥花も隣に。
距離が、自然に近い。
「……あの時。」
湊がぽつり。
「余裕なくてすみませんでした。」
遥花は横を見る。
「どの時?」
「削られてた時。」
苦笑い。
「俺、全然平気なフリしてたのに。」
「バレてたよ。」
湊が小さく笑う。
「やっぱり。」
「会いたかったです。」
素直で飾らない声。
遥花は少しだけ肩を寄せる。
「私も。」
今日は、言える。
責めない。
重くしない。
ただ事実。
湊の手がそっと伸びる。
指が絡む。
強くない。
でも、迷いがない。
鍋の匂いがまだ残る部屋で。
派手じゃない。
でも。
ちゃんと沁みる。




