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リビングの灯りだけがついている。
湊は先に寝室へ行った。
「無理しないでくださいね」
いつもの声。
遥花は「うん」と答えたけれど、まだソファに座っている。
テーブルの上には、仕事の資料。
引き継ぎ表。
後輩の名前。
チェックは、ほとんど終わっている。
主任として任されていた案件も、ほぼ整理済み。
産休に入っても困らないように――
そこまで考えて動いてきた。
“いつできても大丈夫なように”。
ふっと息を吐く。
大丈夫。
体制は整ってる。
後輩も育ってる。
マネージャーも理解ある。
今なら、困らない。
今なら。
「……そろそろ」
小さく呟く。
避妊をやめるだけ。
それだけなのに、妙に重い。
ほしい。
それは嘘じゃない。
湊と似た子ども。
自分に似た子ども。
あのディーラーで見た後部座席。
自然と浮かぶ光景。
でも。
もし、すぐできなかったら?
もし、何年もできなかったら?
その時、私はどうなるんだろう。
湊は、どう思うんだろう。
“焦ってません”
あの人は、そう言うだろう。
でも本当に、焦らないでいられる?
自分は?
「……こわ」
思わず、声が漏れる。
ほしいと思うことは、怖い。
できなかったとき、傷つくから。
ソファに背を預ける。
天井を見上げる。
静かな部屋。
寝室のドアの向こうに湊がいる。
守る準備をしている人。
車も、講習も、貯金も。
全部、前向き。
その隣で、自分だけ立ち止まってる気がする。
「……だめだな」
立ち上がる。
寝室のドアを開ける。
湊は、横になってスマホを見ていた。
ベッドの端に腰かける。
「ねえ」
「はい」
声は穏やか。
「そろそろ、いいのかなって」
湊の目が、わずかに揺れる。
「……」
「仕事も、ほぼ引き継げたし」
視線を落とす。
「いつできても、困らない」
言葉にすると、やっぱり少し震える。
湊は起き上がり、ゆっくりこちらを見る。
「怖いですか」
即答できない。
でも、嘘もつけない。
「……ちょっと」
正直に言う。
「できなかったら、とか考えちゃう」
湊はすぐに答えない。
代わりに、手を伸ばす。
そっと、指を絡める。
「できなくても」
「それは遥花さんのせいじゃないです」
「俺のせいでもない」
「二人のことです」
指先が、ぎゅっと力を込める。
「焦らんでいいです」
まっすぐ。
「進むなら、一緒に覚悟しましょ」
その言い方が、あまりに湊らしくて。
涙が出そうになる。
「覚悟って」
笑いながら言う。
「大げさ」
「大げさやないです」
真面目な顔。
「ほしい思うってことは、覚悟やと思います」
胸の奥が、じんわり温かくなる。
怖い。
でも。
一人じゃない。
「……じゃあ」
小さく息を吸う。
「一緒に、そろそろ?」
湊は一瞬だけ目を閉じて。
「はい」
静かに頷いた。
未来は、まだ見えない。
でも、同じ方向を向いている。
それだけで、少しだけ怖さが薄れた。
夜は静かに、二人を包む。




