第十話
「はー、さっぱりした……」
ホカホカと湯気を肌から発しながら、髪の毛の水気を切っていく。
蘇った気分──いやまあ、比喩でも何でもなく本当に蘇ってるんだけど、それとは別の意味で身体を清める事が如何に人間にとって必要な事なのかと実感させられる。
ダンジョンから戻る度に感じていたけど、今回は特別そう思う。
髪の毛は血と汗と油でギトギトで固まってるし、お気に入りの衣装もお釈迦。本部にあるシャンプーとリンスも本当に取り敢えず用意された物だからいつもと洗い終わった後の感触が違うけど、備え付けの道具に文句は言えない。
とりあえず最低限女としての尊厳を取り戻せたからよし!
「ていうか、勇人さんも酷いよ! なんで臭いってわかってる私の匂いを嗅ぎ直すかなぁ……」
今思い出しても恥ずかしさが湧きあがってくる。
普通は女の子の体臭とか嗅いじゃダメだから。
デリカシーが無いって言うか、まあ、そういう対象として見られてないだけなのはなんとなくわかってる。
──さっき、まだダンジョンに居た時の事だ。
配信を付けて質問タイムを設けようってなった時に、勇人さんから伝わってくる感情があった。
『美しいな』……っていう感じの……。
じ、自意識過剰だとは思うよ?
でもそう感じちゃったんだもの。
今勇人さん私の事美しいと思った? なんて聞けないからその場では誤魔化したけど、その後も度々感情が伝わる事があったから確定だ。
私は勇人さんの感情がわかるようになってる。
多分、蘇生してくれたからかな。
魔力の受け渡しだけでもちょっとえっちな概念なのに生命力の受け渡しもしたからだと思う。
なので、勇人さんが私の事を女として見てないのはわかってしまうのだ。
それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。あの人にその気が無くても見た目は顔が整った成人男性である事は変わりないんだから、そこら辺もしっかり教えなきゃ。
自分の顔を低く評価し過ぎだよ、まったくもう。
「うわ、ベタベタだ……」
とりあえず我慢できなくて髪から洗い始めたけど、結局三回は洗う羽目になった。
身体もベタついてしょうがないからシャンプーを泡立てて洗い始めるけど、これもまた何度洗う事になるのやら……
腕から胸、そしてお腹周りをゴシゴシと洗いながら、今日起きた出来事について考える。
夢じゃない。
初めてコラボしてダンジョンに潜って、見たことも無いモンスターに襲われて命からがら逃げだして、下層に逃げ込んだは良いけどもう間に合わなくて。なぜか宝箱に座ってる胡散臭い顔つきしたイケメンに助けられたと思ったら、そこから繰り出される衝撃の言葉。
正直混乱した。
今も混乱してるんだと思う。
冷静に考えているように見えて、多分、どこかで正常じゃない思考が混ざってる。それでも一つ確かな事があるとすれば、私は死に掛けて、そして死ななかったという事。
「……私、生きてるんだよね」
泡が付いた腕に触れる。
私の腕は折れていた。
動かすのも辛くて、治療行為が出来ないほどに損傷していた。
きっと配信のアーカイブを見ればその様子が映し出されているだろう。
それなのに、傷跡一つ残ってない。
そっと身体を抱きしめる。
大丈夫、死んでない、私は生きてる。
あの痛みと恐怖は忘れられそうにないけれど、いつまでもクヨクヨしていられない。
私はお姉ちゃんを見つけるんだ。
私が幼い頃、二級探索者だったお姉ちゃんが消えた。
ダンジョンの中で行方不明になって、結局見つかる事もなく捜索が打ち切られてしまった。遺体すら見つからなくて、誰も入っていない棺を切ない感情を覚えながら見送った。
それが無性に悔しくて悲しくて、自分の無力が憎かった。
だから勉強して身体を鍛えた。
探索者になるために、養成校に入る為に、養成校を首席で卒業するために、お姉ちゃんが消息を絶ったダンジョンに潜るために、我武者羅に頑張った。頑張って頑張って戦って強くなって知恵を付けて、そうして、死に掛けた。
でも生き残った。
勇人さんに出会えたのは奇跡。
私が死ななかったのは、お姉ちゃんのように遺体すら見つからずに消え去らなかったのは、奇跡だ。
