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午前中、三回目。
スマホの画面を見て、何も来ていないことを確認する。
――仕事しろ。
分かってる。
でも。
朝の顔色、悪かった。
駅で別れるときも、少しふらついてた。
「橘さん」
「はい」
顔を上げると、七瀬がじっと見ている。
「最近、変じゃないですか?」
「何がですか」
「落ち着きなさすぎです」
鷲尾が横から笑う。
「こないだも有給とってたしな」
「珍しいよな、お前が平日に休むの」
言い返そうとした瞬間、スマホが震える。
反射的に視線が落ちる。
《休憩、今日はちょっと気持ち悪いかも》
喉が鳴る。
すぐに返信を打つ。
《無理しないでください。
しんどかったら帰ってください》
顔を上げると、二人がにやにやしている。
「やっぱり」
七瀬が腕を組む。
「怪しい」
「まさか……」
鷲尾が芝居がかった声を出す。
「家庭問題?」
「違います」
声が少し強くなる。
二人が目を丸くする。
やばい。
落ち着け。
「……体調です」
「誰の?」
七瀬が食い下がる。
「奥さん」
言った瞬間、胸がざわつく。
秘密。
まだ誰にも言っていない。
でも、嘘はつけない。
鷲尾が少し真顔になる。
「大丈夫なのか?」
「まだ分かりません」
それだけ。
それ以上は言わない。
言えない。
でも、顔に出ているのかもしれない。
分かってる。
でも。
もし、何かあったら。
電話に出られなかったら。
一人で倒れたら。
想像が勝手に暴走する。
「落ち着け」
小さく呟く。
自分に。
鷲尾が椅子を引く。
「今日は定時で帰れ、顔に書いてあるぞ」
心配って。
そんなに分かりやすいか。
深く息を吐く。
「……すみません」
「謝るな」
七瀬がふっと笑う。
「ちゃんと大事にしてるのは伝わりました」
その一言で、胸が少し軽くなる。
大事。
当たり前だ。
二人分だ。
仕事に視線を戻す。
キーボードを打つ。
数字を追う。
でも、頭の片隅にはずっと、遥花の顔。
昼休み。
やっと電話をかける。
ワンコールで出た。
「もしもし」
少し掠れた声。
「しんどいですか」
「うん、ちょっと」
喉が締まる。
「帰れますか」
「まだ大丈夫」
その“まだ”が怖い。
「無理せんでください」
つい、強くなる。
電話の向こうで、小さく笑う。
「過保護」
「否定しません」
声が聞けただけで、多少安心する。
「仕事戻ります」
「うん、がんばって」
切れたあと、しばらく画面を見つめる。
守りたい。
でも、守れることなんて限られてる。
できるのは、隣にいることだけ。
時計を見る。
今日は、早く帰る。
絶対、定時で帰る。
キーボードに手を置く。
「橘さん」
七瀬の声。
「定時ダッシュ、準備しときますね」
「……助かります」
顔が、少し緩む。
守るって、孤独じゃないのかもしれない。
そう思いながら、湊は必死に仕事を片付けた。




