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食器を洗い終えて、リビングに戻ると
遥花はソファでスマホを見ていた。
「遥花さん」
「ん?」
「朝の時間、少しずらしませんか」
唐突だった。
遥花が瞬きをする。
「なんで?」
湊は一瞬だけ言葉を選ぶ。
「最近、駅でよく会うんで」
「……柊さん?」
湊は小さく頷く。
「偶然だとは思いますけど」
“偶然”。
自分で言っていても、少しだけ引っかかる。
「気にしすぎかもしれません。でも、念のため」
柔らかく言う。
命令じゃない。
提案。
遥花は少し黙った。
それから、小さく息を吐く。
「……実は」
湊の視線が上がる。
「私も思ってたの」
「何を」
「この前、駅で一人のときに会って」
手元のスマホをぎゅっと握る。
「なんか、気持ち悪くて」
胸の奥が、静かに熱くなる。
「何かされたんですか」
「されたってほどじゃないの」
遥花は首を振る。
「でも、見られてる感じがして」
少しだけ眉を寄せる。
「朝の時間聞かれたり、また会いますねって言われたり」
その一言で、湊の中の線が、はっきりする。
やっぱり。
偶然を装っている。
「言わなかったのは」
湊が静かに聞く。
「仕事の人だし」
苦笑する。
「私の気にしすぎかもしれないし」
「……気にしすぎじゃないです」
遥花が顔を上げる。
湊はそのまま続ける。
「違和感あるなら、それは正解です」
静かに。
でもはっきりと。
「俺が過剰に守るより
遥花さんが嫌だと思う方が大事なんで」
その言葉に、遥花の肩が少しだけ緩む。
「なんかさ」
小さく笑う。
「湊に言ってよかった」
その一言で、胸の奥の硬さが溶ける。
守るのは一方通行じゃない。
ちゃんと、共有できる。
「明日から、少し時間ずらしましょう」
「うん」
「俺も合わせます」
「え、いいよ」
「いいです」
遥花が困ったように笑う。
「過保護」
「はい」
否定しない。
少しだけ沈黙。
でも重くない。
「でもさ」
遥花が小さく言う。
「なんで私の職場知ってるんだろう」
湊の手が止まる。
「……それ、言われたんですか」
「うん」
リビングの空気が、一瞬だけ冷える。
湊は深く息を吸う。
吐く。
「時間、ずらしましょう」
今度は、はっきり。
遥花は頷く。
不安じゃない。
でも。
甘くもない。
二人の間に、静かな共通認識ができる。
線は、引いた。
越えさせない。




