ハロウィン掌編 悪戯と祝福
寂びれたコートを身に纏い
疲れ切った表情浮かべ
賑やかな夜に足を引きずる
そこかしこから耳を貫く
明るいハロウィンの掛け声
悪戯も祝福も要らないけれど
この日に願うことはただ一つ
どうか愛する人に会わせておくれ
頭の中に浮かんだフレーズを並べ、人込みの中で詩人を気取る。
呟いた言葉は喧騒に掻き消され、誰の耳に届くこともなく。
僕はハロウィンが大好きだった。
そして僕は今、ハロウィンが狂おしいほどに大っ嫌いだ。
本来ならお祭り騒ぎの交差点を歩くのも御免被りたいところだが、帰路である以上は仕方なく。
不特定多数の人間に揉まれ、幾度となくぶつかられ、やっと人込みを抜け出した。
こんな日はさっさと帰って、酒でも呑んで寝てしまおう。
僕は近場のコンビニに立ち寄ろうと、目的地に向けてすたすたと駆け足で進む。
そんな折、僕の視界に一人の子供が入り込んだ。
ハロウィンらしさ全開の、仮装に身を包んだ子供。
カボチャの被り物で頭をすっぽりと覆い隠し、真っ黒なマントを靡かせる様は、さながら某子供向けアニメのヒーローか。
しかし時刻は23時を回るというのに、近くに保護者と思しき人間がいないではないか。
タダでさえ治安が悪くなりがちなハロウィンにおいて、過剰なほど厳重に警備が敷かれている市街地に、ポツンと取り残されている子供。
近くを巡回している警官はそんな子供に目もくれず、ただ慌ただしそうに動いている。
……関わらない方が吉と見た。下手に騒がれて警察沙汰になったら、堪ったもんじゃない。
僕は心の中でごめんと呟くと、目前にあるコンビニへと逃げ込むように入店した。
気がかりではあるけれど、僕個人がどうこうできる問題ではない。
どうか早急に親が迎えに来ますように。もしくは警察に保護されますように。
そんなことを考えつつ、僕は晩酌用のチューハイとつまみのスルメをカゴに放り込み、手早く会計を済ませた。
こんなにも耳障りな街中からさっさとおさらばして、一人静かに過ごしたいものだ。
コンビニの自動ドアが開くや否や、足早に帰路へと――向かえなかった。
まだ、居る。先程の子供が。
そこまで時間は経っていないものの、やはりこの状況は違和感がありすぎる。
あれほど目立つ格好をしておきながら、誰にも気づかれないなんてことが有り得るのだろうか。
一度は関わるべきではないと判断したものの、どうにも揺らいでしまう意思。
……仕方ない。不審に思われない程度に接触して、後は警察にでも任せよう。
己の行動がどうか裏目に出ませんように。そう内心で小さく祈りながら、僕は件の子供の元へと向かう。
周りの人間から視線を感じる気がするが、きっと気のせいだろう。そう言い聞かせると、僕はなるべく視線を合わせられるようにその場にしゃがみ込んだ。
ねぇ、君。お父さんかお母さんは近くにいないのかい?
僕の顔を被り物越しにじっと見つめていた子供は、無言で小さく首を傾げる。もしかすると、言葉を理解できていないのかもしれないな。
パパかママは、いるかな?
