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木曜の夜。
仕事終わりの開放感と、少しの高揚。
駅前のイタリアンは思ったより混んでいて
店内は賑やかだった。
「主任、結婚おめでとうございます!」
グラスが軽く鳴る。
「ありがとうございます」
自然に笑う。
仕事の愚痴、くだらない噂話、最近入った子の失敗談。
時間はあっという間に過ぎていく。
ふと、スマホを見る。
22:08。
まだ大丈夫。
終電には余裕がある。
“早めに帰る”
湊の顔が一瞬浮かぶ。
「主任、もう帰っちゃいます?」
後輩が少し残念そうに言う。
「ううん、もう少しだけ」
笑って返す。
あと一時間くらいなら。
大丈夫。
22:47。
店を出ると、夜風が少し冷たい。
「そろそろ帰りますか」
駅へ向かう。
改札前、人がやけに多い。
ざわついている。
嫌な予感。
電光掲示板を見る。
【人身事故のため、運転見合わせ】
一瞬、時間が止まる。
「え、うそ……」
アナウンスが繰り返される。
再開見込み、未定。
ホームは人で溢れている。
スマホを見る。
23:01。
“早めに帰る”
約束。
胸の奥が、ひゅっと縮む。
「主任、どうします?」
後輩の不安そうな声。
タクシー乗り場へ向かう。
長蛇の列。
配車アプリを開く。
“現在配車できる車両がありません”
待ち時間、52分。
無理だ。
現実的じゃない。
時計は進む。
23:24。
もう一度アプリを更新する。
変わらない。
「近くにビジネスホテルありますよ。
空きあるか見ます?」
迷う。
約束。
でも、この状況で無理をする方が危ない。
「……お願い」
声が少し硬い。
一部屋、空き。
「取れましたよ」
息を吐く。
同時に、スマホを握る。
湊。
約束。
打つ指が少し震える。
『ごめん、終電止まっちゃった。
今ホテル取ったから今日は泊まるね』
既読はすぐにつかない。
23:31。
ホームのざわめきが、遠く感じる。
さっきまで楽しかったのに。
胸の奥が、妙に静かだ。
“早めに帰る”
守れなかった。
不可抗力でも、
約束は、約束。
既読がつく。
心臓が、一拍強く鳴る。
返信はまだ、来ない。




