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2話同時投稿です。
『星降りの夜』を終えた森の空は星一つない、真っ黒な空だ。その中に輝く月は寂しげで、まるでわたしの心みたいだ。
テトさんも、ハギもコズもいる。
けれど、君がいない。
今一番話したい人がいない。
月が一つしかない空も、わたしのその気持ちに拍車をかけ、気分は沈む。けれど、テトさんたちの前では落ち込んでいないようにみせた。
サー、と風に吹かれた枝が鳴った。その音も寂しい音に聞える。いたたまれなくなって、わたしは部屋に戻った。
「ネル、起きた?」
最近部屋に入る前にこう呼びかけるようにしている。返事が聞える気がしたからだ。
当然のように返事は聞えず、代わりに静かな寝息が聞えてきた。わたしのベッドでネルが眠っている。今朝入れ替えた干草は、まったく乱れていなかった。
わたしはネルの隣、ベッドの下にうずくまる。
そろそろ、寒くなってきた。明日は、もっと沢山持ってこよう。
今日も、暖かい部屋の冷たい空気の中で眠りについた。
「えっ? 今までの暮らし、ですか?」
わたしがテトさんと同居して三日目に、テトさんが唐突にそう切り出した。そのころにはだいぶ打ち解けていて、今とほとんど変わらない関係だった。
「そうだよ。すこし興味があるのさ。最近の『森の子』が一体どういった暮らしをしているのかがね。ちなみに私が『森の子』だったころは、友達と遊んでばかりいたよ」
「わたしもそうでしたよ。毎日毎日遊んでました。たまに、エステア湖まで行って『森の人』から話を聞いていましたけど」
「そうかそうか。私のころと特に変化はないのか。なるほど。……ということは、今の森の変化は私たちの責任か」
後半はぶつぶつと呟いていた。今ならその意味がわかるけれど、当時はさっぱり意味がわからなかった。とはいえ、どういう変化が起きているのかまでは今も知らないけれど。
「いやいや、ありがとう」
一体何が知りたかったのだろう。
「どういたしまして」
小さくお辞儀をして、今度はわたしがテトさんに聞いてみた。
「テトさんは、『森の人』になってどういう風に生活が変わったんですか?」
テトさんは昔を懐かしむように目を細め、やがて語りだした。
「仕事仕事でつまらなかったよ。自分で言うのもアレだが、私は優秀だった。魔力量も『耐性』も。だから普通では頼まれない仕事まで頼まれた。今では大分減ったが、当時は思い出すのも嫌なくらい多かった。魔法の練習など、ここ三百年前から始めたくらいだ。二百年を棒に振った。気付けば私は五百二十三歳だ」
目の前に座るテトさんは、若くきれいな人だ。到底五百二十三歳には見えない。まあ、外見にあまり変化がないのがこの種族の特徴なのだけれど。
「魔力を手に入れると、外見の変化が少なくなる。まあ、老いれば早いがね。ソトなど、そろそろ寿命じゃないのかね」
このときにはソト様の存在をわたしは知っていた。『森の守護者』にそういう名前の人がいて、どんな顔かくらいだが。
「ソト様って、今おいくつなんですか?」
何気ない気で聞いて、その答えに絶句したのを覚えている。
「ソトの歳か? ……八百九十八歳だったと思うよ。早い者なら死んでいるな。ヤツのあの元気さは見習いたいものだ」
そう言ったテトさんは、少し寂しそうに見えた。
その表情がどういう意味を持つのかわたしにはわからないけれど、わたしが踏み入ってはいけないような類のものなんだろう。そう思う。
わたしは曖昧に頷いて、その場をやり過ごした。
なぜか猛烈にハギとコズに会いたくなって、わたしは森を走った。
乱暴に地をけり、穴の前に飛び上がる。コズの落下防止用に作った板(『森の子』の家には基本的にある。が、『森の人』の家にはなく、最初は驚いた)の上に着地し、何も言わずに中に入った。
「あれ? ミナだ。おかえりぃ」
コズがいて、わたしを迎えてくれた。
「うん。ただいま。ハギはいるの?」
「うーうん。今水を汲みに行ってるよ。すぐに戻ってくるんじゃないかなあ」
「そっか」
椅子に座って息をつく。
「どうしたの? 嫌なことでもあった?」
コズがわたしの顔を覗きこんで心配そうに言った。
こんな小さな子にまで心配されるなんて……。
「大丈夫よ。……ねえコズ。最近どんなことしてるの? わたし、聞きたいな」
コズは無邪気に笑い、ハギが帰ってくるまでの少し長い時間話し続けた。わたしは時々相槌を打って、たまにほめたりした。
「おや、ミナ。帰ってたのか」
ハギが帰ってきて、開口一番そう言った。
「うん」
「あっ、ハギお帰り!」
「うん、ただいま」
ハギはバケツを持って、わたしの横を通り過ぎ、部屋の隅に置いた。とりあえず今は用事を済ませないらしい。
ハギはコズの隣に座った。ハギとコズが並んですわり、わたしは二人と向き合う形に座っている。『森の子』として一緒に暮らしていた時のことを思い出した。懐かしい感覚。
「最近どうだい?」
「どうって?」
「そりゃあ、体調とか仕事とか」
「大丈夫。何にも問題ないよ」
「生活は楽しいかい?」
「うん。とっても」
嘘だ。最近ほとんど笑ってないじゃないか。目をそらすな。ハギに言っても仕方ないし、ここで「楽しくない」って言うのも問題だけれど、少しくらい甘えてもいいじゃないか。
……甘えても? 何を言ってるんだわたしは。甘える? こんなときに? ネルが目を覚まさないでずっと眠っているときに? 強くなりたいって思ったばかりなのに? どこまで弱いんだ。わたしは。
「どうかしたの?」
コズの問いかけで正気に戻った。「ううん。なんでも」と笑って誤魔化して、わたしは二人に別れを告げた。
自宅に帰って早々、わたしはネルが寝ているベッドの隣に座った。
ねえ、聞える?
