第3話 光の魔法
執事服の男性が扉を開けた先には、見慣れない光景が広がっていた。
きれいに整えられた芝生と、その中を通る石畳の道路。道路の伸びた先には黒い門。後ろを振り返って建物を見てみると、家というより屋敷と言った方が正しいような大きさだった。建物といい庭といい、貴族の家みたいな豪華さだ。
「どもっす。準備できてますよ」
前へ向き直ると、さっき部屋で会った青髪の男性がいた。さっき咥えていたのであろう木の棒を手に持っている。
「遅かったっすね。パトリシアさん、もう少し早く準備できなかったんすか?」
「すみませんね遅くて。これでもいつもの準備をいろいろ省いたんですよ?」
「ほらほら、じゃれ合ってる暇があるならさっさと行くよ」
メリナさんの言葉で男性が歩き出し、他2人もその背を追って歩き始めた。軽い言い争いになってたけど、仲悪いんだろうか。ギスギスしたグループだったら嫌だなぁと考えつつ、俺も流れに身を任せて着いていく。
俺達4人は固まって歩き、玄関から見えていた馬車の近くで止まった。これまた社会の教科書とかで見たようなものだ。御者台の後ろには6人くらい乗れそうな木の箱があり、テントに使うような白い布が屋根の役割を果たしていた。
「じゃあ俺は御者やるんで、みなさんは後ろに」
青髪の男性は既に乗っていた御者の人に代わって御者台に乗り、俺は2人に続いて後ろの荷台に乗った。2人が並んで壁際に座っていたので、俺は反対側の壁に腰を下ろす。
幌が横まで隙間なくかかっているため、中から外の様子はあまり見えない。唯一御者台のある前の部分は空いていた。
青髪の男性が御者台からこちらを確認すると、「行きますよー」と気の抜けた声を出した。声掛け後、間もなく馬車が動き始めた。初めて馬車に乗ることからくる興奮と、これからのことに対する不安とでソワソワしてしまう。
「んじゃ、改めて自己紹介しようかな。あたしはメリナ・フォート。見ての通り剣士だよ」
メリナさんは床に置いてある大剣を指さしながら言った。これは予想通りだ。背負っていた大剣もそうだし、身につけている部分鎧からもそれが窺える。
……それにしても、大剣を扱うにしては体が細い気がする。アスリートのように引き締まった体ではあるんだけどさ。
「私はパトリシア・オーヴァンと申します。水と風の魔法を扱う魔法使いです」
パトリシアは自己紹介のあと、座ったまま丁寧な一礼を見せた。俺もそれに合わせて一礼。
こちらも予想通り魔法使い。ローブに杖に帽子と、昔ながらの魔女の格好だ。中学生くらいの容姿のせいか、コスプレっぽく見えてしまう。
俺達が頭を上げると、メリナさんが「チカ~、自己紹介~」と御者台の男性に向かって声をかけた。
「チエチカ・エンバートンっす。歳は17。主にメリナ先輩のサポートをしてます」
「おお、同い年だ」
チエチカさんはこちらに顔を向けて言ったあと、すぐに前へ向き直った。こうして御者をしているのもメリナさんのサポートの内なんだろうか。
というか、大人びた雰囲気があったから年上かと思ってた。チエチカさんが先輩と呼ぶメリナさんは年上っぽいな。
「最後は勇者サマの番だねぇ」
「えーっと、鳴坂健人って言います。普通の高校2年生です。……勇者って言われるの違和感あるので、健人って呼んでくれると助かります」
「ケントね、了解。……早速だけど、またあたしらの頼みを聞いてくれないかい?」
「いいですよ。何でしょう?」
メリナさんは俺の返事を受けて頷くと、「チカ~、あれちょうだい」とチエチカさんに声をかけた。チエチカさんは前を向いたまま1冊の本を差し出し、メリナさんは「さんきゅ」と言って受け取る。
「この本になんて書いてあるか読んでほしいんだよ。あたし達じゃ勇者文字は読めなくてさ」
「勇者文字……? とりあえず読んでみますね」
勇者文字と言われた文字は、俺が今まで読み書きしてきた文字。メリナさん達はこの文字が読めないから俺に読めるかどうか確認してきたのか。なら、今の俺に求められている役割はこの本を読むことかな。
俺は何度も読まされた『勇者の書』と書かれた本を受け取り、最初のページを読んでみた。
