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玄関のチャイムを押す指が、少し震えている。
通い慣れた道なのに、今日は妙に遠く感じた。
「いらっしゃい」
母の声はいつも通りで、それだけで少し安心する。
リビングに通されて、父がテレビを消す。
「改まってどうした?」
湊が隣に座る。
いつもより少しだけ姿勢がいい。
その横顔を見て、胸がきゅっとなる。
深呼吸。
「……あのね」
喉が渇く。
でも、言わなきゃ。
「妊娠、しました」
一瞬、時間が止まる。
母の目が大きくなる。
「まあ」
父が目をぱちぱちさせる。
「……おじいちゃんになるのか?」
声がちょっと裏返っている。
そわそわしてるのが丸わかりで
思わず笑いそうになる。
「うん」
母がすぐに身を乗り出す。
「体調は? 仕事大丈夫なの?」
矢継ぎ早の質問。
「上司も気遣ってくれてるから大丈夫だよ」
つわりはあるけど、言い切る。
安心させたい。
父が湊を見る。
「湊くん、おめでとう」
その言葉に、湊が少し目を伏せる。
「ありがとう、ございます」
声が、ほんの少しだけ震えている。
私はその横顔を見て、胸がいっぱいになる。
母が私の手を取る。
「予定日はいつなの?」
「12月初めくらいみたい」
「まあまあ、じゃあ夏の妊婦ね」
母が笑う。
「夏の妊婦は大変よぉ、汗だくなんだから」
「そうなの?」
くすくす笑う。
想像がつかない。
まだ、お腹も目立たないし。
でも、確かにここにいる。
母が私のお腹をそっと撫でる。
「無理しちゃだめよ」
その手が、あったかい。
父が急に立ち上がる。
「俺、何したらいい?」
「まだ早いわよ」
思わず笑う。
「いやでもな」
父は落ち着かない様子で、湊を見る。
「困ったら言えよ」
「はい」
湊がまっすぐ頷く。
その姿を見て、胸の奥がじんわり熱くなる。
娘として守られてきた場所。
今日、私はここに“母になる人”として座っている。
不思議で、少し怖くて。
でも。
あたたかい。
帰り道、手を繋ぐ。
「よかったですね」
湊が小さく言う。
「うん」
涙が出そうで、空を見上げる。
まだ何も始まっていないようで、
でも、確実に始まっている。
十二月。
その日まで、もう少し。
私はそっと、お腹に手を当てた。




