19
扉一枚向こうに彼女がいるだけで
ほとんど眠れなかった。
まだ恋人じゃない。
手を出すなんて論外だと分かっている。
頭では、ちゃんと。
でも、現実はそんなにきれいじゃない。
同じ家にいて、同じ夜を越して
何もしないまま朝を迎えた自分に
少しだけ、もやっとする。
男としてどうなんだ、なんて、
今さらなプライドが顔を出す。
抱きしめた体温が腕に残っている。
近づいたら、きっとまた抱きしめたくなる。
その先を想像しなかったわけじゃない。
でも。
あの夜の彼女は、震えていた。
その延長線上に自分の衝動を置くのは違う。
嫌われたくない。
でも、それ以上に
もう一度でも怖い思いをさせたくなかった。
眠れなかったのは、
理性が勝ったからじゃない。
自信がなかったからだ。
大学に着くと、昼休みのざわめきが広がっていた。
「次の講義サボる?」
「出席だけ出るわ。」
笑い声。コンビニ袋の音。
いつも通りの時間。
ここでは、今日の失敗も、
明日の予定も、
どこか余白の中にある。
昨夜は違った。
あの時間は、止まらなかった。
選ばないといけなかった。
怖さも、距離も、体温も。
遥花の時間は、そうやって進む。
仕事があって、
客がいて、
責任があって。
大学の時間は、まだ余裕がある。
どちらが良い悪いじゃなくて、
速さが違う。
質が違う。
それを、昨日初めてはっきり感じた。
今、自分がいるのはこっちだ。
「……同じ服。」
「帰ってない。」
「…何もしてないよな。」
「してへん。」
「即答すぎ。」
「してへんて。」
ムキになって答えると悠が笑う。
「抱きしめたくらいか。」
「………なんで知ってんの。」
「顔。」
最悪だ。
悠がにやにやする。
「理性あってよかったな。」
「理性ちゃう。
嫌われたくなかっただけや。」
悠が一瞬だけ真顔になる。
でも、すぐ肩をすくめる。
「あー、青春。」
「うるさい。」
悠が吹き出す。
「自信ないんだろ。」
悠が立ち上がる。
「まあでも、お前はお前なんだから
今は大学生らしくしとけ。」
そう言って歩き出す。
その後ろ姿を見ながら、
少しだけ肩の力が抜ける。
昨夜の時間も本当。
今この時間も本当。
どっちかに完全に行ったわけじゃない。
まだ自分は、こっち側だ。
「昼何食う?」
悠が振り返る。
「ラーメン。」
即答する自分がいる。
昨日の夜と、
今日の昼が、
同時に続いている。
それでいいのかもしれない。




