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「ただいま」
玄関のドアが閉まる音。
キッチンから顔を出す。
「おかえり。本買ってきたの?」
湊が紙袋を掲げる。
「名前辞典です」
「本気!」
思わずくすくす笑う。
「まだ気が早いよ?」
「早くないです」
リビングのテーブルに、分厚い本がどん、と置かれる。
存在感すごい。
ページをめくる音がやけに真剣。
「どんな名前がいいですか?」
「んー……あんまり考えてなかったな」
正直な気持ち。
まだ実感がふわふわしてる。
「湊は?」
湊の指が一瞬止まる。
少しだけ照れた顔。
「遥花さんにちなんだ名前が良いです」
「ええ、私?」
「だって」
静かな声。
「俺の人生、遥花さんから広がったので」
心臓が跳ねる。
「な、なにそれ」
「事実です」
さらっと言うのずるい。
私は本を覗き込む。
「花がつく名前、とか?」
「それも考えました」
ページをめくる。
“花”“春”“遥”“陽”
いろんな字が並ぶ。
「でも、あんまり直球すぎるのもどうかと」
「じゃあ“遥”をどこかに入れるとか?」
「いいですね」
本気でメモし始める。
ちょっと笑ってしまう。
「湊も入れたら?」
「俺はいいです」
「なんで」
「俺はもう充分、ここにいます」
そう言って、私のお腹にそっと触れる。
あったかい手。
まだ目立たないけど、そこにある未来。
「男の子でも女の子でも」
湊がぽつり。
「呼んだときに、あったかい気持ちになる名前がいいです」
じんわりくる。
「湊、もう父親みたい」
「父親ですから」
当たり前みたいに言う。
本をめくる音。
外は少しずつ暗くなる。
「十二月生まれだよね」
「はい」
「冬っぽい名前もいいかも」
「いいですね」
静かな時間。
でも、胸はあたたかい。
「……楽しみだね」
私が言うと、湊がゆっくり頷く。
「はい」
その声が、少しだけ柔らかい。
ページの上に、未来が並んでいる。
どれもまだ仮。
でも。
どれも、愛しい。




