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夜の帰り道。

駅から家までのいつもの道なのに、少しだけ足取りが遅い。


理由は分かってる。


考えてるからだ。


結婚、なんて言葉。

自分の口から出る日が来るなんて、少し前まで想像もしてなかった。


でも今は、違う。


浮かんでくるのは、全部、遥花のことだ。


朝、眠そうな顔で「おはよ」って言う声。

適当に結んだ髪。

仕事終わりで少しだけ疲れた顔。

それでも「大丈夫」って笑うところ。


隣にいるのが当たり前になって、

気づいたら、その当たり前を失う未来の方が、怖くなってた。


「……ちゃんと、したいな」


ぽつりと、独り言が落ちる。


ちゃんと、ってなんだ。


考え始めたのは、たぶんずっと前だ。


指輪。

場所。

タイミング。


調べればいくらでも出てくる。


夜景の見えるレストラン。

旅行先のホテル。

記念日。サプライズ。


どれも、間違ってないと思う。


むしろ、正解っぽい。


――でも。


「……なんか、違うんだよな」


足が止まる。


ショーウィンドウに映る自分の顔は、思ってたより真剣で、少しだけ余裕がない。


こんな顔で、綺麗なレストランで、綺麗な言葉並べて。


それ、ほんとに“自分”か?


遥花は、きっと喜ぶと思う。

否定なんてしない。


でも。


それって、“用意された正解”をなぞってるだけじゃないかって、どこかで引っかかる。


あの人は、もっと普通のところで笑う。


キッチンで味見して「しょっぱ」って言ったり。

ソファでだらっとして、どうでもいい話してる時の顔の方が、よっぽど好きだ。


背伸びした場所より、

何もない部屋で隣にいる時の方が、ずっと近い。


「……かっこつけたいわけじゃないしな」


むしろ逆だ。


かっこ悪くてもいいから、ちゃんと届く形がいい。


誤魔化したくない。


一生に一回のことを、

“それっぽく”済ませたくない。


だから、余計にわからなくなる。


どうしたらいいのか。


どこで言えばいいのか。


何を言えばいいのか。


考えれば考えるほど、全部ちがう気がしてくる。


「……めんどくさ」


小さく笑う。


自分で分かってる。


こういうとこ、面倒くさい。


でも、ここで雑にしたら、多分一生後悔する。


あの人に対してだけは、

適当に決めたくない。


――だったら。


ふっと、思考が止まる。


静かに、ひとつだけ、残る。


特別な場所じゃなくていい。


特別な日じゃなくていい。


だってもう、特別なのは場所でも日でもなくて、


「……あの人といる時間、全部だろ」


自然に、息が抜ける。


なんでこんな簡単なこと、ぐるぐる考えてたんだろう。


遥花は、たぶん。


高いレストランより、いつものご飯の方が好きだし、

サプライズより、ちゃんと向き合ってくる方が好きだ。


何より。


変に取り繕った自分より、

そのままの自分で来る方を、選ぶ人だ。


だったら。


答えは、最初から決まってた。


「……日常で、いいか」


いや、“いいか”じゃない。


それがいい。


いつも通りの帰り道。

いつも通りの部屋。

いつも通りの距離。


その中で。


ちゃんと、自分の言葉で言う。


逃げずに。


誤魔化さずに。


まっすぐ。


「……緊張するな」


ポケットに手を入れる。


まだ何も入ってないはずなのに、

そこにあるみたいに、意識が向く。


これから、そこに入れるものの重さを、想像する。


軽いはずなのに、重い。


でも。


その重さごと、持つって決めた。


足を一歩、前に出す。


迷いは、もうない。


ただ少しだけ、怖くて。


それ以上に、楽しみだった。




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