第12話 俺は俺を
「ケント様、大丈夫ですか!?」
俺を見つけるやいなや、パトリシアは駆け寄って来た。その声と足音が、脈打つ頭に鈍く響いた。
「すみません、こんな荒い方法しか間に合わなくて」
「いや、大丈夫……ありがと」
「相変わらず規格外っすねぇ」
本当に規格外だ。あのでかい龍の炎を打ち消したのも、短時間で龍の近くからここまで移動してきたのも。
俺は差し伸べられたチエチカの手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。手足が軽く震えているけど、恐怖のせいなのか痛みのせいなのかわからない。いや、両方か。
何もできずに怯えているだけのダサい俺に対して、チエチカは笑うことなく問いかけてきた。
「どうっすか。昨日みたいに、あれを跳ね返せば結界も破れると思うんすけど……いけそうっすか?」
「……多分、いや、絶対に無理だ。昨日の魔族の炎を跳ね返すのもきつかったのに、その何倍も大きいやつなんて跳ね返せる気がしない」
「じゃあ、サンライトレーザーをもう1度試すのはどうっすか? それかサンライトレーザーより強い魔法を使うかっすけど……なんかないんすか?」
「強い魔法……」
俺は痛む頭を抑えつつ、再び勇者の書の内容を思い返す。有効そうな1番火力の高い魔法はすぐに思いついた。……思いついた、けど。
「あるにはあるけど……近づかなきゃ当てられない」
あの龍に近づく。まるで素早くない俺が、騎士をフィクションの如く吹き飛ばしていた龍に。
自殺行為だ。
「やっぱり、俺なんかが――」
「近づけばいいんだねぇ?」
不意に背後から響く声。
振り向くと、大剣を地面に突き刺したメリナさんが立っていた。
肩で息をしながらも、口元にはいつものように薄っすらと笑みを浮かべている。その姿は、疲れているはずなのにどこか楽しそうにも見えた。
「近づけば結界は破れる。そう思っていいかい?」
「……確証はないですよ。……俺は、弱いんで」
「魔王の言ったことなんて気にしないでいいよ。可能性はあるんだろ?」
「それは……」
はっきりイエスとは言えない。本当に、破れる保証なんてどこにもない。まずその魔法を使えるかどうかすらわからない。
そう考えると、とても頷くことなんて――。
「ここままじゃ、誰かしら死にますよ?」
「え……?」
俺が言い淀んでいると、チエチカが無視できない言葉を口にした。
「戦闘が長引けば長引くほど誰かが死ぬ可能性は高まります。結界を破るのに時間がかかる以上、誰かが犠牲になるのはほぼ確実っすよ」
「チエチカ様、そんな事言わなくても……」
「いや言うべきでしょ。戦わないってことは、戦ってる人達を見捨てるってことなんで」
抑揚の少ない声と、変わらない表情。チエチカからはなんの感情も伝わってこない。ただ冷たく、事実だけを口にしているのだと分かった。
「できる能力があるならやるべきっすよ。俺はそう思います」
まっすぐこちらを見つめてくるチエチカの視線が気まずくて、俺は目を逸らした。逸らした先で、暗黒龍と戦っている騎士達が目に入る。
このままだとあの人達が死ぬかもしれない。
俺が、何もできないせいで。
「……俺のせいで、誰かが死ぬのは嫌だ。助けられるなら助けたい」
それは紛れもない本心だ。俺の、勇者の魔法で素早く結界を破り、その隙をついて龍を倒してもらう。そうすれば被害も最小限ですむだろう。誰も死ななくていい。もう2度と、目の前で人が死ぬのを見たくない。
――だけど。
「でも、俺なんかにできる気がしないんだよ……」
これも紛れもない本心。能力が、俺だけが使える魔法があるからって言ったって、あの龍の結界を壊せるとは思えない。
俺は、どうすれば。
「うし。暗黒龍を倒したいって気持ちは一致したねぇ」
俺の暗い思考を、メリナさんの明るい声が断ち切った。メリナさんを見ると、満足そうに口角を上げていた。
「それじゃ、背中を押してあげようかな」
メリナさんはそう言うと大剣をチエチカに預け、龍のいる方向へ少し歩いて立ち止まった。そしてその場で大きく息を吸い込み、両手を口の横に添えて叫んだ。
「我が同志達に告ぐ!」
燃えるような声だった。
下を向いた人に前を向かせるような、もう少し踏ん張ってみようと思わせるような、力強い声。
「先ほど暗黒龍を大きくのけぞらせた光の魔法――あれは、我らを救う勇者様の魔法だ!」
メリナさんの声が耳を打った瞬間、全身が固まった。
――救う? 俺が?
