第2部 1話 AM5:00
霧で霞む森の中のフェアウェイ。
小さな男の子と女の子が談笑しながら歩いている。
ゴルフコースとしては規模が大きいとは言えないが、子供にとっては十分な広さである。
手に持ったクラブをブラブラさせたり肩に乗せたりする男の子。
並んで歩く女の子が、見えてきたボールを指差した。
「ほら! やっぱり私の方がアルベルトより遠くまで飛んでたでしょ」
「仕方ないだろ? 美有の方が体が大きいんだから」
「男のくせに、また言い訳? だらしないの」
同じような場所に転がってるボールを巡って、どんぐりの背比べをする2人。
女の子が、ふとボールから男の子に視線を移すと、さっきまで小さかった男の子は、歳の頃13歳位の少年へと姿を変えていた。
元々浅黒い肌色の少年は、短髪でポロシャツが良く似合う。
「ピンまでは約30ヤード。グリーンの傾斜を考えたらここはバックスピン。スピンは僕の方が得意だからね。いいかい? 見てなよ」
少年が放ったボールが放物線を描いて空に溶けていく。
やがて落ちたボールは、ピンに向かってゆっくりと転がり、静かに止まった。
「ほら、言ったとおりだろ?」
ピン手前で止まったボールを見ていた少女。
「やっぱりすごい! アルベルトは!」
そう言って再び少年を振り返った。
さっきまで白いポロシャツを着ていたはずの少年が、黄土色の軍服に身を包んでいる。
彼は悲しそうな顔で少女に話しかける。
「ごめん、父さんの都合で本国に帰ることになった。だから、もう会えないと思う」
少年は掛けていたトップ付きのネックレスを外し、少女に手渡した。
「今までありがとう」
言葉を残して立ち去る少年。
(なんで? どうして行かなきゃいけないの?)
少女の目から涙が溢れ出る。
離れていく少年を追いかけたい、でも体が動かない。
「お願い! 行かないで!」
どんなに大きな声で叫び続けても、少年は振り向かずにそのまま歩き去っていく。
――― AM5:00
うなされた少女が布団をはねのけて上半身を起こした。
「またこの夢……」
荒くなっている呼吸を整えようと周囲を見渡して現実を凝視する。
彼女の名前は美有。
プロになって2年目の将来を嘱望される若手ゴルファーである。
幼少の頃から様々な大会で好成績を残してきた彼女は、プロになった後も当然輝かしい成績を残していくと思われていた。
しかし、現実は賞金ランキングに入れない日々が続いている。
『パワーだよりで技術が追い付いていない』
『そもそもプロでやっていくには精神的に未熟なのでは?』
様々な評価がされるなか、彼女の両親は巷で評判のアスリート育成事務所に連絡をとることにした。
――― 『株式会社アスリートの影武者』
「ただいまー」
外回りから戻ったソルト。
ドタドタドタドタドタッ!
事務所のドアを開けると、誰かが廊下を走り回っている音が聞こえてきた。
(何の音?)
「ボスー? 戻りましたよー?」
ドアを閉めて、眉をしかめながら音のする方へ進む。
ドタドタ、ドゥッ。ドタドタッ。
(今、走りながら何かが転ばなかった?? 大丈夫? もう、何をやってるのかしら)
廊下にたどり着いたソルトの目に入ってきたのは、ハナ(猫)と追いかけっこをしている影虎の姿。
「な、何やってるんですか! ボス! 」
驚いて声を上げるソルト。
驚いて声を上げるソルトの声にビックリして動きが止まる影虎とハナ。
その後、哀れむような表情で2人を見下すソルトに、四つん這いの影虎が答えた。
「見て分からんのかね? トレーニングだよ、トレーニング」
(どう見ればこれがトレーニングに見えるのかしら。私には猫とジャレついてるようにしか見えないんですけど……)
謎の回答に呆れるソルト。
影虎はムクリと立ち上がると、彼女に歩み寄って説教を始めた。
「ソルト君。君は猫になったことがあるかね?」
「あ、ある訳ないじゃないですか!」
質問に対してマジメに答えるソルト。
「やはりね。なら、一度猫になってみるといい。この子らのハンティング能力は人間をはるかに超えている。そもそも猫の原種は肉食動物なのだから当然だ。空を飛ぶ鳥も、土に潜れるモグラも、狙われたら最後この子らの刃から逃れることはできない。君に同じことができるかね?」
(私に、鳥とかモグラを捕まえて来いってこと?)
頭の上に大きなハテナマークが浮かぶ。
「話が反れてしまったが、つまり何が言いたいのかというと、猫並みに早く動けるようになれば、それがスポーツに活かせるってことだ。だからハナと一緒に瞬発力を鍛えていた。そうだよな!?」
「ニャーッ!」
影虎の言葉に返事をするように鳴くハナ。
真意は分からないが、おそらく『影虎と一緒に遊んでいたよ!』と言っていたと思われる。
「ハイハイ、分かりました。トレーニングをしてたんですね。流石です。ボスは努力家ですね」
いつもの感じで話を途中から聞き流す。
「ところで、仕事の件ですけど」
見え見えのおだてにニヤけていた影虎をミーティングルームに誘導した。