前編
翌日、テトさんの予告どおり人の国に出発した。森の外に出たことのないわたしは、一歩もりから出た瞬間に感嘆の声を上げ、『世界』の広さに驚いた。テトさんはそんなわたそを笑った。
「森の外は怖いかね」
テトさんがわたしに笑いかける。
「いいえ。大丈夫ですよ」
正直怖いが、まあ、テトさんがいるから大丈夫だ。と、そう思った。
「そうかそうか。ならば国へ行こうか」
森からどんどんと離れる。歩いて進んでいるけれど、テトさんが魔法を使ったのか、一歩一歩の進む距離が大きい。普通に考えてありえない距離だ。
「あの、ちょっと進みすぎじゃ」
「なに、問題ないさ。それに、こうでもしないと三日はかかるのだよ。これで歩いて判刻……いや、これで歩くとすぐに着く」
……ハンコク?
「そ、そうなんですか」
この速度で歩きなれないわたしはこけそうになるけれど、そのたびにテトさんがわたしを支えてくれた。よく意味の分からない言葉が出てきたけれど、きっと人間の言葉だろう。
やっと慣れてきたなと思ったとき、急にテトさんが立ち止まった。
「うわっ! ど、どうしたんですか」
立ち止まってニタニタと笑うテトさんは、どこか不気味だった。
「一つ、重要なことを言っておくとするよ」
何だろう。テトさんが笑ってるから、あまり緊張感はないのだけれど。
いや、別の意味で緊張感がある。
「な、なんですか?」
「今から行く場所には――ネルがいる」
ネルは人間の国に入ったすぐの井戸とかいうもの(テトさんが耳打ちしてくれた)に座っていた。
「ネル!」
井戸がどうとか、わたしにはどうでもよくて、ただ、ネルに逢えたことがうれしくて叫んだ。
「ミナ! どうしてここに!」
ネルがわたしに気付いて立ち上がった。そして、こちらに走ってきた。
「私が連れてきたのだよ。ネル」
テトさんがわたしの肩に手を置く。そして、薄く笑った。
「どうして」
憎らしそうにネルはテトさんを睨んだ。
「どうして? 簡単なことではないかね。必要だと思ったからだよ」
「…………」
ネルは黙ってテトさんを睨んだ。
「私は気まぐれなのさ」
テトさんがチャカすように言うと、ネルはしばらく表情を緩めなかったが、
「相変わらず、ですね」
と言って肩をすくめた。
「ごめん。心配かけるつもりはなかったんだ。それに、テトさんには事情を話したし、手紙も渡して頼んだんだけど」
手紙? そんなの、わたしは聞いていないし、受け取っていない。
「あ、あ~」
テトさんが引きつった笑いを浮かべる。そして、とても言いにくそうに口を開いた。
「あれな、必要ないと思って燃やしたよ」
……失礼だけど、馬鹿じゃないのかこの人。
「ま、まあ、許してくれたまえよ。再会しないことが前提の手紙だったのだし」
普段冷静なテトさんが言い訳を言っているのは、見苦しかった。
「私はあんな別れ方はいけないと思ったのだよ。本当に」
もういい。もういいから止めてください。
「それに、ほら、代わりにこうして再会したではないかね。ネルとの約束は破ったが、私はどちらかと言うとミナの味方であって……」
止めてください。
人間の国。
当然初めて来たのだけれど、なんだか面白い。国の門からネルの家までほとんど距離はなかった。面白いのは、沢山の家が並んで建っていること。井戸とかいものがあって、川が見当たらないこと。
案内されたネルの家は、不思議だった。というか、この国の家全てが不思議だった。地面に直接家を建てている。木はあるが、小さくて、人が住める大きさじゃない。
「これが人間のスタイルなのだよ」
わたしの疑問をテトさんが解消してくれた。
「適当に座ってて」
ネルはそう言って奥に消えた。
言われるままに椅子に座り、ぼーっと家の中を見回す。内装はあまり森の家と変わりはない。まあ、こんなに広くはないし、あの変な……なんだかわからないものもないけれど。
「キッチンという」
キッチンはない。それ以外はよく似ている。細部に違いがあるだけ。それにしても、なんでネルはここに移住したんだろう。魔力も希薄だし、『森の住人』がほかに住んでいるわけでもないのに。理由のほうは、あとから聞くことにしよう。
ネルお茶を持って帰ってきた。
「ごめん」
「もう、いいって」
「でも……」
「いいんだよ」
何度も首を横に振り、構わないことを強調する。そして、わたしはとてもとても大切なことを思い出した。
「あれ? テトさんは?」
「あ、いない。さっきまでそこにいたのに」
確かにさっきはわたしの隣でニヤニヤしながら座っていたはずだ。いつの間にかどこかへ行ってしまったらしい。
「何考えてるか分からないよね。テトさんって」
「そうだね」
それから、しばらく沈黙が続いた。けれど、わたしは何も怖くは無かった。
少し前まであれほど怖かったのに。
気まずかったのに。
苦しかったのに。
今は何も感じない。
心地よく感じる。
わたしは……強くなっていってるのだろうか。
いや、これは最初に戻っただけだ。
「実は……」
ネルが沈黙を破ってそう切り出した。
「理由はあとから聞くから、ちょっとわたしの話、聞いて」
ネルが話し出すのを、わたしは意図的にさえぎった。
強くなる一歩を踏み出すために。