第七話
有馬くんが言った事は要約すると、『細かい話は上でしたいから一度地上に来い。案内は一級二人がやるし、地上に出てから迷宮省までの交通手段は用意しておく』だそうだ。
一応話をする前に配信を付けながらでいいのかと訊ねたところ、問題ないと言われた。
なんでも「そっちの方が警戒しなくて済むだろう」との事。
流石は有馬くん、僕の事を良く分かっている。
僕達は人の事を信じたいと言っておきながら、人は善性だけでは動けないし生きていけない事も理解している。だから最悪を常に想定し続けたし、その結果が報われた事もある。というより、当時の人間でまともな精神を保ててた人間は皆割り切っていた。
これも現代風に修正できるように尽力しないと。
多分この考え方はそぐわない。
『────以上が、こちらから一先ず提示できる話だ。質問はあるか?』
話の区切りがついたところで、有馬くんがそう言った。
質問か……
今聞くべき事があるかと言われると難しい。
僕としては有馬くんの対応と配信を流し続けてもいいという開き直りから、信用してもいいだろうという感覚がある。
これだけ堂々と衆目に晒せと言っているのは、やましい事が無い事に他ならない。
それすら利用する程の悪意を彼からは感じない。
それを踏まえると、僕からは寧ろ譲歩をしてやりたいくらいだ。
「……いや、問題ない。そっちこそ僕に対して要求しなくていいのかい?」
『ほう、要求だと』
「ああ。例えばこれ以上余計な口を開くな、とか」
『ははは! あなたのような功労者、いや、文字通り人を捨ててまで世界を変えた英雄にそのような仕打ちをするものか』
「五十年、何もしていなかったのに?」
『五十年前の功績が大きすぎるのですよ』
「僕じゃなくて、僕の仲間達の功績だと思って欲しいんだけどなぁ」
苦笑しながら伝えた。
嘘偽りない僕の本音だ。
僕は褒め称えられるような事は成し遂げられていない。
本当に褒め称えられるのは、一人の犠牲も出さず、ただ己の力だけで世界を救えるような超人であるべきで僕はそこに該当しない。
それこそ漫画や小説のスーパーヒーローのような人さ。
僕には自分を守る力はあった。
敵を倒す力もあった。
でも、全てを守れなかった。
なのに希望にならねばならないとみんなで苦汁を呑み卑下しながら自分達が救いだと言い張った。
そうでなければ守れない命があったから。
しかし口にはしていない僕の感情を見透かしたように、有馬くんは凛然と告げる。
『傲慢ですな』
「……そうかい?」
『ええ、極めて傲慢です。あなたは英雄と讃えられるべきであり、それをさせなかったのは我々の脆弱さからなるもの。あなたが消えた事すら、いや、あなた達が存在したことすら公表できなかったのは、我々の罪だ。それすら奪おうなどと……』
「それは仕方ない。みんな覚悟していたさ。自分達は決して表舞台に出る事もなく、誰にも知られず、どんな偉業を成し遂げたとしても知られる事は無いって」
『……耳が痛い話です』
「そう? 僕は君の事を尊敬しているよ、有馬頼光」
希望ってのはね、潰えてはいけないんだ。
特に絶望ばかりが目の前にあって、一寸先の暗闇すら抜けられないような時代では、希望は絶対的な象徴として皆を勇気づけられなければならない。
僕らは希望になることを目指しながら、その道を諦めていた。
なぜなら、死ぬ覚悟をしていたからだ。
生き延びる事ではない。
死んでも敵を殺す事を考えていた。
家族、友人、家、全てを失って復讐に取りつかれた彼女も。
そんな復讐に囚われた少女を放っておけなくて、共に戦った彼も。
富める者の義務だと言い、約束された安寧を放り投げ戦地に赴いた彼女も。
皆、敵を殺す事を考えていた。
自分が生き残れなくてもいい。
一体でも多く敵を殺してこの国を、社会を、文明を守る。
その共通認識こそが僕達を縛り付けた絶対のものである以上、僕らに死なないように耐え忍ぶ選択肢は無かった。後ろで控えて指示を出したり、人々に激励を飛ばしたり、責任を持って導くという事は出来なかった。