それを自覚すると、指先が震えている事に気が付く。
「…………あはは、怖かったなぁ」
今にして思えば、配信を付けたままにしたのは怖かったんだ。
姉のように自分が死んだことすらわからないままこの世から消えるのが、誰にも見つけてもらえないのが、私の生きた証が消え去る事が、怖かった。だって姉の事を覚えてる人なんて殆どいなくて、私が死んじゃったら姉の事を覚えてる人が居なくなっちゃうから。
もし死んでも私の事を探してくれるように、私の姉との関係性を調べて知ってくれる人が居るかもしれないって淡い期待を抱いてた。
……それでも。
私は生き延びた。
決して自分の力じゃないけど、運を掴み取った。
これまで誰にも言えなかった秘密を共有するパートナーも出来た。
誰よりも人の事を信じていて、自分の事はどうでも良さそうに振舞って、心のどこかに暗い感情を抱えてる男の人。とんでもないくらい強いのにそれを誇りに思う事もせず、自分にはそれしかないって寂しそうに言う人。
姉が知らない場所で亡くなっただけでこんなに引き摺っているのに、目の前で仲間を失った勇人さんは一体どれだけ辛い思いをしてきたのだろうか。
想像を絶する苦しみ、悲しみを味わった筈。
それでもなお人類の為に戦いたいと、貢献できるなら死んでもいいと言えるあの人に、私は何をしてあげられる?
一方的に救われただけの私を対等なパートナーだと言ってくれるあの人に、一体何が出来るか考えて、私が辿り着いた答えは──……
「…………強くならなきゃ」
私は弱い。
勇人さんは最低でも一級レベルの強さを持ってる。
四級の私じゃ足手纏いになるだけで、ただ連れて行ってもらうだけの存在はパートナーじゃなくて寄生虫だ。
私の願いは私が叶える。
何もかも勇人さんにやってもらおうなんて考えはない。
「うん。強くなろう」
並び立てるようにならなきゃ。
最低でも一級になって、勇人さんと肩を並べて戦えるように。
かつて一緒に戦ってた仲間の皆さんと同じく、勇人さんと一緒に戦えるようになりたい。ならなきゃダメだ。
そう思うと、自然と身体から震えは抜けて行った。
これからの目標は決まった。
とにかく強くなる。
具体的にはまず三級に合格するのを目指そう。
四級に合格してから三ヵ月経つから、受験に必要な条件は満たした。
筆記はともかく実技がまだまだ追い付いて無いから、下層に一人で潜れるようにならないと……!
「よーし、やるぞーっ!!」
『お楽しみ中のところ申し訳ありません、雨宮さん』
「はぇっ!!!?!?」
え、な、なに!?
外から声をかけられて驚いたけど、良く思い返せばその声はさっきまで聞いていた声で、一級探索者の桜庭さんのものだった。
は、恥ずかしい……
シャワー浴びながら大声上げる変な奴だと思われたかも……
『実は早急にお伝えしなければならない事が出来たので、失礼を承知でご報告に参りました』
「え、あ、はいっ! 全然大丈夫です!」
シャワーは止まってるし、ちょっとだけ肌寒いけど大丈夫。
桜庭さんの話を待った。
『実は……先に今後の勇人さんについての話を、責任者クラスの探索者と迷宮省を交えて行っていたのですが』
「は、はい……」
早急にお伝えする事……なんだろう。
わざわざ私に?
私の処遇も決まった……はっ、まさか、勇人さんが言ってた『命令権』に関して?
ちょっと人間やめたってのがダメだった?
いやでも、検査をするって話してたし……そんないきなり処分なんて話にならないって桜庭さんと御剣さんも言ってた。大丈夫だと、思うんだけど。
不安を飲み込むようにゴクリと喉を鳴らした。
『一先ず、これから一年間は特別探索者許可証を発行する事で落ち着きました。衣食住もこちらから提供し、その間に戸籍情報の整理や銀行口座等生活に必要なものを揃えます』
「本当ですか!? よ、良かった~~……!」
『多少眉唾な話ですが、事実は事実ですから。迷宮省に保管されていた文書にも勇人さんら一行の存在を仄めかすものがあり有馬一級がそれの裏付けを行いましたので、不当な扱いを受ける事はありません。私も安心しました』
本当に良かった……!
