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玄関の前で、湊が一度深く息を吐いた。
隣に立ってるのに
少しだけ距離を感じるくらい、空気が張ってる。
「……緊張してる?」
小さく聞くと、
「してないって言ったら嘘になりますね」
苦笑い。
でもその目は逃げてない。
そのまま、インターホンを押す。
ピンポーン、って音がやけに大きく響いた気がした。
「お、来た」
聞き慣れた声。
「……なんでいんの?」
ソファに座ってる悠が、軽く手を上げる。
「タイミングよく来ただけ」
「絶対嘘」
いつもの席、いつもの空間。
なのに、空気だけちょっと違う。
湊が、膝の上で手を組み直すのが視界に入る。
「で?」
お父さんが口を開く。
短い一言。
圧がすごい。
「今日はなんだ」
完全に“わかってる側”の聞き方。
湊が、背筋を伸ばす。
一瞬だけ、息を吸って。
「今日は、お時間いただいきありがとうございます」
「その……」
「遥花さんに、プロポーズしました」
一瞬、静かになる。
お母さんが「まあ」って目を丸くして、
悠が、にやっとする。
お父さんの視線が、まっすぐ湊に向く。
「……そうか」
それだけなのに、空気が締まる。
湊もそれを感じたのか、
ほんの一瞬だけ視線が揺れて、
またすぐ戻る。
「まだ具体的なことはこれからですが
きちんと話し合って、進めていきたいと思ってます」
沈黙。
ほんの数秒。
でも長い。
「……で?」
お父さんが、もう一度言う。
さっきより少しだけ強く。
空気が、一段重くなる。
隣で、息を飲む。
その時。
「いやいや」
横から、軽い声。
「親父さん、ちょっとやりすぎ」
全員の視線がそっちに向く。
悠は、湊を見て笑う。
「ビビってる顔してるし」
「……してない」
悠が、肩すくめる。
「これさ、親父さん
娘さんをくださいってやつ、やりたいだけだぞ」
一瞬、静止。
お母さんが吹き出す。
お父さんが眉寄せる。
「悠くん!余計なこと言うな」
でも、空気は明らかに緩んだ。
さっきまでの張り詰めた感じが、一気にほどける。
湊が、一瞬だけ目を閉じて、
小さく息を吐いた。
それから、
「……じゃあ」
「ちゃんとやっときますか」
湊が、姿勢を正す。
お父さんに向き直る。
「お義父さん」
一瞬、言葉を選んで、
「娘さんを僕にください」
静かに、でもはっきり。
さっきまでより、ずっと真っ直ぐな声。
お父さんが、じっと見る。
今度はさっきより長い。
「……遥花は物じゃない」
低く返す。
「でも」
「任せるって意味なら、聞いてやる」
その一言で、
空気が変わる。
隣で、湊の肩がほんの少しだけ下がる。
完全じゃない。
でも、ちゃんと力が抜けた。
湊の横顔。
さっきより、少しだけ柔らかい。
でもちゃんと、
“覚悟決めた顔”のまま。
「いやー茶番だったな」
悠がそう言って
「うるさい」
ってお父さんに軽く叩かれて、
お母さんが笑って、
やっと、いつもの空気に戻る。
「……ありがとう」
小さく言うと、
「まだこれからですよ」
でもその声は、
ちゃんと、隣にあった。




