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「お疲れ様です。橘さんも今帰りですか?」


改札前で声をかけられ、足を止める。


振り向くと、柊。


ネクタイを緩めたまま、余裕のある顔。


「……お疲れ様です」


必要最低限の距離を保つ。


「僕、〇〇駅で乗り換えなんですけど

橘さんどこです?」


世間話の体。


でも、視線は探っている。


ICカードを軽く握る。


「こっち方面です」


「方面?」


「はい」


それ以上は、言わない。


柊がくすっと笑う。


「警戒してます?」


「してません」


けれど駅名は出せない。


小さな情報が、繋がることもある。


「駅くらい言っても減らないですよ」


「減るかもしれないんで」


静かに返すと、柊は面白そうに目を細めた。


「奥さん、迎えとか来ないんですか?」


その言い方。


線を踏み越えかけている。


「来ません」


短く答える。


「仲良さそうなのに」


「関係あります?」


一瞬だけ、視線が合う。


柊は肩をすくめる。


「いえ。ただの雑談です」


改札前で、足を止めた。


乗れない。


柊が一歩先に進む。


「あれ、乗らないんですか?」


「本屋寄るんで」


「へえ。今から?」


「はい」


柊が少しだけ首を傾げる。


「熱心ですね」


「習慣なんで」


本屋はある。


嘘ではない。


ただ、今日寄る予定はなかった。


柊は改札の向こうで立ち止まる。


「じゃあ、お疲れ様でした」


「お疲れ様です」


柊が階段を上がっていく。


その背中を確認してから、ゆっくりと反対方向へ歩いた。


本屋の自動ドアが開く。


中に入り、立ち止まる。


棚の背表紙を眺めながら、深く息を吐く。


……乗らなくて正解だ。


柊の乗り換えが〇〇駅なら、そこは自分の最寄りだ。


一度でも同じ電車に乗れば、降りる駅で察する。


察せられる余地は作らない。


スマホを取り出す。


《今日は少し遅くなります》


数秒で既読。


《了解。お疲れさま》


それだけ。


疑っていない。


疑われてもいない。


それが余計に、守らなきゃと思わせる。


本棚の前で立ち尽くしながら、思う。


疑ってはいない。


でも、無防備だと思う。


自分が過剰かもしれない。


それでもいい。


過剰なくらいでちょうどいい。


外に出ると、さっきの電車はもういなかった。


柊の姿もない。


ただ、ほんの少しだけ。


視線が残っている気がした。




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