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やっとこさ第三章に突入です。
星が空にある日々も終わりを迎え、星が空から降ってくる日を迎えます。
物語も中盤を迎えました。
『星昇る夜』から今日で八十六日になる。もうすぐ訪れる『星降りの夜』。それまではお互いに合わないことを、わたしとネルは約束した。といっても、半ばわたしが無理やり取り決めたようなものだ。思えば心のどこかで、ネルに甘えていたような気がする。
自分の力で立ちたい。
わたしはそう思った。だから会わない約束をした。身勝手だとは思う。けれど、わたしはそうすることしか思いつかなかった。思いつく必要さえないようなことだったけど、思いついてもする必要のないことだけど、わたしは、やらなくちゃいけないような気がした。
「不安かね?」
家の穴の外、少し離れた木の枝に座っていたわたしの隣に座り、テトさんが言った。
まだ日が出ていないような早朝で、いつもならテトさんは寝ているはずなのに。
「それは……、『星降りの夜』は『星昇る夜』よりも、強大な魔力が溢れますし……わたしなんて余波だけでも耐えられるかどうか……」
「そうかそうか。けれど、わたしが聞きたいのはそういうことではないのだよ」
「えっ?」
わたしの心を見透かしたようなテトさんの口調に、わたしは驚いてテトさんのほうを振り向いた。テトさんは優しい笑顔をわたしに向けた。
「私が聞きたいのは、ネルとかいったかな? その少年と会えないことが不安なのか、ということなのだよ。『星降りの夜』は誰であっても不安なことなのだからね」
「……」
「やはりそうかね」
テトさんは少しだけ表情を暗くして、わたしの隣に座った。
「私も何度か会ったことがあってな。不思議な子だったよ。落ち着いているようでいて、内側は何か強い思いが渦巻いていた」
わたしは黙って、テトさんの話の続きを待つ。わたしの知らないネルが、もしかしたらあの時のネルが、そこにはいるかもしれないと思った。
「魔力も高く、『耐性』もそれに見合うだけあった。けれど、彼はそれでは満足していなかったよ。もっと力が欲しい、そうわたしに言った。理由は聞かなかったが、よほどのことがあったのだろう。普通に笑ったつもりだろうが、何かを隠しているかのように、ぎこちない笑い方だったよ」
何が言いたいのか、わたしにはわからない。
「まあ、そのときはそれで別れたのだが、ああいうタイプのヤツは一人じゃ立っていられないのだよ。なにかしらの支えが必要になるのさ」
テトさんはそこで言葉を切り、わたしの頭に、手を置いた。
「だから、君が支えてあげるといい。今君は彼に支えられていたと気付いているはずだ。そして、彼は君の支えを必要としている。こういうときに手を差し伸べられないのでは、女がすたるよ」
くしゃくしゃと頭を撫で、にっこりと笑った。
「それから、『星降りの夜』なんざ、ほとんどの人が失敗するのだよ。失敗したからといって落ち込む必要なんてない。成功したときだけ、喜びを全身で表せばいいのだよ」
テトさんはまた、わたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。
荒っぽいけれど、優しかった。
「テトさん」
「なにかね?」
「わたし、がんばります。ネルを支えられるように。喜びを全身で表せるように」
「そうかそうか。がんばるといい。努力は必ず実を結ぶのだよ。結果が出るか出ないかの違いだけだ。結果が出せるのは、真に強く願う人だけというだけ」
わたしは今まで、努力をしてきたか。
してきたと思う。結果は伴わなかったけど。
していないと思う。だから魔法だって、いまだに『小さな友達』しかまともに使えない。
真に強く願ってきたか。
願ってきたと思う。結果は出なかったけれど。
願っていないと思う。『星昇る夜』だって、ネルに甘えて、自分では立っていなかった。
これから、この二つができると思うか。
できる。わたしは、自分の役目に気付いたから。
『森の子』時代では、二番目の秀才。
この肩書きが、『森の人』になってからはただの重荷だった。けれど、今は誇りに思える。
「それでは」
テトさんはたっぷりと時間をかけてあくびをかみ殺して言う。
「わたしはもうひと寝入りしてくるよ。さすがにこれは朝が早すぎる」
「テトさん」
家の中に入っていくテトさんを呼び止めた。テトさんはこちらに振り向いて、「なにかね」と答えた。
「ありがとうございました」
わたしの知らないあのネルには会えなかった。けれど、強いとばかり思っていたネルの弱さを知った。十分だ。
テトさんはにっこりと笑い、手をひらひらと振って、木の中に消えた。
格好の良い人だ。魔法も使えて、聡明だ。なにより、人の心がわかる。
