第4話 俺の魔法で
俺の言葉は、突如鳴り響いた轟音によって断ち切られた。
反射で耳を押えるがもう遅い。雷がすぐ側に落ちたような大音量が、容赦なく鼓膜を貫いた。
驚いた馬が暴れ始め、それを受けて荷台も大きく揺れる。
俺は荷台にしがみついて身体を支えながら、サッカーの試合中と同じくらい心臓が激しく脈打っているのを感じた。
何が起こっているのか。それを把握するために、先程の轟音の発生源を探した。
「ったく、早速お出ましかい」
既に大剣を手に持っているメリナさんの視線の先、馬車の右斜め後ろを見てみると、そこには1人の男性が立っていた。男性の手には剣があり、頭には2本の角が生えていた。
――そう、角だ。
「あ〜、てめぇが勇者だよな?」
角付きの男性は俺を見るやいなや、そう口にした。笑みを浮かべてはいるが、目が笑っていない。
「この世界に来て早々で悪ぃが、魔王様の命令なんでね。オレに着いてきてもらうぜ」
「あたしらがそれを許すとでも?」
メリナさんとパトリシアは馬車を降り、男性と対峙した。3人はにらみ合い、試合前のような緊張感が場を支配する。
「じゃあ力ずくで……やってやる、よ!」
男性の剣を持っていない方の手を前に突き出した。その手が赤色に光り出したと思うと、直径1メートルはあろう火の塊が飛んできた。
パトリシアは逃げることなく火の前に立つと、杖を火に向かって構えた。その直後、杖が青色に光り出し、火の塊と同じくらいの水が現れる。
火と水の塊はぶつかり合い、生み出された衝撃がメリナさんとパトリシアの髪を強くたなびかせる。熱された水は蒸気となり、3人の辺りを白くさせた。
相殺しきれなかった火がほんの少しだけ俺の元まで飛んでくる。目の前の光景をただ見ることしか出来なかった俺の頬を火が掠めた。ほんの一瞬だけ、頬が熱くなる。
――頬に感じる熱が、目の前の戦闘が現実のものであると告げていた。
白い蒸気の中で、メリナさんがすざましいスピードで男性に襲いかかっているのが微かに見える。振り下ろされる大剣を男性は避け、男性の反撃をメリナさんは大剣で受けた。鳴り響く金属音。アニメやドラマとかで聞く、剣と剣がぶつかり合う音。
「ケントさん、俺達は逃げますよ」
後ろを振り向くと、チエチカさんが御者台からこちらを見ていた。
「見てわかりますよね? 先輩もパトリシアさんも強いんすよ。俺は戦闘苦手ですし、ケントさんも2人の動きは知らないでしょ? 俺達がいても邪魔なだけっすよ」
「で、でも……」
チエチカさんの言葉はもっともだ。だが、さっきの男性の言っていたことを思い出せば。
「でも、あいつの狙いは俺っぽいですよね? あいつが襲ってくるのは俺のせいだ、なら俺も……」
「もう1度言いますよ」
チエチカさんは戦闘が起こっている方を指さした。
「俺達が助けようとしても、2人にとっては邪魔でしかないんすよ。なら、邪魔にならないように離れるのが最善でしょ」
何も言い返せなかった。実際、戦闘経験のない俺がいたところで邪魔になるだけだ。魔法が使えると言っても、パトリシア達の魔法とは規模が違う。俺の魔法は指より細かったのに、パトリシア達の魔法はその何10倍も大きかった。
チエチカさんは黙っている俺に背を向けて、ようやく落ち着いた馬を走らせ始めた。
俺はどんどん遠ざかっていく戦闘を見つめる。メリナさんの動きは速いし、パトリシアの使う魔法はどれも大きい。男性は2人の猛攻に防戦一方だ。
あんな戦闘に混ざれるわけがない。それは分かってる。
俺は荷台に置かれている勇者の書を拾い上げ、中をパラパラとめくる。たくさんの魔法名と、その効果。詠唱文に、魔法を上手く使うコツが日記のように書かれている。
