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ソファの端で、湊がやけに静かだった。
テレビはついているのに、視線は違う場所。
親指が忙しなく動いている。
「真剣な顔してなにしてんの?」
声をかけると、ちらっとこちらを見る。
「車調べてます」
「……車?」
思わず近づく。
「買うの?」
「たぶん」
「湊、免許持ってたっけ」
不思議そうに聞くと、少しだけ眉を上げる。
「一応持ってますよ」
「え、初耳なんだけど」
「言う機会なかったんで」
画面には、ファミリーカーの比較ページ。
本気だ。
「でもペーパーなんで、講習は行かないとですね」
「仕事忙しいのに、講習まで?」
そこまでして?
思わず聞いてしまう。
湊はスマホを少し下げて、真面目な顔をする。
「必要なら、行きます」
「なんで突然、車?」
今まで一度も言わなかったのに。
湊は少しだけ視線を落としてから、淡々と言う。
「こないだみたいに、終電なくても迎えに行けるように」
一瞬、言葉が詰まる。
あの日。
約束を破って、終電を逃して。
湊を怒らせて、泣いて。
胸の奥がちくっとする。
「……まだ怒ってる?」
「怒ってるとかじゃないです」
静かな声。
「物理的に動ける手段は多いほうがいい」
感情じゃない。
対策。
現実。
「それに」
少しだけ間があく。
「子どもがいたら、車あったほうが良いでしょうし」
心臓が、どくん、と鳴る。
「……気が早くない?」
わざと軽く言う。
でも声が少し揺れる。
「欲しくなってからじゃ遅いです」
「遥花さんに不便かけたくないですし」
その言い方が、あまりに自然で。
胸の奥が、あたたかくなる。
不便。
私が。
湊は、私の未来の不便まで考えてる。
まだいない子どもの送迎。
買い物。
急な発熱。
全部、先回りして。
「……そこまで考えてたの?」
「考えますよ」
当たり前みたいに言う。
「守るって、そういうことでしょう」
「…ローン組むの?」
「いや、一括でいけます」
「え」
「貯金ありますし」
「いくらあるの」
「言いません」
「なんで!」
「安心しすぎると、遥花さん気抜くんで」
「抜きません」
「どうでしょうね」
少し笑う。
その余裕。
ずるい。
スマホを覗き込むと、チャイルドシート対応とか
燃費とか、そんなワードが並んでいる。
本気だ。
「……私のため?」
ぽつりと聞く。
湊は少しだけ目を細める。
「俺のためです」
「え?」
「俺が安心したいんで」
一瞬、言葉が止まる。
ああ。
この人は。
私を縛るためじゃなくて。
自分が守れる状態でいたいだけ。
「こないだ、怖かったんです」
静かな声。
「もし、何かあったらって」
胸が締めつけられる。
「俺が迎えに行けたら、防げたこともあるかもしれない」
そこまで考えてたの。
「だから、準備します」
当たり前みたいに。
未来に向けて。
まだ妊娠もしていない。
具体的な予定もない。
でも湊は、もう父親の顔をしている。
「……湊」
隣に座り肩が触れる。
「ありがとう」
素直に言う。
湊は少しだけ驚いた顔をする。
「まだ買ってませんよ」
「そこじゃない」
くすっと笑う。
「そんな先まで考えてくれてるの、嬉しい」
湊の喉が小さく動く。
「当たり前です」
でも、少しだけ照れてる。
「子どもかぁ」
湊は一瞬だけ止まってから、ゆっくり頷く。
「遥花さんとの子どもです」
顔が熱くなる。
「ずるい」
「何がですか」
「ときめかせにきてるでしょ」
「事実言ってるだけです」
そのまま、スマホを置く。
「でも」
真面目な顔。
「焦らなくていいです」
「え?」
「準備は俺がしますから」
「遥花さんは、笑っててくれれば」
胸が、ぎゅっとなる。
ずるい。
ほんとにずるい。
「……車、何色にするの」
ごまかすみたいに聞く。
「白」
「白?なんで?」
「似合うんで」
「私が?」
「はい」
淡々と。
でも確信みたいに。
胸の奥が、ふわっと温かくなる。
守られてる。
ちゃんと。
数字でも、行動でも、気持ちでも。
「湊」
「はい」
「早く講習行ってね」
「なんでですか」
「迎えに来てもらう予定あるので」
一瞬、目が揺れる。
それから小さく笑う。
「了解です」
未来の約束みたいな声。
まだ何も起きてない。
でも、確実に。
私たちは、その先を見ている。