なぜならもしも僕らが死んだとき、絶対的な希望が潰えてしまうからだ。
だからこれでいい。
その分、表立って皆を導いてくれた有馬くんの事は尊敬している。
『──……懐かしい話だ』
彼にとっては遠い昔の話だろう。
でも僕からすればつい先日の出来事だ。
五十年間激動の日々を送り続けた有馬くんと、五十年間ただ一人薄暗い地底に閉じ込められただけの無能では、あまりにも差がありすぎる。
「そうだね。懐かしい話だ」
『ええ。いつまでも話していたいところですが、今は都合が悪い。先程の条件でよろしいか?』
「構わないよ。正直な事を言えば、護国に繋がるなら実験体扱いでも良かったんだけど」
『な……何を仰るか。もうそのような時代ではないのです』
「ははは、冗談冗談。流石にそれは理解したさ」
:有馬の爺さん動揺してて草
:そりゃ動揺もするわ
:覚悟ガン決まりすぎだろ
:怖いよ
「ジョークだってジョーク、ははっ」
「笑えません」
桜庭女史に言われてしまったので、僕のギャグセンスはやはりダメダメらしい。
少し悲しい気持ちになった。
「でも、本当に安心した。人は逞しく生きていけたんだな」
しみじみと呟いてしまう。
これから何度も感じる事があるだろう。
まだ地上にすら出ていないのに人と話しただけで嬉しくなる。五十年の孤独と絶望は想像していたよりも僕の心に積み重なっていて、それを無意識に吐露してしまうくらいには重荷に感じていた。
きっと僕の仲間達ならこんな浅ましい感情を抱く事は無かっただろうに。
情けない。
溜息と共に吐き出したくなる想いをぐっと堪えた。
「……勇人さんって、人が好きなんですね」
霞ちゃんがそう言った。
「そうだね。僕は人が好きだ。色んな感情があるし一言で言い表すのは難しいけれど、間違いなくハッキリと言える。人が逞しく光のような生き方をするのが好きなんだ」
:人間賛歌だなぁ
:五十年前の死生観でこんな人間賛歌唱えられるのすごくねえか
:今のダンジョンと違ってガチでモンスターの侵攻戦とかで戦って来た人だから、思う事はありそう
:そりゃ表には出てこない暗い話もあるよ、俺も聞いたことあるし
「それでも僕は人が好きだよ。じゃなきゃあんな風に戦ったりはしないさ」
何度でも繰り返し言おう。
僕のような役立たずが生きていく事を許してくれた社会が、そしてそれを支えていた人々の事が、僕はたまらなく好きだ。
だからこの身を捧げていくらでも戦うし、時に辛く悲しい思いをしても足を止める事は無かった。足を止めても何も解決しなかったという事と、それでも進み続けろと背中に託されていたのと、僕自身がこの世界を侵略するモンスターを殺してやりたかったから。
「……なんかこの発言、上位種っぽくてよくない?」
「洒落になりませんってそれ」
「だって事実だし……」
「事実だしじゃありません! 困るんですよ聞いてる方は!」
ちらりと一級二人に視線を向けると、桜庭女史は呆れた表情で、御剣くんはまた苦笑していた。
:ぷんぷんしてる霞かわヨ
:実際喋るモンスターの呪い受けて半分リッチ?とやらになってるんだからそりゃ上位種よ
:しかも女の子への命令権もある
:忘れてた エッチなことしたんですね
「し、してる訳ないでしょ!!」
怒りで顔を真っ赤に染め上げ絶叫する少女を尻目に、改めて通話越しに繋がったままの有馬くんに声をかけた。
「一旦通話は切る。途中経過は配信を見ながら確認して欲しいのと、この配信ってどれくらいの人が見てるんだい?」
『今は五十八万人、注目度は異常なほどで、これから迷宮省にメディアや新聞社の取材が入るでしょうな』
「そりゃまた……報道機関は信用に値する?」
『問題ありません。それこそ一度上に来て、様々な事をご覧になっていただいたほうが良いかと』
「そっか、何から何まで助かるよ」
『いえ、まだまだ報いきれてませんので。それでは後ほど』
「うん、また後で」
そうして有馬くんとの五十年振りの会話は終了した。
