7:婚約破棄
こちらの物語は書籍版の続きとして、『ルナリア』の物語の続きを書いたものになります。
Web版の続きは!? 書籍版の続きは!? って言ってくださっている方が多かったので、「よっし書くか!」と思い立って書き始めたものになります。
『ルナリア』がどうなっていくのか、コミカライズとは別の物語としてお楽しみくださいませ。
「……」
「……」
セシリオとレアンドラは、無表情のままで座っているセラフィナをじっと見降ろしていた。彼らの視線の先にある一通の書類は、セシリオとセラフィナの婚約破棄に関してのもの。
これにサインをするだけで良い、そうすれば、セシリオとセラフィナの婚約破棄は恙なく処理されていくことだろう。
「どうしましたか?」
淡々と語るセラフィナの声は、とても冷淡。
ぎりり、とレアンドラが爪を噛んでいるが、そんな風に忌々し気に見てこなくても、何もないというのにどうしたことだ、とセラフィナは溜息を吐いた。
「貴女……公爵令嬢たるわたくしに何という態度を!」
「だってお二人とも、書類を眺めたまま動こうともしませんし……どうしましたか、ここに、サインをするだけでよろしいのですよ」
「……っ」
そう、セラフィナはただサインされることを待っているだけ。
だから別におかしいことは何もしていないのだが、レアンドラからすれば、態度そのものが腹立たしいものだったようだ。
じゃあどうすれば良いというのか、むしろお手本を示してほしい。
そうすれば、こちらとしてはその通り振舞って差し上げるというのに、とセラフィナは溜息を吐いて、ペンを取り出してからセシリオへと差し出した。
「何だ、何の真似だ!」
「え、筆記用具がないからサインをしないのかな、って思いまして」
「……っ!!」
いつまで経ってもサインをしないのだから、セラフィナがペンを差し出すとセシリオは怒る。一体どうしろと、と困っていると周囲の生徒は首を傾げて何やらこそこそと話をしていた。
「……殿下もレアンドラ様も、どうしたのかしら」
「書類にサインするだけなんだろう?」
「そうそう」
「さっさとサインすれば良いのに」
そんなやりとりが聞こえてくるものだから、セシリオは更に焦ってしまう。
確かに周囲の言っていることは正しいのだが、セシリオもレアンドラも、セラフィナを排除してしまえばきっと彼女はアニムンディ家の領地に帰ってしまうのは分かりきっている。
神殿も王家も、『聖女』がここにいることを当たり前としているのだが、セラフィナはもうそんな考えは捨て去っているから、さっさと書類にサインをすればいいだけの話。
「殿下、レアンドラ様、周囲もこう仰っておりますし……どうか、サインをしていただけませんか?」
「う、ぐ」
「……」
遅いな、と感じたセラフィナの視線が、少しだけ剣呑なものへと変化する。
先にそれに気が付いたのはレアンドラだが、はっとして一歩後に下がってしまう。何となくセラフィナからの殺気のようなものを感じてしまい、このままだと何かされると思ったのか、ぐっとセシリオの制服のジャケットを引く。
「何だレアンドラ!」
「で、殿下……」
「……え?」
レアンドラが『早く見ろ』と言わんばかりにセラフィナを指さし、セシリオもそれを見て、さっと顔色を悪くした。
何せセラフィナの『中身』は、かつての悪役令嬢たる『ルナリア』。何というかこちらが本家、ともいえるべき存在であり、二番煎じともいえるレアンドラが、その迫力に敵うわけがないだろう。
「おま、え」
「……どうしてサインをしていただけないのかしら、困ったわ」
はぁ、と小さく溜息を吐いて、心底軽蔑したような視線をセラフィナはセシリオに向ければ、予想通りとも言えることだがセシリオはカッと顔を真っ赤にして怒った。
「何をふざけたことを! ああ、サインしてやる! 寄越せ!」
「はいどうぞ」
セシリオはセラフィナからペンをひったくって、用意されていた書類にサインをした。それを見たセラフィナはにこり、と満足そうに微笑んでから『確かに』と小さく呟いて書類をさっさとカバンにしまい込んだ。
「……っ、これで満足か!」
「はい」
とてもいい笑顔になっているセラフィナの、若干食い気味な返答にレアンドラもセシリオも『うぐ』と言葉に詰まってしまう。
ちょうどそのタイミングで、担任の教師が教室に入ってきたので、セシリオは顔を真っ赤にしたままで教師の元に大股で歩いていった。
「先生、ちょうどいいところに!」
「殿下、少しだけお待ちくださいね。アニムンディ侯爵令嬢」
「はい」
セラフィナが教師に呼ばれ、すっと立ち上がって何かを受け取っている。何だ、何を受け取っているんだ、とこそこそと話している生徒たちを一切気にすることなく、セラフィナは満足そうに微笑んだ。
「君の言う通り、学力検査を行った結果だ。卒業式の日だけ登校してくれれば、あとはここには来なくていい」
「ありがとうございます」
「貴様の顔なぞ、見たくないと学園側だって思っている、ということだ」
「ええ、存じております。こちらだって」
セラフィナは言いながらぐるりと教室を見渡し、セシリオとレアンドラのことはわざとゆっくり睨みつけるように見てから、教師へと視線を戻した。
「お前たちの顔なぞ、見たくもありません。幸い、殿下から婚約破棄の書類もいただきましたので、もう明日からここには来ません」
「……え」
「何ですって!?」
