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「久しぶりやな」
父が新聞を畳みながら言う。
「そんなに空いてないです」
「顔見せる頻度が減ったな」
隣を見る。
遥花さんが少しだけ背筋を伸ばしている。
「いらっしゃい、遥花ちゃん」
母はいつも通り、やわらかい。
「お邪魔します」
その声を聞くだけで、少し安心する。
いつもの光景。
でも今日は、少しだけ違う。
言わなきゃ。
喉が乾く。
「……あの」
父が顔を上げる。
母も、こちらを見る。
遥花さんが、そっと俺の袖を掴む。
小さな力。
でも、それで腹が決まる。
「安定期、入りました」
一瞬、空気が止まる。
母が瞬きをする。
父が、ゆっくりと背筋を伸ばす。
「……それは」
母の声が少し震える。
「おめでとう」
父が、深く頷く。
「そうか」
それだけ。
でも、重い。
遥花さんが、丁寧に頭を下げる。
「まだ先は長いんですけど……」
母が立ち上がる。
そのまま、遥花さんの手を取る。
「ありがとう」
静かな声。
「大事にしてくれて」
胸が熱くなる。
父がこちらを見る。
「覚悟はできとるんやろな」
その言い方に、昔を思い出す。
テスト前、部活、進路。
いつもこうだった。
一瞬だけ、息子に戻る。
でも、今は違う。
「……はい」
まっすぐ答える。
父が小さく頷く。
「ならええ」
それだけ。
大袈裟な言葉はない。
でも、認められた気がした。
母はもう涙目だ。
「私、おばあちゃん?」
「早いです」
思わず言う。
母が笑う。
「嬉しいのよ」
遥花さんも、少し泣いている。
「まだ何も分からないことだらけで……」
母が優しく言う。
「分からなくて当たり前よ」
父も続ける。
「分からんから、親になるんや」
その言葉が、妙に刺さる。
帰り道。
空気が少し軽い。
「緊張した」
遥花さんが小さく言う。
「俺もです」
正直に。
「父親になる覚悟はあるんかって顔してた」
「あれは毎回です」
でも。
今日の“はい”は、今までと違った。
息子としての返事じゃない。
父になる側の返事。
「実感、湧いた?」
遥花さんが聞く。
少し考える。
「……ちょっと」
ほんの少しだけ。
背中が伸びた気がする。
「俺、ちゃんと守りますから」
口に出してから、少し照れる。
遥花さんが笑う。
「一緒にね」
実家の灯りが、少し遠くなる。
息子として育った場所に
父として帰る日が来るなんて。
まだ実感は半分。
でも。
確かに、始まっている。
湊は、隣の手をそっと握り直した。




