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第二章第六部です。
今回、少しネルくんにバトルをしてもらいました。
いちいち魔法の名前を言うのはどうだろう……なんて思いながら。
バトルパートの文章って、実は苦手です。
誰しも第三者には聞かれたくない話はあるもので、そのときわたしがネルと話した内容はそれに当たる。だから、あえて語らない。たぶん、必要もない。
七日ぶりの再会。わたしとネルの、いつもの集会所。木々のない、あの広場。話すこともお互いに尽きて、沈黙が訪れた。
わたしは必要もないのに会話の糸口を探す。『森の子』だったときは、沈黙のほうが多かったのに『森の人』になってネルがよく話すようになってから、わたしは沈黙が怖くなった。
「ねえ、ネル」
わたしはようやく見つけた話の種をネルに向ける。
ネルは返事をしないで、空を見つめる。星が、輝いている。
聞えてる?
こういう態度には慣れていたはずなのに、今は無性に不安になってくる。
「ねえ」
「聞いてるよ」
そう、優しい声が言う。
「わたしさ、『星降りの夜』の儀式、参加しようと思うんだ」
返事があって、わたしは安心した。
「……そう」
「ネルも一緒に出ようよ」
ネルは考え込むように、空を見上げた。
じっと、ネルが答えてくれるのを待つ。
沈黙が怖い。
「そうだね。……しばらく考えてみるよ」
ネルがわたしを見て微笑んだ。
わたしは言葉を続けられず、笑顔を返した。
話題が尽きた。
もう慣れなれている――はずだった。
わたしは気まずくなって、うつむいた。ネルは再び空を見上げた。
と、森の空気が震えた。
何かがおかしい。
さっきまでとは決定的に違う。ネルも気付いたのか、さっと立ち上がり、辺りを見回している。わたしも立ち上がって同じように森を見回してみた。
「森が……騒いでる」
ともすれば聞き逃してしまいそうな、そんな声でネルが呟いた。
「え?」
わたしにはハッキリとは聞えず、聞き返す。けれど、ネルは二度は言わなかった。厳しい目で森を見つめ、何かを感じている。
「えっ? わあ」
突然わたしの腕を掴み、走り出した。
「ちょっと、きゃっ。どうしたの?」
普段なら絶対につまずかない小石につまずきながら、わたしは聞いた。
「『森の子』が――危ないかもしれない」
そうネルの声は、聞いたこともない、ケンカのときでさえ聞いたことのない、怖い声だった。
エステア湖から離れた場所。『森の子』の居住区。わたしたちは全力でここまで走ってきた。ネルが立ち止まり、わたしは聞きそびれていた質問をした。
「はあ……はあ……ネル、『森の子』が危ないって」
いくら走りなれていても、さすがに息切れはする。ネルもそれは同じだった。
「森が……騒いでた。……、それに、ゴアビーストの魔力も少し感じたんだ」
ネルはそれだけを言って駆け出した。わたしも慌てて追いかける。
ゴアビースト。この森に住む、わたしたちとは違う種族。魔力が強くなったときに動きが活発になるけど、それは普段は活発じゃないってことじゃない。彼らも生き物だ。活動は常にする。
けれど、これは予想外だ。わたしは、ゴアビーストと戦えるような魔法を持っていない。まともな魔法は『小さな友達』だけだ。ソト様は魔力が高いと言ったけど、魔法は下手だ。
ネルはどうなんだろう。
「ネル!ゴアビーストに対抗できる魔法なんて、使えるの?」
走るネルを追いかけながら、わたしは聞く。
「通用するかはわからないけど」
それきり、何も話さなくなった。いや、話せなくなった。
悲鳴が、聞えた。
「こっち!」
ネルが急に方向を変える。わたしはつまずいてバランスを崩した。ネルはどんどんと先に行ってしまう。わたしは慌てて立て直してネルを追う。
悲鳴の発生源。
それは、サトナだった。
「サトナ!」
思わずわたしは叫んでいた。サトナは一瞬こちらを向き、そして走ってきた。
「ミナア!」
こちらに走ってくるサトナの後ろ、そこには一匹のゴアビーストがいた。
「グルルルルル」
ゴアビーストの唸り声が聞えた。
「サトナちゃん、早く!」
ネルが叫ぶ。サトナは歯を食いしばり、こちらに飛び込んだ。
「ミナアァァァァ!怖かったよぉっ!」
わたしはサトナを抱きしめながら、ゴアビーストと対峙するネルを見た。突然現れた邪魔者に、ゴアビーストは威嚇の動きを見せた。
「……ネル」
「大丈夫。サトナちゃんを頼んだよ」
「うん……」
ネルは両手を下げたまま、足を肩幅開いて立っている。その両手は魔力で温かい光を放っている。
「グルル」
じりじりと、ゴアビーストがネルとの間合いを縮める。ネルはただ、視線をゴアビーストに向けている。わたしから見たら、ネルは隙だらけだ。
「帰れよ」
静かな、けれど、有無を言わさぬ声が聞えた。その声がネルから発されたのだと気付くのに、わたしは時間がかかった。
