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part2です。
楽しみにしていたことをいざしようとすると、それは怖いのかもしれません。
初めてのこととか、今までやりたかったことに関しては、わたしたちはとにかく夢中になる気質の持ち主だ。今回に関して言えば魔法であるわけだが、これはどちらもあてはまり、とにかく夢中だ。これから一緒に生活する家族の人に対して、申し訳ないと思うほどに夢中だ。
というわけで新居を無事見つけたわたしたちは、毎日新しい魔法に挑戦した。全くできないものや、予想以上の出来になったものも、まあ少なからずあった。そして、そのどれをとっても、ネルの方がうまくできていた。
『色彩』の魔法には、まだ一回も挑戦していない。
「ネルすごいね」
「ありがとう」
ネルが右手に咲かせていた花を消した。光の泡が、ネルの手のひらで踊る。
「ねえミナ」
「なに?」
「どうして、『色彩』の魔法やらないの?」
わたしは『森の人』になってから一度も、『色彩』の魔法を使ってない。できないことも怖いし、できてしまうことも怖い。
『色彩』の魔法は綺麗で、わたしの魔法の原点だけど、でも、それゆえに
怖い。
「もっと練習してからでいいかなって思ってるの」
平静を装ってごまかした。
「怖い」なんて、ネルには言いたくなかった。
「……そう。早くボクも『色彩』の魔法、見てみたいな」
心に、チクリと痛みが走った。
わたしのわがままでネルの期待を先延ばしにしている。儀式の日に見せるって約束したのに。
わたしはまだ、練習すらしていない。
「うん。ちゃんとできるようになったら、きっと」
これほど嘘をつくことが苦しいとは思わなかった。もちろん、わたしが練習すればいいのだけど、なぜかできない。
魔力を込めて、練り始めるとやめてしまう。
魔法を発動することを、体が拒んでいるという感覚。
怖いとういう気持ちが、わたしの体を縛っているんだと思う。
「かわりにボクの新しい魔法、見せてあげるよ」
ネルは両手に魔力を込めて、空を支えるかのように両手をあげた。そして手のひらを空に向けた。
「昨日ミナが帰ったあとに、ドズさんに教えてもらったんだ」
そう言って、ネルは魔力を解放した。
目に見えるようになった魔力が空に伸び、放物線を描いて落ちてくる。森に流れる風が、その魔力を辺りに広げていく。
ネルの手から出された魔力の全てが地面に落ちて、森に還された。
何の変化も起きない。
「何にも、起きないわよ?」
この程度なら、わたしたちが魔法の練習をしているときに何度も見た。失敗したときに、行き場を無くした魔力が漂うからだ。今わたしの前で漂う魔力は、それと全く変わらない。発動の失敗、それを意味している。
「これからだよ」
ネルは表情だけで笑い、指をパチンと鳴らした。
瞬間、強い光がわたしを襲った。
「うわっ! …………わぁ、きれい」
とっさに手でおおった目を開くと、光の玉がそこら中で瞬いている。木も、草も、地面も、枯葉も、そして空気さえもが光っている。
今度は夜に見たい。きっと、とても綺麗なのだろう。
「ドズさんに聞いたら、『明滅する時』っていう『発光』の魔法の中級術なんだって。初級術ができるって言ったら教えてくれたんだ」
ネルは満足そうに光を見ている。
ドズさんはネルの近所に住む『森の人』で、色々な魔法を知っている。イメージで行う魔法とは違う、もっと形式的な魔法を教えてくれる。形式的な魔法のほうが、同じような効果の魔法でも、少ない魔力で行えることが多いそうだ。あの蝶が出てきた魔法も、ドズさんから教わったらしい。ただ、あれはイメージするタイプだけど。
「いいなあ、わたしも教えてもらいたいよ」
「じゃあ、今日会いに行く?」
素敵な誘いだったけど、今日はこのあとに大切な用事がある。
「ごめんね。今日は駄目なんだ。また今度いいかな?」
ネルは少し残念そうな顔をした。
「うん。……そういえば今日だったね。うん、いってらっしゃい」
とりとめの無い会話を続けてわたしたちは別れた。
わたしは家には帰らず、そのままある場所に向かった。エステア湖から遠ざかっていく。森から出る少し手前、人が踏み込んでくる領域よりも少し森に入った場所。体に感じる魔力は希薄になっていく。
「三十日くらいしかたってないけど……懐かしい」
見覚えのある木を軽く撫で、森の道を進む。エステア湖の周辺とは違った美しさがあった。今まで気付かなかっただけで、こんなにも美しいなんて。わたしは少し得した気分になった。
失って初めて気付く大切さ。離れてみてわかる心地よさ。こういうことか。
森の様子を眺めながら歩いていると、気付かないうちに目的の場所に辿り着いていた。
「うわあ、懐かしいぃぃぃ」
木に立てかけられたはしごを上って、大きな葉を横に寄せてそこに入った。
「ただいまっ!」
奥からドタバタという、大きな音が聞えてきて、ダダダダダという、こちらに近づいてくる音が続いて聞えてきた。
「ミナア!」
コズがわたしに向かって飛びついてきた。
「会いにきたわよぉ。コズ」
コズは顔を上げ、満面の笑みを見せてくれた。
離れてみてわかる心地よさ、か。
「遅いよっ! ……まあ、いいか。ちょっと待っててね」
コズはそう言うと奥に走っていってしまった。
「…………」
わたしは三十日前までわたしの場所だった椅子に座った。