ただ声を聞いただけなのに、話を聞いただけなのに、まだこの目で何も確かめていないのに心臓が高鳴る。
僕らの戦った未来がどんな姿をしているのか。
復興して発展した姿はどうなっているのか。
そして、あの頃関わった人たちはどこで何をしているのか。
この五十年間で何度も何度も夢見た希望に満ちた妄想が、脳裏をよぎった。
「──……よし、移動すっか。勇人さんもそれでいいか?」
「ああ、案内を頼む。霞ちゃんの救援が仕事だったのに、面倒事に付き合わせて申し訳ない」
「そんな事思うかよ。寧ろ光栄だぜ」
御剣くんは笑って言った。
「黎明期に世界を救う切っ掛けとなった男と最初に会えたんだ。これを光栄だと思わねえ探索者は居ないさ」
「その通りです。有馬一級があのような態度をとった時点で全ては明白、案内を務めさせていただく事を誇りに感じていますよ」
「……ありがとう。その言葉は、本当に嬉しいよ」
深く噛み締める。
隣にいる霞ちゃんの心配そうな視線も、今だけは黙って受け入れた。
……ああ、そうだ。
地上に出て落ち着いたら、皆の場所に行かなきゃ。
どこで死んで、どこに置いて来たかは全て覚えている。
だから、うん。
もし緊急を要するような状況じゃ無ければ、皆の墓参りも目標に入れようか。
勿論、霞ちゃんの目標を手助けしながらになるけどね。
ダンジョンの中を歩く事およそ四時間、何度か突発的な戦闘が発生したが全く損害なく地上への出口へとたどり着いた。
僕に、地上の最高戦力の一角である一級が二人。
それに加えて魔改造されたスケルトンに中層程度までなら一人で歩ける霞ちゃんが揃っているんだから、そりゃ何事もなく戻ってこれるに決まっている。
──しかし辿り着いたそこには僕にとって初めて見る扉。
入った時には無かったもので、明らかに人工的な手が加えられていた。
「……流石に見覚えがないかな」
「ダンジョンの出入り口が改装されたのは今から二十年程前の事ですので、わからないのは無理のない事かと」
「知らない事が沢山ありそうだ」
学ばなければいけない事が数え切れないほどある。
その事実が堪らなく嬉しい。
かつての僕は敵を殺す事でしか役に立てなかったけど、今のこの時代なら、もっと色んな形で役に立てるんじゃないかって淡い希望を抱いてしまう。きっとそれで許されることは無いだろうけど、それくらい社会は寛容な姿に戻ったのだと思えば、嬉しい限りだった。
「んで勇人さんよ。出るにあたって一つ問題があってな……」
「問題?」
「ああ、それだ」
そう言いながら御剣くんが指をさした先には──漆黒のスケルトンが佇んでいた。
「地上に出していいかどうか、決めあぐねてる」
「モンスターだもんね、どう見ても」
「個人的には問題ないと思ってるが、流石に一存で決められることじゃねえ。だから上に聞いた」
「ほう、仕事が早い。それで?」
「『なんとかして目立たないように出来ないか』、だってよ」
「それはまたなんとも……」
そもそもスケルトンは僕が使役していると思わしき存在であるが、僕が生み出した訳ではないのだ。言う事は聞くし最早第二の相棒と呼べても、彼もしくは彼女の事を全て理解できていない。
「うーん、どうしたものか」
一体どこから来てなぜ僕に従うのか。
リッチという特性を確かめる作業に追加しておこう。
魔力なんていう不確かなものをエネルギーとして確立した今の技術力ならば、それくらいの事は調べられる筈だ。
「車……で、いいんだよね。交通手段は」
「そうだ。魔力で走る」
「もう何でも魔力か、凄いな」
「その分税金に加えて魔力も一定量取られてるけどな」
「それで済むならいいじゃないか。エネルギーの自家生産が可能だなんて、とても信じられないよ」
:逆にそれが出来なかった時代ってどうやって生きてたんだ?
:色んな発電所を利用してたらしいけど……
「火力発電、水力発電、風力発電、色々あって僕達も触れにくいけど、原子力発電。これらが主軸となって電気を生み出してたね」
:……足りんの?
