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数日、何も言わなかった。
言わなかったけど、二人とも分かってた。
朝、顔色を確認する癖がついた。
食卓で、さりげなく様子を見る。
遥花さんは、普通に振る舞う。
でも、少しだけ静か。
「今日、行きます?」
仕事帰り、駅前で立ち止まる。
遥花さんは一瞬だけ迷って、頷いた。
「うん」
薬局は、やけに明るい。
いつもより人が多い気がする。
――誰も見てない。
分かってるのに、妙に落ち着かない。
検査薬の棚の前で立ち止まる。
種類、多いな。
こんなに必要なんか。
横で遥花さんが小さく笑う。
「前もこんなことあったね」
空元気。
あの時は、笑って終わった。
「そうですね」
声が、少し硬い。
“生理予定日から一週間後に”
もう、過ぎてる。
レジに向かうと店員の表情は無関心。
それなのに、心拍だけがうるさい。
袋を持つ手が、少し重い。
帰り道は、やけに静かだった。
玄関で靴を脱ぐ音が、いつもより響く。
袋をテーブルに置き、中身を出す。
白い箱。
小さいのに、重い。
遥花さんが、箱を見つめる。
喉が鳴る。
「やります?」
自分の声が、他人みたいに聞こえる。
遥花さんは頷いて、箱を手に取る。
説明書を読む手が、少し震えている。
「トイレ、行ってくる」
その一言で、空気が張り詰める。
「……はい」
ドアが閉まる音。
カチ、と鍵の音。
リビングに、一人。
心臓が、やけに早い。
考えるな。
どっちでもいい。
どっちでも、受け止める。
ソファに座ったり、立ち上がったり
落ち着かない。
トイレの水音が聞こえる。
一ヶ月前。
“二人で進みましょ”
あの夜の顔。
怖いって言った声。
泣きながら笑った顔。
もし、ほんまやったら。
もし、違ったら。
どっちも、未来が変わる。
トイレのドアノブが、かすかに動く音。
心臓が跳ねる。
でも、すぐに動けない。
まだ、見てない。
まだ、確定してない。
この数秒で、世界が変わる。
ドアが、ゆっくり開く。
遥花さんの顔。
読めない。
声が出ない。
今、聞いたら。
全部、決まる。
湊は、息を止めたまま、立ち尽くしていた。
――まだ、確認していない。
その一瞬の、永遠みたいな時間。