最低限の情報のみを口頭で尋ねると、今度は理解できたのかカボチャの被り物が大きく縦に揺れる。傍にそれらしき人はいないように思えるが、どこにいるのだろうか。
そんなことを考えながら辺りを見渡していると、子供は不意に人込みに向けて走り出した。まるで『ついて来い』と言わんばかりに。
あぁもう、と悪態をつきながら僕は子供を追いかける。そこまで早い足取りではないものの、子供は人の波を器用に縫って進むため、気を抜くとはぐれてしまいそうだ。
どうにか見失わないように追跡を続け、いつしか僕と子供は人込みのど真ん中に辿り着いていた。
様々な感情がひしめき合う喧騒に包まれ、周囲の人間にもみくちゃにされ、徐々に眩暈と吐き気に襲われる。
この感覚。やめてくれ。あの日を思い出したくないんだ。
どうにか正気を保とうと、僕は脳裏をよぎるフラッシュバックを払拭するために、頭を激しく振った。
すると、その行動が功を奏したのだろうか。先程とは打って変わって身体が軽くなっていくではないか。それに落ち着いたおかげか、不思議と周囲の音も僕の耳に入らない。
これなら大丈夫だ。僕は再び子供を追跡するべく、気合いを入れるために自らの頬を激しく叩く。
スカッ。
……何かがおかしい。僕は確かに、自身の頬を両手で叩いたはずだ。それなのに、あまりにも手応えがなさすぎる。
ふと自身の両手に視線を落とし、そして僕は信じられない光景を目の当たりにし、言葉を失った。
僕の両手――否、全身がうっすらと透き通っている。
今の僕の感情を表すならば、半分は驚愕。そしてもう半分は、恐怖。
それなのに、自身の鼓動の高鳴りを全く感じることはない。
それもそのはず、今の僕には恐らく身体が存在しない。至極当然の話だった。
この短時間で何が起きたのかは分からないが、それでもこれだけは言える。
僕は、死んでしまったのだろう。
ただ子供に声をかけ、導かれるまま追いかけていただけなのに。こんな仕打ちは無いだろう。
……そうだ、子供。僕は目前に立っている、全ての元凶である子供に詰め寄ろうとする。
けれど子供は相変わらず僕を弄ぶかのように、てくてくと人込みを縫って走っていく。
追いかけるしか……ないんだろうな。ここまで来てしまったのなら。
半ば諦め気味に現実を受け入れた僕は、逃げる子供を更に追跡する。
先程までは人の波が鬱陶しかったものの、今となっては人の身体も簡単にすり抜けられる。
最短距離で直進できるため、子供に追いつくまでそう時間は掛からなかった。
しかし問題がある。今の僕の身体では、あの子供を捕まえることができないではないか。
さてどうしたものか。と思案していると、子供はここにきてようやく動きを止める。
……ここは、まさか。
辿り着いた先は、この町で一番大きなスクランブル交差点のど真ん中。
交通規制が敷かれていないにも関わらず、道路の真ん中を我が物顔で闊歩する数多の人間。
今は全く聞こえないものの、聴覚が復活すれば恐らく鼓膜を突き破らん勢いの怒号が飛び交っていることだろう。
どうして。どうしてよりにもよって、こんなところに。
自らの表情は鏡でも見なければわからないのだろうが、不思議と想像は容易に出来た。
きっと顔面蒼白で、唇はふるふると震えているに違いない。
当たり前だろう。ここは、僕にとって、悪い意味で忘れられない場所なのだから。
七年前、僕がまだ二十三歳になりたての頃のハロウィン。
当時も今と同じかそれ以上に、この町は夜中に騒ぎ倒す連中の喧騒に包まれていた。
そして、当時の僕はその光景が大好きだった。何より、大切な人とそんな時間を共有できることは、これ以上ないほどの幸福だった。
傍らに並んで歩くのは、付き合い始めてもうすぐ三年を迎えようとする彼女、アキナだ。
僕もアキナも、周囲の誰よりも負けない程に幸せな時間を過ごしていた、と思う。
様々な店を見て回り、周囲の人々の仮装を見て楽しみ、美味しいご飯を食べ、おどけながらもお菓子を交換する。
何の捻りもない、至って普通のハロウィンの過ごし方。けれど、僕とアキナにとっては特別な時間。
それらをひとしきり楽しんで、もうすぐ日付が変わろうとしていた頃合い。
いつだって、悲劇は突然に訪れる。
ざわざわ、ざわざわ。
その時、僕とアキナは人込みの中で手を繋ぎながら、帰路についている最中だった。
どこからか聞こえる人々のどよめきに、僕とアキナは顔を見合わせて首を傾げる。
直後――どこからともなく女性の叫び声が聞こえた。人殺し! と言っているように聞こえた。
不思議と、時が止まったかのように一瞬の静寂が訪れる。けれど、それは本当に一瞬で。
逃げろーっ!