:足りてなかったと言われてる
:当時って今より人口多かったんだよな。今より頼りない設備でようやるわ
:魔力式発電所が出来てからは本当に生活が楽になったってじっちゃんばっちゃんが言ってた
「まあ、足りないなら足りないでやりようはあるのさ。それより……」
相変わらずじっと待機しているスケルトンに目を向けた。
どうしようかな。
五十年近く共に暮らして来たから愛着があるし、置いていくのは忍びない。
かと言って堂々と地上にモンスターを連れて行くのも良くないし、迷宮省としては連れてきて欲しいんだろうけど、目立たないようにってのがまた引っ掛かる言い方だ。
「……いいんじゃないですか? そのまま連れて行っても」
「それはまた、どうして?」
悩んでいる間に、桜庭女史がそんなことを言い出した。
「お忘れかもしれませんが、我々は一級探索者で、この国における最高戦力の一つです。一番上とは言えませんが、この国に現存する大半のダンジョンを踏破してきました」
「仮にスケルトンが問題を起こしても抑えられる自信があるって事?」
「包まずに言えばそうなります」
:勇人さんが化け物すぎて忘れてたけど一級って化け物だったわ
:数えるほどしかいないんだよなぁ
:でも二十人近くいるじゃん
:二十人近くしか居ねンだわ
コメントの雰囲気から察すると、一級というのは嘘偽りない強さの証。
スケルトンと手合わせをして抑えられると判断したのかもしれない。
まあ、この子の神髄は僕のサポートだから、単体戦力はその位なのかな。これも後で検証しておきたい事柄だ。
「……ま、それもそうか。俺達がなんとかすりゃあいいだけか」
「私としては、御剣さんが言わなかったことに驚いています」
「言えるわけねーっての。こんな重大な事俺が決めたら上司と師匠にぶっ殺されるわ」
:上司……あっ(察し)
:師匠も上司も殴られたら死ぬレベルなの草
「……暴れないでくれよ?」
スケルトンに声を掛けた。
じっとしていたのが、ガチャガチャと金属を鳴らしながら首を振ったように見えた。
気のせいだけどね。
このスケルトンには意志がない。
僕に付き従い命令に背かないだけで、自我というものは持ち合わせていないんだ。
「言ってる事がわかるんですか?」
「いや、何もわからない」
「えぇ……」
「でもどうしてか僕の言う事は聞く。とりあえず地上で調べたい。迷宮省もそう考えたんじゃないかな」
:なるほど
:理由がわからないのは怖くね
:暴れ出したら責任取れんの?
:そうなっても大丈夫なように一級二人がいるんだろ
:数十年一緒に居たのに知らないのか……
:でもお前らも数年見てるDstreamerが結婚してる事知らなかったじゃん
:あ、逝く
:マジでやめて
霞ちゃんも半ば呆れ顔だ。
しょうがないじゃないか、わからないことはわからないんだから。
「開き直るのは良くないですよ、もう」
「あはは、ごめんごめん。でもわからない事は本当だから」
:仲良くね? やっぱり。
:昔の仲間ともこんな距離感だったのかなぁ
:それを聞くのは流石にデリカシーないから止めろよ
「ああ、落ち着いたら聞かせてあげる。僕も仲間達の事は多くの人に知って欲しいからね」
とはいえ、それは今ではない。
スケルトンに持たせていた武器を取り敢えず回収しておいて、と。
「持ちましょうか?」
「いや、いいよ。僕が作ったものだし」
腰に適当に括り付けちゃえば邪魔にはならない。
最悪手で持って運べばいいしね。そんなことで他人の手を煩わせたくはない。
「ならいいですけど……困ったら言って下さいね」
「うん、ありがとう」
霞ちゃんは優しい子だ。
色々巻き込んでしまったのに、それでも僕に対してこうやって気を遣ってくれる。正直な事を言えば命を救ったのは確かだけど、それ以上に迷惑をかけていると思っている。
だから彼女の願いは叶えてあげたいし協力したい。
上に出たら、そこら辺の話もしないとな。
「準備いいか?」
「待たせて申し訳ないね。もう大丈夫だ」
「心の準備は大事だろ」
──……察されてたか。
ちょっとだけ、上に出るのが怖かった。