セシリオやレアンドラの驚きの声を皮切りに、教師までもが信じられないという顔になっているが、セラフィナだけが飄々としている。
一体どうしてこんな風にしていられるのだ、と全員が唖然としている中、レアンドラがどうにか声を絞り出して、セラフィナへと話しかけた。
「あ、あなた……本当に……?」
「はい、そうです」
「後悔するわよ!? それに、『聖女』の地位だって!」
「はぁ、そんなもの次の聖女に代わればいいだけでしょう? それに、レアンドラ様が殿下の婚約者になった、ということはレアンドラ様が資格を有しているのではございません?」
微笑んでからセラフィナは問いかけると、レアンドラが顔をさっと青くしてしまう。
レアンドラには聖女の資格などない、だが、このエレディア王国では聖女と王太子が結婚することが習わしなのだ。
聖女が存在しない時に限っては、そうではないものの今代は果たしてどうするというのか。
「それ、は」
きっと、レアンドラやセシリオは何も考えていないだろう。
彼らは、『物語』の導くまま、更には手引きをする誰かさんに言われるがまま、『天使の加護は貴方と共に』の続編のストーリーを忠実になぞってきている、らしい。
――だが、ひとつだけ誤算があったのを彼らは知らない。
前作は、ヒロイン側の勝利ではなく、悪役令嬢が勝って終わったのだから、果たしてそのままきちんと続編として話がスタートしているのかは、定かではない。
「とりあえず、私は卒業式にやってくれば問題ない。学業に関しても、単位はこうして取得できてしまいましたので、学園にやってくる必要がない。王太子殿下との婚約関係も無くなりましたので、王宮に行くこともなくなりましたし……はて、あとは何かございましたか?」
無い。
何も、無い。
セシリオもレアンドラも、学園の教師も、他の生徒たちも、まさかのセラフィナの行動力に驚いているのだが、それよりも驚いているのはセラフィナの態度である。
セシリオに対しては一切の興味を示していないし、レアンドラに対しては貴族としてきちんとはしている。先生に対してもきちんと対応しているから、文句をつけようにもどうにもできない。
周囲の生徒が何か言っていたとしても、相手にしていないからダメージは皆無。
こんなに人は変われるものだろうか、と全員が唖然としている中で、セラフィナはすっと頭を下げてから全員に対して微笑みかける。
「それではさようなら。卒業式まで会うことはないだろうと思いますし、卒業後は領地に帰りますので……果たして誰に会いますことやら」
それでは、と告げてからセラフィナはさっさと帰宅してしまった。
誰かが引き留めることもなく、たとえ引き留められてもスルーして帰宅するであろうことは分かっているだろうが、セラフィナは振り向かないままで学園からさっさと帰っていく様子を見ていた生徒たちは、呆然としたままその場
に立ち尽くしていたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「というわけで、お父さま。戦利品でございます」
「よくやった!」
「セラフィナ、素晴らしいわ!」
「お嬢様、さすがでございます!」
アニムンディ家に帰って早々、セラフィナはセシリオのサインが書かれている書類を手渡す。
本物だと確信したアレスとヴィオラートは、涙を流しながら娘の行動を全力で褒め、エマは誇らしげにしている。
これで一旦は王家から離れることが出来るだろう、とホッとした面々――もとい、アレスは嬉々として書類を手にして王家へ向かうべく、いそいそと身支度をはじめにいってしまった。
「お父さま……気が早いのでは……」
「あれくらいで良いのよ、大体王太子殿下の貴女に対する態度ったら、本当にどうしようもなかったんですからね!」
「本当です」
うんうん、と頷いているエマとヴィオラートを見ながら、セラフィナは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
ああ、かつての家族も……以前はこうだったのに、と少しだけ胸がチクリ、と痛むのを感じながらも『今は違う』と自分に言い聞かせておいてから、ヴィオラートへと向き合った。
「後、お母さま。こちらも取得してまいりました」
「これは……って、まあ!」
差し出されたのは、セラフィナの成績表。
卒業までに必要な単位は全て取得されていることは明記されているし、わざわざ学園に行かなくても良いことは確か。
何かを言われたとしても、これさえ提出してしまえば問題ない。
「我が娘ながら、行動力がすごくて感心するわ」
「お嬢様、記憶を無くしてしまって正解だったのでは……!?」
「こらエマ!」
「でも奥様、実際そうではありませんか?」
「まぁ……そう、よね」
家族でこう話している間、とんでもない速度で身支度を整え、外遊から帰国したばかりの国王夫妻に謁見の申し出をしたアレスは、セシリオのサインが入った婚約破棄に関しての書類を提出していた。
「……何だ、これは」
「王太子殿下の御心でございますよ、陛下」
怒り心頭の国王と、王妃。
そして、謁見の間を遠見の水晶で確認している、デイルとマナ。
「……あれぇ……?」
「おい、マナ。これは本当に大丈夫なのか?」
「……大丈夫なはずです! 聖女として、神の声を聞いたので間違いありません!」
こんな会話がされていることを、当事者だけが知らないままで進んで行くのであった。




