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《食欲ないかも、ゼリーとか欲しい》
画面を見た瞬間、嫌な汗がにじんだ。
食欲ない。
遥花さんが?
ほとんど聞いたことがない。
《すぐ帰ります》
送ってから、歩く速度が自然と速くなる。
頭の中で、勝手に悪い方向へ転がる。
体調悪いか聞いたときの、あの曖昧な返事。
顔色。
目の下。
もしかして。
病院、もう行った?
俺に言ってないだけで。
何か、重い病気だったら?
――やめろ。
考えるな。
信号が赤になる。
舌打ちしそうになるのを堪える。
ゼリーとスポーツドリンクを掴んで、レジに急ぐ。
鍵を開ける手が、少しだけ震えている。
「ただいま」
「……おかえり」
ソファに座る遥花。
笑ってるけど、元気じゃない。
すぐ隣に座る。
「食欲ないって大丈夫なんですか?病院とか」
遥花の視線が揺れる。
その一瞬で、心臓が嫌な音を立てる。
気まずそう。
隠してる?
「……なんかありました?」
声が少し低くなる。
自分でも分かる。
焦ってる。
遥花は、少しだけ息を吸って。
「まだ、わかんないんだけど」
その言い方が、余計に怖い。
「その……吐き気が、あって……」
「え」
一瞬、頭が真っ白になる。
吐き気。
病気。
胃?
腸?
まさか、手遅れとかじゃ――
「前にも遅れたことあったじゃん?」
遅れた?
「だから今回もそうかもって思うんだけど」
そこで、やっと。
意味が繋がる。
遅れた。
吐き気。
一ヶ月前。
“二人で進もっか”って言った夜。
鼓動が、どくんと跳ねる。
「……」
言葉が出ない。
遥花の目に、涙がにじむ。
「でも、違うかもしれないし」
声が震える。
「期待して違ったら、嫌だし」
ああ。
怖いのは、そっちか。
ゆっくり息を吐く。
さっきまでの最悪の想像が、全部霧みたいに消える。
代わりに、別の現実味。
「……いつから」
やっと出た声は、思ったより落ち着いていた。
「今日、朝。急に気持ち悪くて」
「病院は」
「行ってない。まだ早いかもって」
でも。
可能性は、ある。
喉が乾く。
嬉しい?
怖い?
どっちもだ。
遥花の涙が、一粒落ちる。
「ごめん、変なこと言って」
「謝らんでください」
「もし違っても」
ゆっくり、言葉を選ぶ。
「それは、それです」
「俺ら、始めたばっかりでしょう」
手を伸ばす。
そっと、遥花の手を包む。
冷たい。
「一回でうまくいく方が、奇跡です」
それは現実。
でも、冷たくないように言う。
「ほんで」
「ほんまやったら」
一瞬、言葉に詰まる。
心臓がうるさい。
「……嬉しいです」
やっと、言えた。
遥花が、顔を上げる。
不安と、期待と、涙。
全部混ざった顔。
「でも」
指に力を込める。
「確定するまでは、振り回されんようにしましょ」
自分に言い聞かせるみたいに。
「一人で抱えんといてください」
遥花の目から、また涙が落ちる。
「怖くて」
「はい」
「期待しちゃって」
「はい」
「違ったらどうしようって」
その言葉を最後まで聞いて。
湊は、静かに額を寄せた。
「違っても」
「また一緒に待つだけです」
それだけ。
大きな約束はしない。
でも、離れない。
遥花が小さく頷く。
部屋は静か。
まだ、何も確定していない。
それでも。
二人の間に、確かに“何か”が生まれている気がした。