一番上に大きな字で『勇者のま法集』と書かれている。ざっと見てみた感じ、魔法名とその魔法の詳細が書かれているみたいだ。
『サンライトレーザー……めっちゃシンプルなビームのま法! 一番最初に作ったま法で、一番好きなま法! メッチャ使いやすいしかっこいい!』
最初の魔法の説明文を見て、少し頬がゆるんでしまう。小さな子が勢いに任せて書いたような文章だ。
その他にもライトボールだとかリフレクションだとか、ジャッジメントソードなんて名前の魔法も書いてある。サンライトレーザーなる魔法と同じ様に、魔法に対する感想のようなものが添えられていた。……んだけども。
「どうだ、読めるか?」
「魔法について書いてあるみたいですけど……汚くて読みづらいです……」
「ははっ、だってよ、チカ」
「仕方ないでしょ、知らない文字なんて記号にしか見えないんすから。……てか、勇者文字が複雑すぎるんすよ。一体何種類あるんすか?」
「ええっと……1000字は超えてると思います」
「「1000!?」」
メリナさんとパトリシアさんの驚いた声が重なる。パトリシアが身を乗り出して聞いてきた。
「ケント様、それ、全部覚えているのですか?」
「全部は流石に……でも、ある程度は」
「すごいっすね。あわよくばケントさんに習って俺も読めるようになろうかと考えてたんすけど、やめた方がよさそうっすね」
「ですね。すごい面倒だと思います」
「まあそれはおいといて……他に何か書いてあるかい?」
「え~っとですね……」
俺はページをめくり、最後のページまで軽く内容を確認する。
「何種類かの魔法と、魔法を使うコツがいくつか……って感じです。あと、全体を通して子どもが書いたような内容でした」
「まあ、先代勇者が12歳くらいのときに書いた本らしいからねぇ」
「先代勇者……」
また気になる単語が出てきた。でも、12歳の子が書いたっていうのは納得出来る。内容にも、文字の汚さにも。
「で、その中に魔法の詠唱文はあるかい? あるなら実際に魔法を使ってみてほしいんだけど」
「あ、はい、詠唱文は、あるんですけど……」
俺はサンライトレーザーの説明の最後にある詠唱文を見る。……これを声に出して読めと?
「どうしたんだい? 何か読めないところでも?」
「……いえ、大丈夫です。やってみます」
「うし。チカ~、もう幌を外していいか~?」
「いいっすよ。王都を出てしばらくたったんで」
メリナさんの指示のもと、荷台に乗っている3人で馬車を覆っていた幌を外し始める。体育祭で使うテントの屋根と同じように紐で固定されていた。外し方を知ってる分、そこまで手間取ることはなかった。
片側の紐を全て外して幌を取り込んだことで、遮っていた布がなくなり、視界が一気にひらけた。
「おぉ……」
遠くまで広がる緑の草原を見て、思わず息がもれた。どこまでも続く大地には、見慣れたアスファルトもなければ、高くそびえるビルの影もない。ただ、限りなく広がる緑が視界を埋め尽くしていた。草原を走る道の先には森や山がそびえ立ち、それらの隙間から地平線が覗いている。もしかしたら、肉眼で地平線を見たのは初めてかもしれない。
いつもなら嫌でも耳に入る車のエンジン音も聞こえてこない。聞こえてくるのは風が吹き抜ける音と、それから1拍遅れて草がさざめく音、そして、馬車の車輪がガラガラと回る音だけ。
まるで今までいた世界とは別の世界――いや、実際に”異世界”なんだ。
「ケント、どうした?」
「あ、すみません。大丈夫です」
メリナさんの言葉で我に返る。感心している場合じゃない。外した幌を適度に畳み、邪魔にならないよう荷台の端に置いた。
「んじゃ、ケント。なんか魔法使ってみてくれよ」
「了解です」
「ケントさん、すんません。魔法を使う前に、さっき俺が渡した魔石は先輩に渡しといてください」
「魔石……?」
「立方体の石っすよ、石」
「ああ、あれか」
俺はポケットから魔石とやらを取り出して、メリナさんに渡す。俺が受け取ったときは半透明だった魔石は、今は中心部がかすかに金色に光っていた。異世界の石は発光するのだろうか。