崩れた家屋に荒れ果てた街並み、そこら中に転がる人の遺体や肉体だったもの、感染病や腐臭に悩まされながら進んだあの頃。
今でも鮮明に思い出せる。
死体特有の焦点のあってない瞳が僕を見ていた。
モンスターに喰われたであろう男性の上半身、その右側半分だけが地面に落ちていた。
燃やされた家屋と肉の焼ける臭いが充満した街には、モンスターが巣穴らしき拠点を作成していて、その中には思い出したくも無い程悍ましい光景が広がっていた事。
もうあの地獄が広がっていないのはわかっているけど、それでも、脳裏にこびり付いたあの惨劇が浮かび上がる。
どれだけ言葉で聞いても、どれだけ話をしても、どれだけ説かれても──この目で見るまでは信じる事は出来なくて、この目で見るのが怖くて仕方が無かった。
でも、もう大丈夫だ。
僕は今一人じゃない。
スケルトンは喋ってくれないけど、僕に付き従う信用できる存在。
霞ちゃんは僕と並ぶには力不足かもしれないが、それでも伸びしろ十分で何より信頼している。僕らは一蓮托生、これから人生の目標を共に叶えに行く仲間だ。
御剣くんも桜庭女史も、そして、有馬くんも。
皆、僕の事を気遣ってくれている。
信じろ。
もうあの時代じゃない。
人を心の底から信じてもいいんだ。
たとえそこに打算があったとしても、悪意はない。
深呼吸を二度挟んで、呼吸を整えてから、御剣くんと見合った。
「行こう」
「ああ。んじゃ、その前に一つ。ちと早いかもしれんが、こればっかりは俺達の特典だと思ってやらせてもらうぜ」
「うん?」
桜庭女史と御剣くん、両名が扉をそれぞれ開いていく。
差し込む光。
長い間見ていなかった日光は酷く眩しくて、火を燃やしていた時よりもよっぽど身体を蝕んでくる。
でも、それがどうしようもないほど心地いい。
目を細め、視界を庇いながら歩いてく僕の背中に、御剣くんの歓待が届いた。
「────俺達は、あんたの帰還を歓迎する。ようこそ現代へ、黎明期の勇者様」
──扉を抜けてまず初めに感じたのは空気。
ダンジョンの中で滞留し淀んだ空気とは違う、自然が生み出した新鮮なもの。心地よい冷たさで頬を撫でつけるそれが鼻を通り肺を満たしたのと同時に、先程まで眩いだけだった光が目に馴染みはじめ、視界に風景が映る。
空は夕暮れ時の茜色に染まっていて、所々に浮く雲がノスタルジーを感じさせた。
周りは人工物で囲まれてるけどどちらかと言えば壁の内部と言った印象を受けて、ダンジョンは一応脅威として処理しているんだと納得できる。
でも、空は見える。
風も浴びれる。
それだけで僕の心を決壊させるには十分すぎた。
空……そうだ、空だ。
頬を撫でる風。
沈み行く太陽。
紛れもない、僕の知る原風景だ。
「久しぶりの地上はどうだ?」
「…………ああ、…………最高だよ」
久しぶりに空を見たら何を言おうか。
そんなことを五十年、何度も繰り返し考えた。
なんてことのない、叶わぬ夢を夢想して心を慰めているだけに過ぎない行為だったけど、それが幾分か僕の負担を軽くした。
空が綺麗だ。
曇天もいいね。
雨は嫌いじゃない。
雪が降るなんて、珍しい。
季節、状況、ありとあらゆるパターンを考えて自分を慰める日々。
あの虚しく寂しい毎日が終わりを告げたのはきっと、今この瞬間なんだ。
「本当に…………最高の気分だ」
呟いた僕に、誰も声を掛けなかった。
正直、すごく助かった。
本当に情けない話だけど、こみ上げてくる感情を抑えるので精一杯だったから。
しょうがないだろう、こればかりは。
五十年間、数え切れないほど悔やんだ。
地底が開きモンスターが溢れ社会が死んだ事、そんな社会の中でも必死に足掻く人たちを助けたかった事、僕一人では力不足で偶然出会った仲間と協力して戦った事、その中で仲間達が死んだ事、僕は誰一人救えなかった事。挙句の果てには、地底に閉じ込められ人間すら止めてしまった事。
その全てが一度にこみ上げて、形として吐露したくなってしまった。
僕らの戦いに意味があった。
そう肯定されてるようで、心の底から、涙がこぼれてしまいそうだったんだ。
:やばい、泣きそう
:五十年ぶりの地上へおかえりなさい
:戦ってくれてありがとう!