帰ってきた。
この椅子にはそう思わせる力がある。
「久しぶりだね。ミナ」
いつの間にか後ろには、三人分のお茶を持ったハギが立っていた。その隣に、コズも立っている。
「久しぶり」
ハギとコズはそれぞれの椅子に座った。コズは満面の笑みで。ハギは、何処か気まずそうな笑顔で。
わたしは苦笑だった。
ハギがお茶を配り終えたの見計らって、わたしは言った。
「とりあえず、ただいま」
「うん。おかえり」
ハギはわたしたちが一緒に住んでいたときと同じように言った。それによって、わたしは少しだけ気が楽になった。
「で、どうなんだい? 『森の人』の生活っていうのは」
「こことそんなに変わらないよ。あっ、でも仕事があるのよ」
「ミナは何してるのっ?」
コズが身を乗り出して、わたしに聞いた。ハギは何も言わないけど、たぶん、興味を持ってくれている。わずかだけど、身を前に寄せた。
「早朝にエステア湖に天花っていう花をお供えしているの。天花ってね、とっても魔力が詰まってるのよ」
「なんでその、あま……ばな? なんでそのお花をお供えするの?」
コズにはよくわからなかったらしい。ハギを見てみると、ハギも難解そうな顔をしていた。
「あのね、儀式のあとはエステア湖の魔力が弱まっちゃうの。だから魔力の詰まった天花をお供えして、魔力の回復を促すのよ。そうしないと、『星降りの夜』で星の魔力に負けて大変なことになるらしいわ」
「ふーん」と、わかったのかわからなかったのか、それすらわたしにはわからない返事をして、二人は頷いた。
それにしても不思議な気分だ。いつも教えてもらう立場だったわたしが、今ではハギに『森の人』の仕事を教えている。コズには新しいことを、わたしが知ったばかりのことを教えている。
「ミナは何か魔法、使えるようになったかい?」
本当はこれが聞きたかった――そういう表情だ。ハギはお茶を少し飲んだ。
「うん。ドズって人がいるんだけど、その人が色々教えてくれたのよ。今わたしが一番得意なのは、『発現』の魔法なの。まあ、これはネルが教えてくれたんだけど」
ネルが教えてくれた魔法。あの日から、時間があればずっと、この魔法を練習していた。中級魔法はまだ、ドズさんが駄目って言うから教えてもらえてないけど、もっと練習すればドズさんが教えてくれる予定だ。『小さな友達』という、この魔法の名前も気に入っている。
「見たいー」
コズが笑顔ではしゃいでいる。
「僕も見てみたいな。見せてくれるかい?」
「うん」
頷いて両手を胸の前で合わせる。
魔力が集まったわたしの手が、ほんのりと温かくなった。
「コズ、おいで」
わたしは両手を胸の前に添えたままコズを呼んだ。コズは嬉しそうに椅子から飛び降り、わたしの前までやってきた。
「なあに?」
本当に嬉しそうな笑顔だ。……今からでも、変な虫に変えようか。……冗談。
わたしはしゃがんで顔の高さをコズにあわせた。合わせた両手をコズの胸元に近づけて、ネルがしたように、ゆっくりと開いた。
ひらり、ひらり、と、赤と青の二匹の蝶がコズの体の回りを飛ぶ。
くるくる。
ひらひら。
「きゃー、きゃー」
コズは楽しそうに目と手で、その蝶を追う。しかし蝶はひらり、とコズの手をよけて飛ぶ。
「まてぇ!」
コズが少し大きな声で言った。ハギは興味深そうな目で、その蝶を見ている。
やがて、その二匹の蝶は光の泡となって消えた。
コズが寂しそうにその泡を見つめている。
「消えちゃった」
ぽつりと呟き、わたしのほうを見た。
「ミナすごいよっ! ね? ハギもそう思うよね!」
さっきのしんみりとした表情から一変、にぱーっと笑う。わたしたちにも自然と笑顔がこぼれた。どこか気まずかった雰囲気が、コズの笑顔で流された。
「そうだね。コズにも早くできるようになるといいね」
そう言って、ハギは笑った。なにか悟ったような笑みだった。
「そういえば、ミナ」
「うん? どしたの?」
「今日は新人の『森の人』と、『森の守護者』の集会があったんじゃないのかい?」
「あっ! そうだった!」
そういえばそうだ。魔法と『森の人』について、色々と話を聞かなくちゃいけないんだった。今まで、『森の守護者』の都合が合わずに延び延びになっていた。
どうしてハギが知っているのか疑問に思ったけれど、考えてみれば『森の子』をまとめる仕事を『森の人』から与えられているのだった。『森の子』の中では偉い人にあたるわけだ。そういう関係で耳に入ってくるのかもしれない。
「ごめん。今日はもう帰るわ」
わたしが慌てて家を出ようとすると、コズの寂しげな声が聞えた。
「えっ! もう行っちゃうの?」
わたしは振り返った。
「ごめんね。わたしこれから仕事があるの。また今度会いにくるからね」
「……うん」
わたしは小さく笑って、家から飛び出し、木から飛び降りた。ガザッ、という枯葉のこすれる音がした。そして、すぐに後悔した。
「あちゃー。枝を飛び移ったほうが速かったかも」
しかし飛び降りてしまったものは仕方が無い。わたしは全力で森の中を駆け抜けた。左右の視界の流れ方が、『森の子』のときとは桁違いだった。魔力によって、身体能力が底上げされているのかもしれない。きっとそうだ。
「とりあえず、エステア湖まで着けば問題ないか」
ちょうど良いところに大きな岩があったので、わたしはその岩に飛び乗り、もう一度飛んで、木の枝に飛び乗った。
「よし」
わたしは一気に、枝から枝へ飛び移った。