12歳の子どもが書いたらしい文は、凄い楽しげに見える。
それに比べて俺はどうだ。
せっかく魔法を使えるようになったのに、また俺はできるやつの背中を見るだけ。この世界に来て、才能を手に入れても何も変わってない。
また、退屈な日常に戻って――
俺の思考は、再び鳴り響いた轟音によって吹き飛ばされた。
「……面倒っすね。いくら何でも早すぎっすよ……」
僅かな苛立ちが声に出ているチエチカさんの視線の先、馬車の左前方。今度はそこに角付きの男性が立っていた。
男性の手は既にこちらへ向けられている。その手が赤く光っているのを見た瞬間――時が、ほとんど止まって感じられた。
体は動かない。音も聞こえない。――けど、思考は動く。
どうすればいい? 多分また魔法が飛んでくる。
メリナさんは? 無理だ、いくらなんでも距離がありすぎる。
パトリシアは? だめだ。位置が悪すぎる。こいつとパトリシアの間に俺達がいる。こいつが攻撃するには俺達が邪魔だ。
考えているうちに、男性の赤色に光る手から炎が生み出された。ゆっくりと、だが確実に大きくなっていく炎は、明らかに先程の魔法と同じくらいに規模がでかい。
チエチカさんは? 戦いが苦手だと言っていたが、これを打ち消すことは――。
そこまで考えて、俺は手を強く握りしめた。
――なんで全て他人任せなんだよ、俺は。
確かに、俺は魔法初心者だ。戦闘経験もない。命のやり取りなんてもってのほかだ。
でも、魔法は使える。俺だけが使える、特別な魔法を。
きっとあいつの狙いはまた俺だ。
なら俺が、俺の魔法で切り抜けてみせる。
俺が覚悟を決めて足を踏み締めた瞬間――ゆっくりだった時間は元のスピードで動き出した。
男性の手から火の塊が放たれる。その進行方向にいるのは――チエチカさん。
チエチカさんは舌打ちをしながら、赤く光る手を突き出して火の魔法を放った。
チエチカさんの魔法は、明らかに男性の魔法よりも小さい。打ち負けるのは目に見えている。
俺は床を強く蹴り出し、チエチカさんと火の塊の間に入る。案の定チエチカさんの魔法を打ち消した火の塊は、俺との距離をどんどん縮めていく。
「ケントさん!? 避けてください!」
熱い。眩しい。怖い。
けど、逃げる訳にはいかない。
俺も戦うって決めたんだ。俺の力でこの場面を切り抜けるって決めたんだ。
俺は腕を下から振り上げつつ、力の限り叫んだ。
「リフレクション!」
魔法の名前を叫んだ直後、俺の目の前に薄く黄色がかった半透明の壁が現れた。野球のホームベースのような形をした壁は、火の塊より一回り大きい。
火の塊が壁に衝突すると、俺の振り上げた腕に大きな衝撃が走った。体が後ろに倒れそうになるが、踏ん張って何とか耐える。火の塊を見ると、赤い火の塊が徐々に色を黄色に変えていくのが見えた。黄色の部分が増えていけばいくほど、俺の腕にかかる負担が減っていく。
そうして火の塊が全て黄色に染まったかと思うと、火の玉は壁の反対側――火の塊を放った男性の元へと飛んでいった。男性は驚いた様子を見せたものの、素早い動きで回避する。
「……魔法を、打ち返す魔法……?」
後ろからチエチカさんの声が聞こえる。近くにいるはずなのに、どこか遠くに感じた。
いつの間にか息が切れている。体が重い。足に力が入らず、膝が崩れ落ちる。
「ちょっと、ケントさん!?」
倒れる俺の体をチエチカさんが受け止める。次第に暗くなっていく視界に映ったのは、火の塊を避けた男性に猛スピード突っ込むメリナさん。
メリナさんが助けに来てくれた。チエチカさんも無事。その事に安堵した俺の意識は、暗闇の中に沈んだ。