続いて聞こえる男性の声。それがスクランブル交差点に響き渡る頃には、誰もがパニックに陥っていた。
先程のような和気藹々とした雰囲気から一変、恐怖と焦燥が辺り一帯を包み込む。
同時に、我先に逃げ出そうと交差点の中央から人々が押し寄せてくる。それはさながら津波の如く、僕とアキナを容赦なく飲み込んだ。
身体全体に圧し掛かる人間の体重。誰かに踏みつぶされ悲鳴を上げる右腕。そして離れていくアキナの手。
僕にはどうすることも出来なかった。ただせめて自身の身を守るため、残された左腕で頭を抱え込むことが精一杯だった。
気が付くと、僕は病院に運ばれていた。
二日近く意識を失っていたらしいのだが、目覚めてなお耳にこびりついて離れない、恐怖に満ちた人々の声。
当時の光景がフラッシュバックし、途端に吐き気を催すも、どうやら胃の中には吐き出せるものが残っておらず、ただただ長くえずくだけ。
しばらくパニック障害に苛まれたこともあり、僕が自身の置かれている立場を理解するまで、ゆうに三日程の期間を要した。
どうやら僕はあの夜、人の波に押し倒されたことで呼吸困難に陥っていたらしい。一歩間違えれば死に至る状況だったということらしく、一応運は良かったみたいだ。
その翌日に発行された新聞に目を通すと、あの場所でどうやら通り魔事件が発生していたのだとか。幸い事件による死者は出なかったものの、犯行による負傷者よりも逃げ惑う人々による負傷者の方が遥かに多かったらしく、テレビではその話題で持ち切りなのだそうで。
とんだ不幸に見舞われたものだ、という結論しか出すことが出来ず、同時に心のどこかで安堵していた。
死者が出ていないということは、アキナも一命は取り留めているのだろう。
僕が動けるようになったら、すぐにでも顔が見たい。そして、あの時手を離してしまったことを謝りたい。
それだけを考えながら、退院までの数日間をじっと安静に過ごしていた。
けれど、あの夜を境に、僕がアキナと再会することは、二度と叶わなかった。
気付くと、ぐにゃりと視界は歪み、僕の目からは涙が零れ落ちていた。
正確には、そのような感覚を覚えただけで涙など流せなかったのだが。
思い出したくはない、けれど忘れてはいけない出来事。
ここに来ると否応なく思い出してしまうため、忌避して近づかないようにしていた場所。
何故、こんな場所に僕を導いたのだろう。このカボチャ頭の子供は。
脱力感と共にその場に崩れ落ちた僕を見た子供は、唐突に上空を指さした。
どういうことだろう。眩暈のような感覚で回らない頭をどうにか使いながら、子供の指さす方向へと視線を向ける。
あ、あぁ……。
思わず、言葉にならない掠れた声が漏れ出した。
そこに存在していたのは、黒のドレスに身を包み、コウモリの形をした仮面で目元を覆った女性。
一見魔女のようなそれは、表情こそ分からないものの口角がほんの少し上がっていた。妖艶さを醸し出すその魔女を、僕は知っていた。
違う――決して忘れることなど出来なかった。
アキナ……なのか?
七年前と全く同じ格好をしていた魔女を、見紛うことなどあり得ない。
僕は上空に浮かぶ彼女に近づこうと、重力から解き放たれた身体で意識せず飛びあがる。自身が空を飛んだという感動を感じる間もなく、無我夢中で彼女の元へと向かった。
そして、そんな僕を今度は追いかける形で子供も飛び上がった。何となく想像はしていたが、やはりこの子供も今の僕と同じ幽体だったのか。
僕が彼女の目前に到達するころには、子供は彼女の傍らでスカートを握りしめ寄り添っていた。
ずっと、探していたんだ。こんなところに、居たんだな。
死者は出なかったと報道されていたあの事件の裏で、ただ一人忽然と姿を消した僕の恋人。
行方不明となったアキナは、日を跨いだ翌日には家族によって捜索願が警察に届けられていた。
このまま身元が見つからなければ、明日には法的にこの世からアキナという存在は消えてしまうというタイミングでの再会。
そりゃあ、見つからないわけだ。だって、もう、この世には――。
会いたかった。それと、謝りたかった。あの時、僕が手を離してしまったばっかりに……ごめん。
しっかりと彼女の目を見据え、そして深く頭を垂れる。
謝って許されるようなことではない、それは重々承知の上。
現に、僕が守れなかったせいでこうしてアキナは命を失っているのだから。
それでも。
あの日から今日まで、片時もアキナのことが忘れられなかった。
いつか会える日を信じて、今日まで生きてきて……こんな形になったけど、やっと会えた。
もしもアキナが、嫌じゃなければ……これからも、傍にいさせてくれないか。
嘘偽りない本音と共に、僕は再び彼女の顔に視線を送る。
相変わらず表情は分からないものの、彼女はしばらく悩んだ末――静かに首を横に振った。
彼女の真意は分からないが、どうやら僕は彼女の傍にはいられないみたいだ。