「お前らさ……邪魔なんだよ」
それが開始の合図だった。ゴアビーストがネルに飛びかかる。ネルはただ左手を伸ばし、その手のひらをゴアビーストに晒しただけだ。
思わず目を閉じてしまった。
バンッ! という大きな音が聞えて、ゆっくりと目を開ける。
ネルが、立っていた。
「どうして……?」
わたしが目を閉じるその前と同じ姿勢で、ネルは立っている。ふと思い、ゴアビーストをみると、少し離れた場所で、殺意がこもった視線をネルに向けていた。
「帰れよ」
ネルが言う。しかし、ゴアビーストはじりじりと間合いを詰め始めた。
「ミナ」
その怖い声のまま、ネルはわたしを呼んだ。
「は、はい……」
思わず敬語になってしまう。
「ゴアビースってさ、殺してもよかったっけ?」
表情は見えないけど、その背中とても怖い。わたしは知識を総動員して、その質問の答えを探す。
「あの……正当防衛なら」
たしか、昔の『森の王』とゴアビーストの王がそういう取り決めをしたそうだ。いわく、『互いに両者を傷つけない。ただし、一方が攻撃を仕掛けてきた場合には迎撃者は、その限りではない』。今は、その王もおらず、この取り決めの影響力も弱まっているけれど。そうであったとしても、今の状況は、わたしたちは迎撃者に当たる。どう転んでも、とりあえず自分たちの正当性をアピールできる。
「つまり――」
ネルが、異常なほど冷たい声で言う。
「問題ないってわけだ」
目の前のネルが、わたしの知らないネルになってしまったような気がした。
ネルが伸ばした左手に魔力をさらに込める。それに比例して、光も強くなっていく。
「グルルル」
ゴアビーストが唸る。
「黙れよ。耳障りだ」
ネルが、左手に魔力を込める。
「拘束の魔法『光子の環』」
わたしの知らない魔法だ。ネルはわたしよりもずっと、進んでいる。
左手から、魔力が放たれ、ゴアビーストの体を囲んだ。
「ガアッ」
魔力から逃れようと跳躍するが、それをネルはあざ笑うかのように、「ふん」と笑う。
「防壁の魔法『光子の盾』」
本来身を守るための魔法を、跳躍したゴアビーストの頭上に発動する。
バンッ!という大きな音がした。たぶん、さっきの攻撃もこれでしのいだんだ。
地面に落ちたゴアビーストの胴体と腕を、『光子の環』が囲む。それだけでゴアビーストは動けなくなった。足にも、同様の魔法を、こちらは小さな環が囲む。
「グルルル!ガアアアア!」
身動きができなくなったゴアビーストが唸る。
ネルは不機嫌そうに首を傾けた。ゴキッ、と首のなる音がして、わたしは思わず身を震わせた。
このネルは、わたしの知るネルじゃない。
今この場に限っては、絶対に。
「耳障りだ」
もう一度言って、不機嫌そうに目を細める。
ネルが両手を合わせ、それから少し両手の間を開けた。
「断罪の魔法『光子の剣』」
ゴアビーストに右の手のひらを晒し、左の手で右手を押さえる。
ゴアビーストを取り囲むように、ドーム状に光の剣が現れた。
「ミナ。サトナちゃん」
ネルはこちらを見ずに、背中で言った。
声は、優しかった。
「目、閉じたほうがいいかも」
「う、うん」
わたしは、ネルが何をしたいのかがわかった。わたしの懐で泣くサトナの目を手でおおって、わたしも目を閉じた。
「お前が……いけないんだ」
そう、ネルが呟いた気がした。
「ガッ……」
一瞬、ゴアビーストの声が聞えた。だが、一瞬だ。ザリ、ザリ、と、足音が近づく。
「終わったよ」
ネルだ。その声はいつもどおりの、優しく静かな声だ。さっきのネルが幻のように思えてくる。
「帰ろうか」
「うん……サトナ、帰ろう」
「……うんっ」
サトナは一人で帰れるから、とその場でわたしたちと別れた。思ったよりもしっかりとした足取りだったので、わたしたちは安心してわたしたちの移住区に戻ろうと歩き出した。
さっきゴアビーストと戦っていたネル。
思い出すだけでも怖い。帰っている今でさえ、話しかけるのをためらってしまう。目の前にあるその背中が、遠くにあるように思えてくる。近くにあって、それでも遠い。
「しまった!」
突然、ネルが叫んだ。わたしは驚いて、後ろを歩くネルを振り返る。
「ど、どうしたの?」
ネルは答えず走り出した。もう、わけがわからない。
「ネル! どこ行くのよ!」
慌てて追いかける。ネルは答えない。ただとても取り乱しているのがわかる。
「……どうなってるのよ」
呟き、そして今走っているこの道に見覚えがあることがわかる。
「……嘘」
嫌な予感がした。走る速度を上げる。先を走っていたネルを追い抜き、その差を広げていく。
「ミナ! キミが行って戦えるの?」
後ろからネルの声が聞えたけど、けれど、わたしは止まらなかった。いや、止まれなかった。
景色が猛烈な速度で後ろに流れる。
「嘘だ! 嘘だ!」