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「……ほんま最悪や」
小さくこぼした言葉に、
隣で遥花さんがくすっと笑う。
その笑いに、少しだけ肩の力が抜ける。
「まあ、座りなさい」
父に促されて、
向かいのソファに腰を下ろす。
遥花さんも、少しだけ姿勢を正して座る。
さっきまでの空気とは違う。
テーブルの上には、湯気の立つお茶。
母が「どうぞ」と優しく差し出す。
「ありがとうございます」
遥花さんの声は、落ち着いてる。
けど、少しだけ緊張が混じってるのが分かる。
その横顔を見て、
変な安心と、変な緊張が同時にくる。
「今日は」
父が、静かに口を開く。
その声は低いけど、
威圧じゃなくて、ただ真っ直ぐ。
「話があるんだろ?」
分かってたけど、
目の前に来ると、やっぱり少しだけ重い。
一瞬、息を整える。
「……はい」
自分でも驚くくらい、
声はちゃんと出た。
「その……」
言葉を探す。
用意してきたはずなのに、
綺麗な言葉が出てこない。
横にいる遥花さんが、
少しだけこちらを見る。
その視線に、背中を押される。
「俺」
一度だけ、息を吸う。
「遥花さんに、プロポーズしました」
変に飾るのはやめた。
父の視線が、まっすぐ向く。
「……そうか」
父のその一言のあと、すぐには言葉が続かなかった。
否定じゃない。
ちゃんと受け取って、考えてる沈黙。
「遥花さん」
母がやわらかく名前を呼ぶ。
「はい」
「今のお仕事、続けながらになるのよね」
「はい」
「大変になると思うけど……
そのあたりは、どう考えてる?」
優しいけど、逃げ場のない現実の話。
遥花は一瞬だけ視線を落として、すぐに上げた。
「正直、不安はあります」
まっすぐな声。
「仕事も、まだ途中ですし」
少しだけ間を置いて、
「でも」
続ける。
「一人でやるつもりはないです」
隣にいる存在を、当たり前みたいに含めた言い方。
「湊くんと、一緒にやっていきたいと思ってます」
“頼る”でも、“任せる”でもない。
並ぶ、っていう意思。
母は小さく頷いた。
それだけで、ちゃんと伝わってるのが分かる。
そして、父。
「湊」
「はい」
「一緒にやっていく、は分かった」
「それは、結婚じゃなくてもできるだろう」
「なんで、結婚なんだ」
一瞬、言葉が止まる。
分かっていたはずなのに、
いざ目の前に置かれると、軽い言葉では返せない。
息を整える。
「一緒にいたいから、です」
そのまま出た本音。
でも、それだけじゃ足りないのも分かってる。
「ただ一緒にいるだけじゃなくて」
言い直す。
「逃げられない形にしたいんです」
静かに落とした言葉。
父の視線が、少しだけ変わる。
「逃げられない?」
「正直、余裕があるわけじゃないですし」
「これから、うまくいかないこともあると思います」
現実から目は逸らさない。
「でも」
視線はぶれない。
「そういう時に、“やめる”って選択肢を持ちたくないんです」
はっきりと言い切る。
「好きだから一緒にいる、じゃなくて」
少しだけ言葉を探して、
「何があっても隣にいるって、決めるために」
「結婚したいです」
沈黙。
重くはない。
ちゃんと届いてる沈黙。
「……私も」
隣から、声が落ちる。
視線が遥花に向く。
「結婚って、支えることだと思ってました」
少しだけ笑って、
「でも」
「湊くんとなら、支え合えると思ってます」
同じ方向。
でも、自分の言葉。
「……なるほどな」
父が小さく息を吐く。
「覚悟の話か」
「はい」
迷いなく答える。
それから、父が頷く。
「いい」
短い一言。
「中途半端じゃない」
その言葉で、空気が変わる。
母も、ふっと表情を緩めた。
「ちゃんと考えてるのね」
柔らかい声。
「安心したわ」
隣を見る。
遥花も、同じタイミングで息を吐いてた。
さっきより少しだけ、力の抜けた顔。
「……遥花さん、湊を頼む」
父の一言。
それは、
任せる、の意味。
ちゃんと通じた。
言葉も、覚悟も。