さっきまでの疑念は全部吹き飛んで、とにかくホッと息を吐く。
勇人さんが常々言ってたけど、もしも人体実験とかやってたらどうしようかって考えてた。
私は国のことをあまり知らないし、裏で何をやっているかなんて事はわからない。否定も肯定も出来ない知識しかないから、一級の方々が否定しても、漠然とした不安がずっとあった。でもそれが否定されたのはすごく嬉しい。
『本日は迷宮省で用意できるホテルを用意しましたので、そちらに雨宮さんと共に泊っていただくことになりました』
「はい、わかりました」
『……それと、これは私は反対したのですが…………』
「?」
なんだか歯切れ悪く桜庭さんは言い淀んだ。
でもそれも一瞬の事で、すぐに言葉は続けられた。
衝撃の一言が。
『相部屋です』
「…………え?」
『勇人さんと同じ部屋に泊っていただきます』
「……? え?」
────相部屋?
同じ部屋?
なんで?
誰がどうしてそんなことを?
『政治的意図が絡むため、私の口から全ては説明できません。恐らく勇人さんの口から説明していただけるかと』
「…………はぁ、なるほど。わかりました」
『申し訳ありません……』
「あ、ごめんなさい、怒ってるわけじゃないです。ただ……」
『……ただ?』
「世の中、そういう事が意外と多いんだなって。私はまだ子供だったんだって思いまして」
勇人さんは初めから裏の裏まで考えてた。
配信を付けてからも意図のある言動ばかりで、一級である御剣さんや桜庭さんとの会話も意図を探るので精一杯だった私とは違い、少しのズレもなく会話していた。
そういう部分も含めて、まだまだ子供で頼りない存在だと自覚させられる。
「探索者になって……自分の願いを叶えるスタートラインに立ったと思ってましたけど、それは違くて。寧ろこれから頑張らなきゃなって、思ったんです」
『…………その志があれば、きっと大丈夫。貴女はきっと一級になれるし、願いを叶えられるわ』
「え……っ」
『いつか貴女と一緒にダンジョンに潜る日が来るのを楽しみにしておくから。頑張りましょう』
「は、はいっ!!」
桜庭さんが敬語を外して話した……!?
理由はわからないけど、なんとなく認められたような気がして、心の底から嬉しさがこみあげてくる。
この人の期待も裏切らないように、もっと頑張らなきゃ!
『それで、話の続きになりますが』
「はい! なんでしょうか?」
『二人の身体検査はまた明日以降って事に決まりました。ですが、一つだけこの後に予定があります』
「予定……」
なんだろう……
今日中に急いでやる事?
あんまり思いつかない。
身体検査が一番急がなくちゃいけないと思ってたから、それが明日になるなら、今日はもう急ぐことも無いんじゃないかって思う。
うーんうーんと頭を捻るも特に何も思い浮かばず、訊ねると、これまた言いにくそうに桜庭さんは言った。
『その……本当に申し訳ないとは思いますが、これも止めようがなく』
「大丈夫です! 何だってこなして見せますから!」
『……勇人さんと雨宮さん、二人で不知火一級と模擬戦を行って頂きます』
「────…………?」
『理由は現状最高戦力とどれくらいの力量差があるか、そして雨宮さんに関しては、蘇生による能力変化の有無を確認します』
「……えっ?」
『……以上が取り急ぎ報告する内容になります。身体を綺麗にした後、職員が案内しますので、それに従ってください。それでは…………』
扉越しに話をしていた桜庭さんは、そそくさとその場を離れて行った。
不知火一級って……あの、不知火一級?
日本各地のダンジョン全てを踏破した上に、海外でも知名度があって、他国から軍功を授与されるような人と、四級の私が模擬戦?
「…………あ、あはは……また死んじゃうかも……?」