「勇者様は次の一撃で、暗黒龍の結界を打ち砕く!」
全身だけじゃなくて思考も固まる。目の前の光景が他人事ではないことを、遅れながらも理解する。
――やめろ。それ以上言わないでくれ。
「ならば、我々のやることは1つ! 死力を尽くし、暗黒龍の抑えるのみ!」
胸が締め付けられたように痛む。メリナさんを止めたくても、なぜか口も足も動かない。
――やめてくれ。頼むから。
「さすれば、勇者様の手によって我らに勝利がもたらされるだろう!」
頭の中でメリナさんの声が歪んで響く。
――そんなことを言われたら。
「さあ、剣を持て! 魔力を込めろ! 我らが聖都の、勇者様の守護者となるのだ!!」
「「「おおおおおおおおおおおっ!!!」」」
騎士達の咆哮が響き渡る。遠くからでも騎士達の熱気が伝わってきた。
メリナさんの鼓舞によって、騎士達の勢いが増した。メリナさんの言葉が騎士達を動かしたんだ。
つまり――騎士達は勇者に、俺に期待している。
騎士達の背中を押したメリナさんがゆっくりと振り返る。唇の端をつり上げて、いたずらっぽく笑った。
「これでもう、やるしかなくなったねぇ?」
「先輩、背中を押すどころがどついてますよこれ」
「……いい性格してんな」
「ありがとさん、よく言われるよ」
「褒めてねぇからな?」
何とかひねり出した皮肉も軽くあしらわれ、俺は俯いて額に手を当てる。そして、自分でも引くぐらい大きなため息をついた。
――これでもう、逃げられなくなった。
メリナさんの言葉によって、みんな俺に期待するようになってしまった。
命懸けで戦っている人達の期待を裏切るようなこと……俺にはとてもじゃないけど、無理だ。
もう、やるしかないのだろうか。
「パトリシア!」
顔を上げて声のする方へ目を向けると、1つの馬車が走ってきていた。馬車は俺達の前で止まり、1人の女性が降りてくる。その姿を見た瞬間、パトリシアが慌てたような声を上げた。
「……アニエス様!? ここは危険です、街まで下がってください!」
「大丈夫、これだけ渡したらすぐに戻るから」
アニエスさんはパトリシアに向かって微笑むと、俺の方へ向き直った。その手には銀色に輝く剣が握られている。
「……あなたを、勇者を戦わせるべきか、あなたがこの世界に来る前からずっと悩んでいた。今も、悩んでる」
言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を紡ぐアニエスさん。剣をじっと見つめた後、俺へと視線を移した。
「悩んでいるけれど……今はあの龍を倒すために、みんなを守るために、力を貸してほしい」
そう言って、アニエスさんは手に持っていた剣を俺に差し出してきた。剣を持つ手が、かすかに震えていた。
俺はためらいながらも剣に手を伸ばし――かけたところで、手を止めた。
本当に、俺で大丈夫なのか。アニエスさんも、心配だから震えているんじゃないか。俺なんかが、この剣を取っても本当にいいのか――。
「大丈夫っすよ」
俺の心の中の疑問に答えるように、チエチカが声をかけてきた。
「だって、ケントさんは俺を命懸けで助けてくれたじゃないっすか。ケントさんならいけますよ」
「……でも」
「いい加減うじうじするのやめなって」
俺の肩に手が置かれる。横を見ると、自信気な笑みを浮かべたメリナさんがいた。
「そりゃ色々心配だろうけど、あたし達がいるからさ。あたし達がケントにのしかかる期待も一緒に背負ってやるよ」
「期待がのしかかるように仕向けた本人が言うなよ」
「ははは! 間違いない!」
「じゃあ、私も言いますね」
声を上げて笑うメリナさんの横で、パトリシアが力強い声で言いきった。
「ケント様1人に背負わせません。期待も不安も一緒に背負いますし、一緒に戦います。……ケント様は、絶対に私達が守ります」
「……」
俺は4人の顔を見回してから、目の前に差し出された銀色の剣を見つめた。小さく息を吐いてから、差し出された剣に手を伸ばす。
ここまで期待されて、背中を押されて、逃げられるわけがない。もう、選択肢は1つだ。
逃げられないこの状況を受け入れろ。やらない理由を探すのは諦めろ。
――でも、諦めてはいけないものは諦めるな。
「……俺、やります。できるかどうかはわからないですけど」
俺はアニエスさんから剣を受け取る。ずっしりとした重みが俺の腕にのしかかった。
アニエスさんは両手を組んで胸に当て、にっこりと微笑んだ。
「……ありがとう。その剣は先代勇者が使っていたものよ。きっと、あなたの光魔法の力も高めてくれるわ」
「ありがとうございます」
俺は先代勇者の剣を強く握り直す。
みんなが俺に期待してくれている。
ならば、俺も俺に期待しよう。
――もう、俺は俺を諦めたくない。