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悠のスマホに映った、笑顔の女の人。
柔らかいのに、揺れない目。
「この人、誰。」
俺が聞くと、悠は何でもない顔で言う。
「幼馴染。」
それだけ。
でもその言い方に、長い時間が乗ってるのは分かった。
俺は画面をもう一度見る。
「紹介して。」
悠は眉を寄せる。
「なんで。」
「会いたい。」
悠は少しだけ目を細める。
「…遊びなら連れてかない。」
俺は即答する。
「遊びちゃう。」
空気が止まる。
嘘を測る目で、俺を見る。
数秒の沈黙のあと、悠は小さく息を吐く。
「……重いな。」
悠はそれ以上何も言わなかった。
でも、拒否もしなかった。
ドアが開いた瞬間、まず思ったのは「静かだ」だった。
声が大きいわけでもない。
愛想がいいわけでもない。
でも、視線が逃げない。
部屋に通される。
二階の角部屋。
白い壁。少し古い床。
きれいに整っているが、整えすぎていない。
生活がある。
湊は靴を揃え、部屋の奥を一瞬だけ見る。
観察しているのは広さじゃない。
“温度”だ。
キッチンからコーヒーの匂いがする。
「砂糖いる?」
振り向かずに聞く声。
悠が勝手に冷蔵庫を開ける。
「そこ違うよ。上段。」
怒らない。
でも遠慮もしない。
距離が近いのに、甘えていない。
ほぼ家族みたい、と言われていた。
でも依存していない。
一人で立っている人間の空気。
テーブルの端に、付箋だらけの資料が積まれている。
社会人だ。
ちゃんと戦っている。
笑うと柔らかい。
でも目は揺れない。
そのとき、衝動が沈んだ。
代わりに、静かな確信が落ちる。
この人は、強い。
強い人を、軽い気持ちで好きにはならない。
湊はレポートを開いたまま、何も書いていなかった。
見ていたのは、遥花の手元だ。
グラスを置く音。
椅子を引く音。
すべてが落ち着いている。
「よく来るんですか。」
確認だ。
悠がどこまで内側にいるのか。
「悠はね。」
“悠は”。
その一語で、境界線が見える。
湊は腹の奥で、はっきりと理解する。
衝動じゃない。
この人の隣に立ちたい。
そのために動く。
帰り際。
「また来てもいいですか。」
悠ではなく、自分が言う。
遥花は少し驚き、それから笑う。
「どうぞ。」
軽い返事。
だが湊にとっては重い。
エレベーターを待ちながら、湊はようやく言葉にする。
「俺、軽い気持ちちゃうで。」
悠は隣で無言のまま歩く。
「結婚とか、今すぐ言う気はない。」
一拍置いて、続ける。
「でもな、逃げへん。」
湊は衝動を自覚している。
それを理性で固めている。
「本気なんだろ。」
俺は頷く。
「俺は昔から、あの場所の内側にいる。」
分かっている。
絶対的な特別。
湊は即座に否定しない。
「せやからこそや。」
「奪わん。」
「でも、横には立つ。」
その言葉に嘘はない。
悠は数秒、目を逸らさずに湊を見る。
「泣かせるな。」
「泣かせへん。」
「俺が止める。」
「止められる前に守る。」
夜は静かだ。
二階の角部屋に灯りがつく。
湊はそれを見上げる。
衝動は、もうない。
あるのは決意だけだ。
あの人の隣に立つ。
時間がかかってもいい。
奪わない。
でも、譲らない。
最初から、覚悟だけは決まっている。




