第十八話
『勇人。お前に言わなければならない事がある』
山の中での野営中、最初に仲間になった女性がそう切り出した。
他の二人は食料の調達に出向いており、簡易的な寝床を作り火おこしを終えて腰を下ろしたタイミングだった。
『なんだい? またお説教かな』
『ほう、そう言うという事はつまり、お前は説教される心当たりがあると』
『うそうそ、冗談だ。いつも二言目には「たわけ」だの「そうじゃない」だの言われてるから、ついね』
『それはお前が悪い。だが、まあ、そうだな。あながち説教というのも間違いではないか』
そう言いつつ、その表情に怒りはない。
一体何を言われるのかと若干そわそわしつつ、軽く吹いた風が木々と葉を揺らして奏でた音を聞きながら待った。
『……今後、いや、将来の事だ。以前、私達の戦力はお前に依存していると話したな』
『ああ、あれか。そりゃあ僕は戦う力だけを見込まれてるんだから当然と言えば当然だし、皆が居ないと僕は何も出来ない。そう伝えたよね』
『だが事実として、個としての力が抜きんでている。だからこれは私の個人的な推測に過ぎない話だ』
『ん、聞こう』
パチパチと火が弾ける音が鳴る。
いつもハキハキと言葉を紡ぐ彼女が妙に歯切れ悪く見えて、それほど都合の悪い事を話すのかと身構えた。
そして、その身構えた行為は正解だった。
『恐らく、我々は志半ばで死ぬ』
『……笑えない冗談だ。なんでそう思ったの?』
『先日の戦い、瀬戸内海に出現した地底での戦いでそう悟った。敵の量、質、攻勢の激しさ……どれも私達では対応しきれない苛烈なものだった。事実として、この様だ』
彼女は服を捲り腹部を見せた。
そこには抉れた傷跡と、焼けた跡。
炎の息を吐くモンスターと魚型のモンスターが居たなと先日の戦いを想起しつつ、そんな重傷を負っていたた事をなぜ話さなかったのかと問いただそうとして、気が付く。
あの時彼女は僕に言った。
お前が倒せ。
お前しか出来ない。
お前が奴を殺さなければ、ここで全滅だ。
その後単身突撃しエリートとの戦闘になってから、僕は皆の姿を見ていない。
見たのは全てが片付き残党戦力を撫で斬りにしてから、休息し怪我の治療をした後の事だった。
『…………ごめん。僕がもっと手際よくやれていれば……』
『違う。違うんだ。もう、私では対応出来ていない。それだけの話なんだ』
『これまでそんな事なかったじゃないか。なんでまた急に、そんな……』
傷をそっと撫でてから、服を元に戻して彼女は続ける。
『エリートをこれまで十体近く葬って来た。敵の正体は未だ不明だが、この国に力を注ぐべきだと判断したのだろうな』
『……つまり、僕らの所為か』
『ああ。無論、これ以上の戦力がある可能性が高い。次か、その次か、はたまたその先か──タイミングはわからないが、確実に私達は死ぬ。地底で誰にも知られること無く息を引き取るだろう』
淡々と話す彼女に、なんと声をかければいいかわからなかった。
その言葉の後に続くものが何か、理解できたから。
『あくまで我々はな。だが、お前は違う』
『…………そんな事、言うなよ。僕らはこの国を支える、その為に戦ってるんだろ。途中で死んだら支えれないじゃないか』
『そうだ。国を支える、富める者の義務だ。私は私の信条に従って生きている。死ぬとわかっていても、この役割を誰かに任せられないのだから、遂行しきる覚悟がある。……それでも、生き延びられるかは別の話だ』
情けない事にな、そんな事を言いながら、彼女は苦笑する。
『きっと私達は死ぬ。でも、お前は生き残る。生き延び続ける。戦い続けられる力と覚悟がある。お前もその部分に関して、隔絶した差がある事はわかっているだろう』
『それは…………』
『だからそう結論を出した。きっと私達が息絶えても、お前だけは戦い続ける──戦い続けてしまうだろう、と』
そう呟く顔は酷く後悔の乗った表情で、初めて見る姿だった。
噛み締めるように口を結び眉を寄せ、何かを強く悔いているように歯を食いしばってから、改めて僕に視線を向ける。
『もしそうなったら、お前は……』
『戦うよ』
言葉を遮り告げる。
そして余計な言葉を言わせないように、二の句を紡いだ。
『僕は戦うよ。皆死んでしまったとしても、人々に石を投げられたとしても、この国に善良で光を宿し前を向いている人が居る限り。この世界を諦める事は絶対にない』
『…………そうか』
僕の宣言を聞いてどこか安堵した表情の彼女を見て、思う。
一体何を言おうとしたのだろうかと。
でも、それは言わせない方がいいような気がした。
『そもそも、死ぬと決まった訳じゃないだろ? ここから戦力が低下した相手を一方的に倒せる可能性だってあるわけだ』
『……ふ、そうだな。その通りだ。すまない、弱気になっていた』
『勘弁してよね。頼りにしてるんだから』
『ああ。まだまだ戦いは続く、こちらこそ頼りにさせてもらうぞ』
どう見ても空元気なのがわかる笑顔を浮かべながら彼女は言う。
僕に出来る事は何もなくて、その場を濁し少しでも自分を安心させるための無駄な会話を挟む事をしてしまったのだ。
もしもこの時、言おうとしていた事を聞いておけば。
あの時、後悔せずに済んだのだろうか。
無駄にいい部屋を用意してくれたみたいで、ベランダと言うよりはテラスのような広さがある。
テラスと言うのはおかしいんだっけ?