「ありがとうございました」
わたしはもう一度お礼を言って、木から飛び降りた。
天花は、いつものように森の中に咲き誇っていた。純白の花弁に、深緑の茎。どこにでもありそうな花。けれど、おしべとめしべが、青い。花粉で黄色くはない。天花には、花粉が無い。魔力より生まれて、魔力を生み出す。青色は、魔力の色。
きれいな天花を二本摘む。昨日お供えできなかったから、その穴埋めとして。
手に取るだけでわかる。天花に魔力があることを。そして、それが圧縮されて制御されていることも。一体、この花にはどれだけの魔力があるのだろう。たぶん、わたしには制御できないのに違いない。
天花をエステア湖の湖面に浮かべる。すると、花は溶けて消え、目に見えない魔力も、たぶん、湖に溶けた。
なんて簡単な仕事だろう。けれど、なんて大切な仕事だろう。あまりにも楽で、面倒くさい。けれど、忘れてしまうと大変なことになる。
「『星降りの夜』、か」
『星降りの夜』。『森の人』でも一部の人しか参加しない儀式。わたしたちが受けるには、まだまだ早いと思わざるを得ない儀式だ。
天花を湖に供えてしまうと、もう仕事はない。家に帰ろうか、と思ったけれど、少し気が変わった。
久しぶりに、やってみるのもいいかな。
「えっと……こんな感じでいいのかな」
わたしは一度見ただけの記憶を頼りに、頭の中で魔法をイメージする。対象は、あの木でいいか。手に魔力を込め、彼がやっていたように右の手のひらを木に向け、左手でその手を支えた。
「断罪の魔法『光子の剣』」
きちんとした魔法じゃない。イメージからの魔法だから、正確には『断罪の魔法』ではない。けれど、名前を言えばそのものになる気がしたし、完成度も高まると思った。
光の剣は、木の幹を囲み、ドーム状に展開する。しかし、剣はいくら待っても木を貫かない。もしかしたら、剣で貫くための動作があるのかもしれない。けれど、彼が使ったときに、わたしは目を瞑っていた。その動作を見ていない。
わからない。
「……どうしよう」
魔法を発動したままの状態で硬直するわたし。どうしようかと迷った挙句、右手を軽くしたに下ろしてみた。
何も起きない。
次に支えていた左手を離して、軽く振ってみた。
何も起きない。
右手を握ってみる。
その指の動きに連動して、剣が、木を貫いた。
急に体に疲労が押し寄せてくる。足に力が入らなくなり、その場に座り込む。
「はあ……、はあ」
息が乱れ、胸が苦しい。
それほどに、この魔法が魔力を喰う量が多い。正式な魔法ならもう少し少ないはずだが、それでも多いことには違いない。
これほどの魔法を、彼は二度も連続して使ったのか。いや、もしかしたら他に使っていたあの魔法も、同じくらい魔力を消費するのかもしれない。
わたしは、彼との力の差、いや、格の差を、思い知った。
家にのろのろとした足取りで帰り、そのまま溶けるように眠りについた。
気がつけば、太陽は東の空で輝いていた。
「きゃああああ! ああああ、天花供えなきゃ!」
絶叫し、飛び起きる。わたしが眠ったときはたぶん、太陽は真上に近い場所だったはず。テトさんに励まされて……、寄り道しながら天花を供えに行って……、魔法を使ってみて……、ナメクジみたいな足取りで帰ってきた。つまり、わたしは一日眠っていた!
さらに慌ててどたばたしているわたしを、しかし、テトさんは笑った。
「笑わないでくださいよぉ!」
テトさんは心底おかしそうに、くすくすと笑っている。
「いやね、なぜそんなに急ぐのかと思ってね」
「天花をエステア湖にお供えしなきゃいけないんです!」
「そんな大切なことができずに眠っている家族がいるのに、何もせずに過ごすヤツがいると思うのかね?」
「えっ? じゃあ……」
「無論、私がすでに供えておいた。まあ、半年に一回くらい、こういうことがあってもいいだろう」
テトさんは、笑いならこちらに近づいてくる。
「ありがとうございます」
「なに、気にすることではないさ。臨機応変に対応ができてこそ、一人前だといえるのだよ。覚えておくといいよ。ミナ」
「はい」
「いやはや、昨日私が目を覚ましたら起きているはずのミナが眠っているではないか。一向に起きる気配が無いので、まさかとは思いつつも、早起きを覚悟し早寝をして、何とか目覚めた私は天花を供えたのだよ。早寝早起きなどクソ食らえ、さ」
表情は上機嫌だ。何を考えてるのかわからない人だ。けれど、この人と同居することになったことは素直に、よかったと思う。今日だけじゃなく、今までだって、気付けばわたしの近くにいてくれて、何度も救われていたように思う。
「ま、たまにはいいがね」
笑顔を浮かべ、わたしの部屋から出て行った。
……っていうか、この人一体どういう睡眠のとり方をしてるんだろう?