:あんたが戦ったお陰で俺は生まれたんだと思うと感謝してもしきれんわ
:今度九州にも来てくれよ! 美味い物あるから!
「……ははっ、泣かせるなよ……」
目に見える形で人々が僕の事を祝福してくれている。
こんな、こんなにも、報われていいのだろうか。
僕は仲間を犠牲に生き残り、背負った全てを無駄にしないために戦い続けただけなのに。五十年もの間復興に力も貸せずただ地下に囚われていただけの僕なんかが、こんな万雷の拍手を受けるかのように人々に受け入れられて──仲間に申し訳なく思うのと共に、どうしようもないくらい嬉しい感情が胸の内を占めていく。
噛み締めるように流れていくコメントを見ながら、隣に並んだ霞ちゃんに声をかけた。
「……ん、大丈夫だ。そんな顔しなくていいよ」
「……はい。無理しないでくださいね」
「心配性だなぁ、霞ちゃんは」
「パートナーですから、当然でしょ?」
惚けた僕に対し、ニコッと笑顔を作りながら言った。
……おや。
霞ちゃんから敬語が外れたね。
僕としてはそっちの方が好ましい。
僕らはただの協力関係ではない。
上手く事が運んでいるとはいえ、最悪の場合全てを隠し通して目標を推し進めようと覚悟していたんだ。互いに命を救い合った同士、それなのに上下関係があるのは寂しいだろ?
「霞ちゃん」
「なんですか?」
「敬語、いらないよ」
「……あっ!? は、外れてました!?」
「いや、良いんだ。パートナーだって言うなら敬語は外して欲しいな」
「で、でも……」
:キツいお願い来たわ
:世界を救ったかもしれない英雄、しかも五十歳年上を呼び捨てはかなり難易度高い
:有馬の爺さんを名前で呼び捨てした挙句普通に話しかけられるかって問題ねこれ
:無理すぎる
「う、ううっ……!? どうすれば……!?」
「うーん、本当にそんな気にしないで欲しいんだけど……」
「気にしますから!」
「でも僕は敬語無しの霞ちゃんが好きだぜ」
「す……っ!?」
:!!!?!?!?!!?!?wwwww
:映像だけ見るとイケメンに誑かされてるだけなんだよなぁ
:何も間違ってねえだろ
:俺の霞が!
:それは違うだろ
「あっはっは、阿鼻叫喚だ」
「俺達は何を見せられてんだ……?」
「……世界を救った勇者も人間だという事を見せられているのかと」
桜庭女史、冷静な解説ありがとう。
コメントの流れや有馬くんの発言から鑑みるに、僕の事を過剰評価している節があると思った。
僕は決して聖人君子などではない。
僕の仲間が皆亡くなっているのが本当に口惜しい。
彼ら彼女らが生きていれば、僕の恥ずかしい話や情けない部分を嬉々として語ってくれただろうに。笑い話として消化した上に僕に対する認識も改める、そんな風に変えてくれたはずだ。
それがないのだから、自分で印象を変えていくしかない。
「でも、霞ちゃんに敬語を止めて欲しいのは本音だ。ダメかい?」
「……どうしても?」
「うん。どうしても」
:その顔で言うの止めて、ホント
:お願いされたらなんでも叶えたくなる顔してる
:ピアス付けたら完璧。
:でも全体的に柔らかい雰囲気あるからそれもまた違うんじゃね
:この優しい表情のままモンスターを殺してるの、ちょっと狂気を感じる
:狂気がなきゃそんな戦わんだろな
すごい好き勝手言われてる。
でも大方かつての仲間に言われてた通りの評価だ。
嘘は言ってなかったんだな、皆……。
そして悩んだままの霞ちゃんはやがて顔をあげ、僕の目を見ながらハッキリと言った。
「わかりました、敬語はやめます。でも勇人さんって呼ぶし、敬意は失くさない。それくらい良いでしょ?」
「ああ、ありがとう。君に救われて良かったとつくづく思うよ」
「っ……そ、そういう事、あんまり言わないで欲しいなぁ」
:ひゃだ……!