そんなことを言われたような記憶があった。
勿論僕に金持ちの知識は無いので、大体受け売りである。
「『富める者の義務』────君はそう言っていたね」
お金も地位も何もない僕だけど、こんないいホテルに泊まれるくらいには優遇されている。
五十年前とは何もかもが違う。
宿泊施設なんてたまにしか用意してもらえなかったし、暖かいお湯を使ったのなんて記憶にないくらい遠い出来事だ。川で洗ったり、雨水で凌いだり……富める者とは真逆の生活を送っていた。
それでも彼女は文句の一つも言わなかった。
それが義務だと。
そうしたいからしているのだ、と。
きっと思う事はあっただろうけど、彼女は逞しく前を見続けていた。
社会に、世に、人に、自分に絶望していた僕を立ち直らせてくれたのはきっと、あの光に目を灼かれたからに違いない。
「流石に夜景とまでは言えないけど、綺麗だろ?」
独り言を呟く。
この声を聞く人はどこにもいない。
だからちょうどいい。
霞ちゃんも寝て、監視の目はあっても干渉はしてこないだろうしね。
落下防止用の柵に手をのせて眼下を見下ろす。
コンクリートの道路。
家やビルにアパート、遠目にはスーパーマーケットのようなものも見えた。
流通は相変わらず変わってないのか、静かになった街中をトラックが走っている。タクシーはいない。今日が何曜日かわからないけど休日じゃないならそんなものだろう。
ダンジョンが現れる前、もっと人混みで溢れていた時代を僅かに想起してから、何もかもが灰塵になった風景を思い出す。
瓦礫、死体、血だまり、人体の一部、腐臭。
それしかなかった。
それが今やこの光景だ。
「ここまで元に戻ったんだぜ。あの頃から」
もう僕たちの時代は終わった。
だけど、僕たちが生きていた意味はあった。
……僕はさ。
先に死んでいった皆の全てが無意味ではなかったのだと、そう噛み締めたいんだ。
僕らの犠牲があって、守り抜いた人たちが社会を復興させたんだ。恩着せがましくて不愉快だと言われるかもしれないけど、それくらいは許して欲しい。僕の事はどうでもいいが、僕の仲間達の死が無駄だったと思いたくなかったからだ。
不幸中の幸いか、僕には睡眠も食事も必要ない。
そういう肉体になっている。
だからもしこれが最後に拝む月光だったとしても、たっぷり味わうことができる。そこはこの肉体に感謝だ。
「お酒でも飲む洒落た趣味があれば良かったんだけど、残念ながらそんな面白い男じゃないんでね。これで勘弁してよ」
備え付けの低いテーブルに持ってきたコップを四つ並べて、これまた備え付けのミネラルウォーターを注ぐ。
一つ、二つ、三つ、四つ。
水に映った月を見ながら手に取り、一口飲む。
水の味はしなかった。
五十年間で味覚も失っていたらしい。
これが公の場じゃなくて良かったよ。
流石に動揺してた。
「……月見酒ならぬ、月見水。笑われちゃうかな」
僕以外誰も居ないベランダに、手の付けられる事のない三つのグラス。
ただそれだけなのに、何とも言えない感情が湧きあがってしまう。
喉の奥からこみ上げてくる何かを流すために、味のしない液体を口にもう一度含んだ。
「……美味いなぁ」