「気を取り直して……ケント、頼むよ」
「了解です」
俺は勇者の書を片手に立ち上がり、馬車の進行方向とは逆に体を向ける。左手で勇者の書を持ち、万が一にでも人に当たることが無いよう右手は斜め上に。空を撃ち抜くイメージで、人差し指と親指を開いて銃を模した形を作った。
2人の視線を感じる。こういうのは勢いだ。俺は1回深呼吸をしてから、勇者の書に書いてあるサンライトレーザーの詠唱文を読み上げた。
「天より降り注ぎし太陽の光よ。今こそ集いて、悪しき者を貫く力となれ――」
読み進めると、右手の人差し指の先が黄色く光り始めた。眩しさに目を細めつつも、俺は魔法を放つ瞬間を見逃すまいと指の先端を見つめ、最後の詠唱文を唱えた。
「サンライトレーザー!」
詠唱し終えた瞬間、右手の人差し指の先端から金色の光線が放たれた。指よりも細い光線は狙った方向へ真っ直ぐ伸び、そのまま青い空に吸われてしまった。
「……できた。魔法が、撃てた」
チカチカする目で指を見つめながら、俺は小さく独り言をこぼした。
魔法が使えた。勇者の書にある詠唱文を読んだだけで。非日常の、フィクションの象徴である魔法を、俺が使えたんだ。
「これが勇者様の、光の魔法……」
「大層なこと言った割にはしょぼいねぇ」
「ここは褒めるところじゃないんですか?」
関心するように呟いたパトリシアとは対照に、メリナさんは大げさに肩をすくめてみせた。確かに出てきたのは1本の細い光線だけだったけど、初めて魔法を使えたっていう達成感にひたらせてほしい。
「ケント様。その勇者の書を少しお借りしてもいいですか?」
「もちろんです。もともと僕のじゃないですし」
勇者の書を受け取ったパトリシアは一言礼を言うと、俺と同じ様に空へと人差し指を向けた。
「天より降り注ぎし太陽の光よ。今こそ集いて、悪しき者を貫く力となれ」
詠唱……? パトリシアもこの魔法を……?
「サンライトレーザー!」
パトリシアが最後の言葉を発して数秒。光線が放たれるどころか、指が発光することもない。一言一句、俺と全く同じ詠唱をしたのにも関わらず、パトリシアの指から黄色の光線が放たれることはなかった。
「だめですね。やはり光魔法は勇者様しか、ケント様しか使えないようです」
「パティで無理ならあたし達も無理だろうねぇ。まあ予想通りか」
「それ、本当ですか?」
2人の言葉を聞いて思わず聞き返してしまう。そしてすぐに口を開いたことを後悔した。俺はまだこんな浅はかな考えを持っているのかと、軽く失望する。
勢いよく問いかけたくせに黙ってしまった俺を、2人は不思議そうに見つめる。なんでもない、と誤魔化すこともできたのに、やはり期待を捨てきれない俺は、さっきの言葉の続きを口にした。
「さっきの魔法は俺しか使えないって、本当ですか」
「本当だよ。……ま、確証はないけどねぇ」
――俺だけ。俺だけが使える魔法。
「その本に書いてある魔法は、100年前、ケントと同じように異世界から来た先代勇者サマが作り上げた、先代勇者サマ専用の魔法だよ。同じ勇者サマならもしかしたら、と思ってたけど、やっぱりケントも使えるみたいだねぇ」
メリナさんの言葉を補足するように、パトリシアが口を開いた。
「一部の魔法は詠唱文が伝わっていたので多くの人が試したのですが、結局、光魔法を扱えたのは既に亡くなった先代勇者様だけでした。……なので、その魔法を扱えるのはケント様が2人目ですね」
自分が特別だという事実に、どうしても心が踊ってしまう。顔はにやけてないだろうか。2人に悟られないために、この興奮を態度に見せないよう努める。
小さな頃からずっと欲しかった、特別な才能。
退屈な日常を楽しい非日常に変える、輝かしい力。
今日動画で見た晴人のように、刺激的で楽しい日々をおくるための力。
ずっと望んでいた才能が、今、俺の中にある。
必死に喜びを抑えていると、パトリシアが「あの」っと声をかけてきた。
「疑問なのですが、勇者様の魔法を使うのに詠唱は絶対に必要なのでしょうか?」
「ああ、いや、この本によると短縮詠唱ってのが――」
俺の言葉は、突如鳴り響いた轟音によって断ち切られた。