……いいんだ。こうして会えただけで、僕は本当に嬉しかった。
それじゃ、死んでから言うことじゃないかもしれないけど……元気でな、アキナ。
僕の心に生まれた寂寥感は押し殺して、せめて精一杯の笑顔でお別れしよう。
声の震えは抑えられなかったものの、これくらいは許してほしい。
僕はアキナに背を向けると、足元に広がるハロウィン一色のスクランブル交差点へと向かう――はずだった。
実体を失い、触覚すら無くなった僕の肩に仄かな温もりが宿る。
ほんの数分ぶりだというのに、やけに愛おしい感覚。慌てて振り返ろうとするも、今度はその温もりが肩のみでなく上半身を優しく包み込んだ。
背後から身体を通じて感じる、どこか懐かしく、そして久しく忘れかけていた愛の温かみ。
言葉なんて必要ない。十二分に、アキナの想いは伝わった。
……ありがとう。愛してる。
どんなに凝った言葉も野暮ったい気がして、僕が吐き出せたのはその二言だけだった。
あれ……生きてる。
気が付くと、スクランブル交差点からハロウィンの喧騒は消え去り、余韻さえ残さずいつも通りの朝を迎えていた。周囲にはちらほらと酩酊状態で歩道に寝転がっている人や、あちこちに散らかったごみを片付ける人が伺える。
僕はと言えば、寂れたコートをブランケット代わりに、ぐっすりと街路樹の側で寝ていたみたいだ。片手には通勤時に持ち歩く手提げバッグ、もう片手にはコンビニで買った手つかずの酒とつまみのスルメが入った袋。
無理な体勢で、尚且つ寒空の下眠ってしまったせいか、身体中が軋むように痛い。全身をほぐすように身体をゆっくりと動かし、そして自身の所持品が無くなっていないかを確認する。
この治安が悪くなりがちな街中で一夜を明かしたというのに、幸い貴重品は全て手元に揃っていた。ほっと胸を撫で下ろすと、僕はゆっくりと立ち上がり昇って間もない太陽を背に大きく背伸びをする。
……これは?
立ち上がった拍子に、僕のコートから落ちたのは見覚えのない小さな封筒だった。ハロウィン仕様のカボチャやコウモリをあしらった、どこか子供っぽさを感じる可愛らしい封筒。
まだ自由の利かない身体でどうにか屈むと、その封筒を手に取って両面を確認する。
宛名も消印もないけれど、『トオルへ』と書かれている以上、僕宛の物であることは疑いようがなかった。
誰が書いたかは、何となく予想がつく。それ故に、この封筒を開けるのが非常に怖い。
恐る恐る、まだおぼつかない指先で封筒を開くと、それと同じ柄の便箋を三枚取り出す。
一枚目は、拙い曲線で描かれたひらがなの文章。思っていたものとあまりにも違い、拍子抜けしてしまう。
ぱぱへ
ままとあえてよかったね。
またいつかあいにきてね。
ゆずより
ひとしきり目を通すこと、僅か十秒足らず。たった二行の本文に込められた想いが全く理解できず、僕は思考停止してしまった。
ゆず、というのは恐らくあのカボチャ頭の子供だろう。それにしても、パパとはどういうことだろうか。
悩んでも解決しない疑問は一旦置いておいて、次の便箋に目を通す。こちらはどこか女性っぽさを感じる丸めの文字で、しかしアキナらしい几帳面さの現れた綺麗な文章だった。
トオルへ
想いを伝える方法が、これしかなかったことを許してください。
トオルはきっと自身をずっと責めてきたと思うけど、トオルは何も悪くないってことだけは知っておいてほしい。
あの日、私は人の波に飲み込まれ、気が付くと身体を失っていました。
目の前で傷つくトオルを目の当たりにしながらも、何もできなかった無力感は今でも覚えています。
いきなりいなくなってしまったこと、伝えられなかったのが本当に苦しかった。
でもゆずがトオルを連れてきてくれて、トオルに会えて、本当に嬉しかったんです。
傍にいさせてほしいと言われたこと、すごく幸せでした。
でも私と同じような形でこの世から消えてしまうのは、違うと思ったので……気持ちを無下にしてごめんなさい。
その代わりに、私がトオルの傍でいつでも見守っています。トオルと私の娘、ゆずと一緒に。
来年も再来年もその次の年も……ハロウィンの夜だけでも、私たちのこと、たまに思い出してくれると嬉しいです。
長々と書いてしまいましたが、最後に……私も心の底から愛してるよ、トオル。
アキナより
あぁ……うわあぁぁぁぁぁっ……!
年甲斐もなく、声を上げながら泣いたのは七年前以来ではなかろうか。
手紙を胸に抱きしめ、その場に崩れ落ちた僕はしばらく涙が止まらなかった。
早朝の街を行きかう人々は怪訝そうな視線を僕に向けるが、そんなの知ったこっちゃない。
今この時だけは、人目も暮れず感傷に浸らせてくれないか。
切ない想いを身に刻み
泣き腫らして迎えた朝
無情にも止まらぬ世界で
今日も僕は生き続ける
ハロウィンの悲劇と奇跡が
悪戯も祝福も与えてくれた
僕にとってただ一つの真実
愛する人はいつだって傍にいる