君の隣にいるんだよ?
聞えてるでしょ?
ねえ、ねえ、目、開けてよ。
「こんなはずじゃなかったのに」
そうだ。わたしたちはこうなるはずじゃなかった。
ネルは『森の守護者』になって、『森の王』になるはずだった。わたしは、そんなネルを支えるために、やっぱり『森の守護者』になるはずだった。
一応、ネルは『森の守護者』になったけど、今はいつ目覚めるかもわからない眠りの中。こんなことなら『星降りの夜』に参加しようなんて、言わなければよかった。そうすれば今頃、ネルは新しい魔法の練習をしていて、わたしはそんなネルを見ていられたはずなのに。わたしの一言が、それをできなくした。
全部わたしのせいだ。
わたしが悪い。
わたしが出ようなんて言ったから。
わたしが弱いから。
わたしが、わたしが、わたしが、わたしが、わたしがわたしがわたしがわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたし!
ぽん、と後ろから肩を叩かれた。
振り返ってみると、そこにはテトさんが立っていた。
「勝手に部屋に入らないでください」
「すまないね。ネルの様子を見にきてみたのだよ」
まったく悪びれた態度がない。当然だろう。この人にとって、当たり前の行動でしかないのだから。
「あまり自分を責めるものではないよ。確かに引き金は君だが、原因は私に起因するのだから」
ネルの額に手を当て、テトさんが諭すように言った。
「どういうことですか?」
「君はソトに『星降りの夜』を勧められた。そして、ソトにそれとなく言ってもらうように、私が頼んだのだよ」
「どうしてそんなに回りくどいことを」
「他人の魔力量を測るのが『森の守護者』特有の技だからだよ。『耐性』を測るのは『森の子』でもできるがね。ほら、そのときはまだ、私は君に『森の王』だということを隠していただろう」
そういえばそうだ。
つまり、全てはこの人から始まり、この人で進む。そしてきっと、この人で終わるのだろう。
わたしとネルを取り巻く、魔法と物語は。
悪い言い方をすれば、きっと、テトさんが死んだとしても何の変化も起きない。
いつまでもいつまでも、わたしたちの物語に干渉し続ける。
「それにしても、思ったよりも遅いな。私の推測ではすでに魔力は回復し、幾分かは魔力を返還している手はずだったのだが」
わたしにもかすかにしか聞えないほどの小声で、ぶつぶつと呟いている。テトさんから視線を外し、ネルを見た。
相変わらず静かな寝息を立てるだけで、まったく他の動作がない。目に動きがないから、夢も見ていないのだろう。
「ふむ。もう少し様子を見て、それでも起きないようならごくごく少量の魔力を注ぐとしよう」
立ち上がり、テトさんが言った。そして、そのまま部屋を出ようとする。
「ネルを起こすってことですか?」
立ち止まり、こちらを振り向くことなく、テトさんは答える。
「その通りだよ。忘れたのかね? 森は少しでも多くの労働力を必要としている。それに、私もいつまでも寝ていられては気が滅入る」
言い方は素っ気無く、冷たいものだったけれどわたしにはわかった。
まったく。どうしてこういうときだけ素直じゃないのだろう。
「テトさん」
「何かね」
「森が労働力を必要としているって、どういうことですか? 今までも何度か言ってますけど」
お礼の変わりに、気になることを聞いてみた。きっと、テトさんもそのほうが楽だろう。素直じゃないときは、どこまでも素直じゃない人だから。
「…………」
押し黙り、何も言う素振りを見せない。
重すぎる沈黙の中、テトさんは全身をこちらに向けた。そして、とびっきりの笑顔で、
「極秘事項だ」
と、わたしに告げた。
「え?」
「案ずることはない。こういうことの為に、私たちがいるのだ」
テトさんは今度こそ、わたしの部屋から出て行った。
もう少しの我慢だ。そうすればネルとまた話せる。わたしには、いっぱい話したいことがあるんだ。