表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/182

98




「ただいま」


扉が開く音と一緒に、いつもの声。


「おかえり」


キッチンから顔を出すと

湊が少しだけ疲れた顔で笑った。


ネクタイを緩めながら近づいてきて、軽く肩に触れる。


それだけで、ああ今日もちゃんと帰ってきたなって思う。


「今日、早いですね」


「うん、ちょっとだけね」


言いながら、ふと気づく。


こうやって、並んで話すのも、

触れるのも、全部当たり前になってる。


悪い意味じゃなくて、むしろ心地いい。


「ご飯もうすぐできるよ」


「手伝います」


そう言って、隣に立つ。


距離は近い。

触れようと思えば、いくらでも触れられる距離。


でも、それ以上は何も起きない。


それが普通、みたいに。


「……あ、そうだ」


ふと思い出す。


「もうすぐさ、記念日じゃない?」


包丁を止めずに言うと、


「……ああ」


少しだけ間があって、湊が答える。


「3年ですね」


その言い方が、あまりにも落ち着いていて。


「うん」


なんとなく、笑う。


「早いね」


「早いですね」


会話は続く。


いつも通り。


何も変わらない。


なのに、ほんの少しだけ、引っかかる。


「……ねえ」


気づいたら、声が出てた。


「ん?」


「最近さ」


振り返ると、湊がこっちを見てる。


「なんか……落ち着いたよね」


言いながら、自分でも曖昧だと思う。


でも、それ以外に言い方が見つからなかった。


少しの沈黙。


湊が、ほんの少しだけ目を細める。


「……落ち着いた、ですか」


「うん。なんか、こう……」


言葉を探す。


「いい意味でね?」


慌てて付け足すと、湊が小さく笑う。


「悪い意味でも取れる言い方でしたよ」


「ちがうって」


笑いながら返す。


その空気も、いつも通り。


なのに。


「……安心してる、ってことじゃないですか」


湊が、静かに言う。


「こうしてるのが、普通になってるっていうか」


その言葉に、少しだけ頷く。


「……うん、それはあるかも」


安心。


それは、間違いなくある。


でも。


「……でもさ」


言いかけて、少し迷う。


言わなくてもいい気もする。


でも、なんとなく。


「前はさ」


視線を落とす。


「もうちょっと……こう、なかった?」


曖昧なままの言葉。


自分でも何を言いたいのか、ちゃんと分かってない。


ただ、なんとなく。


少しだけ。


足りない気がした。


湊は、すぐには答えなかった。


コンロの火を止める音だけが、小さく響く。


それから。


「……ありますよ」


ぽつりと、落ちる声。


顔を上げると、目が合う。


そのまま、少しだけ近づいてくる。


でも。


触れる直前で、止まる。


「……でも」


低くて、静かな声。


「あんまり雑に触れたくないんです」


一瞬、意味が分からなくて。


「……雑に?」


「はい」


目を逸らさずに、まっすぐ言う。


「ちゃんと余裕ある時に、ちゃんと向き合いたいんで」


その言葉が、思ったより重くて。


少しだけ、息を止める。


「……何それ」


笑おうとして、うまく笑えない。


「真面目すぎじゃない?」


「そうですか?」


「うん」


少しだけ、肩をすくめる。


「別に、そんなちゃんとしなくてもいいのに」


軽く言ったつもりだった。


でも。


「俺は、ちゃんとしたいんです」


すぐに返ってくる。


迷いのない声。


「遥花さんとなんで」


その一言で、全部分かる。


ああ、この人。


ただ余裕ないだけじゃなくて。


ちゃんと、考えてるんだ。


「……そっか」


小さく、息を吐く。


なんか、ちょっとだけ。


安心した。


と同時に。


「……じゃあさ」


一歩だけ、距離を詰める。


「その“ちゃんとしたい”まで、どのくらいかかるの?」


少しだけ、意地悪く聞く。


湊が一瞬だけ言葉に詰まる。


「……それは」


「それは?」


覗き込むと、少しだけ困った顔。


「……分かんないです」


「なにそれ」


思わず笑う。


そのまま、軽く肩に寄りかかる。


「じゃあさ」


少しだけ顔を上げて。


「それまで、全くなし?」


わざとらしく聞くと、


「……」


沈黙。


「……いや、それは」


珍しく、言葉が揺れる。


その反応に、ちょっとだけ楽しくなる。


「でしょ?」


「……あんまり煽らないでください」


低くなる声。


その言い方に、少しだけドキッとする。


でも。


「ふーん」


わざとそっけなく返す。


「じゃあやめとこ」


そう言って離れようとした瞬間。


手首を、軽く引かれる。


「……それは、それで嫌なんですけど」


小さく、笑う。


ああ、なんだ。


ちゃんと、いるじゃん。


そのまま少しだけ距離が縮まって、


軽く額が触れる。


それ以上は、いかない。


でも。


それで十分だと思えるくらいには、


ちゃんと、好きだった。


「……記念日、どうします?」


近い距離のまま、湊が聞く。


「んー」


少し考えて。


「普通でいい」


「普通、ですか」


「うん」


笑う。


「一緒にいれたら、それでいい」


そう言うと、


「……それが一番難しいんですけどね」


って、少しだけ困った顔で笑う。


その顔を見て、


やっぱり大丈夫だなって思った。


少し足りない気がしたのも、


きっと。


ちゃんと、ここにあるからだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