:ズバリ、これは結婚でしょう~! ──死
:いつも通りの霞なのになんかデレデレしてて寝取られた気分
:そもそもお前寝てねえだろ
:霞なら俺の隣で寝てるよ
:じゃあこれは誰なんだよ
:この人臆面もなくドストレートに感情伝えるから、霞みたいなタイプには特攻入ってる気がする
:ああ、それはある。ユズが唯一交流あったのも納得だ
:こいつ友達居ないもんな
:友達居ないし男友達なんて以ての外なのにイケメンに引っ掛けられて大丈夫?
「……いや、別に唯一とかじゃないし。友達くらい居るし。ていうか引っかけられてないし。勇人さんは勇人さんだから、別にそういうのじゃないし」
:嘘つけ
:ただ話すだけの人は友人とは呼ばないからな
:一緒にご飯食べたのがユズハルだけなのマジ?
:学校で昼食一緒に食べた人数二人なのマジで好き
:てかお前無事なら早く二人に連絡したれよ、病んでるから
「う……それは、うん。すぐやる。やります」
そして小型タブレットを操作し始めたところで、タイミングを見計らっていたのか、御剣くんが会話に入ってきた。
「本当ならここの案内もやってやりたいんだが、残念な事に時間があまり無い。このまま車まで移動するぞ」
「一々足を止めて申し訳ない。でもちょっと、やっぱり……感じ入る事が多くてさ」
「それはわかってる。俺も個人としてはもっとゆっくり、余裕をもって丁重に対応したい。ただなぁ、あまりにも緊急だったから……」
「それは霞ちゃんに言ってくれ。彼女が僕の元に来なければ、こうやって空を見上げる事すら叶わなかったんだ」
本当に感謝している。
霞ちゃんの反応から察するに、彼女は僕に対して特に何もしていないとでも思っているんだろう。
まずその前提が違う。
僕にとって彼女は救ってくれた恩人だ。
五十年もの間囚われ続けた地底から解放してくれた張本人で、かけがえのない人。一生かかっても返しきれない恩を持つことを、彼女は理解していない。
タブレット端末とにらめっこしている姿を横目で見ていると、そう思う。
「また来る事もあるだろうしね。その時に紹介してもらうよ」
でも、焦る必要はない。
僕らは出会ったばかりで、互いを理解しきるまでたっぷり時間がある。
ダンジョンに共に潜り絆を深めて行けば、自ずとわかるようになる。
そうだよね、皆。
僕らはそうやって仲良くなっていった、そうだっただろう?
だから、今はこれでいいんだ。いつか彼女に理解して貰えればそれでいい。というか、非常に申し訳ない話だけど、僕はそれしか知らないからね。
:来ることがあるって……まだダンジョンに潜んの?
:もう十分戦ったから休んでいいんですよ
「気持ちは受け取る。でも僕にとってこの戦うという行為は本当に大切で、野蛮でおぞましいものかもしれないけど、モンスターを殺している時こそ社会の役に立っていると実感できるんだ」
あの時代、火事場泥棒なんて生易しいものではない悪党も多くいた。
もう救いようのない人をこの手で始末したことがある。
警察に突き出そうにも当時は機能してなかったし、今でもそれが正しい事だったかはわからない。ただ少なくとも言える事として、彼らに貪られるだけだった人達は僕の行為に感謝を示していた。それと同時に僕を恐れた目で見ていた。
その後だったな。
最初の仲間に出会ったのは。
そして教えてくれたんだ。
変えるべきは人ではなく世。
私は乱世を終わらせる、力を貸せ。
私はお前に戦う知恵を授ける。
共に戦おう────忘れられるわけもない、大事な記憶。
五十年も昔の思い出に縋ることの情けなさは、どうか許して欲しい。
今の僕にはそれしかないから。
「僕は戦うよ。この世界からモンスターとダンジョンが駆逐できないとしても、この社会を壊そうとする存在とね」
それこそがこれまでの僕の存在意義であり、これからも掲げていく信条なんだ。