「世界は俺のもとから、あまりにも遠くあまりにも儚い」
誰もいない世界にただ一人残されている。あの時は本当にそう思ったんだ。誰もが赤の他人で、俺はただの一人だけ。俺の世界と誰かの世界は繋がっていない。この世界は、誰かと誰かが常に繋がっているけれど、俺だけは一人、俺の世界に取り残されたままだった。あの時までは。
「ねえ。どうしていつも一人でいるの??私とお話ししようよ。」
突然俺に話しかけてきた彼女は、とても輝いて見えた。
背が小さく頭のてっぺんが俺の肩ほどしかない。とても幼く見えるがどこか大人びても見えるような、可愛くもあり綺麗でもあり、不思議な顔立ち。そして今にも折れてしまいそうな程にか細い身体。例え流行りの服を身に纏っていても、雑多な渋谷のスクランブル交差点を歩いていても、きっと彼女は目立つ。
年はいくつくらいだろうか。少なくとも俺よりは幼く見える。
「ねえってば。聞いてる??」
彼女の言葉と行動の意味を考えていたら、彼女にはどうやら無視していると思われたようだ。
無理もないだろう。突然話したこともない人間に話しかけられた上に、相手は若い女の子だ。
寧ろ、どう返事をしていいものかわからない。
「君、2年生の水月くんでしょ??」
「水月輝君でしょ?」
にこにこと愛想のいい笑顔を浮かべながら、問うた彼女は一体何者なんだろう。どうして俺の名前まで知っているのだろう。
「ねえ。お返事は?」
「…あ。悪い。突然で…その何が何だか…。」
「本当に無口なんだね。あたしは3年の飯島美夜。」
え…?3年生か。驚いた。絶対年下だと思ってた。童顔なんだな。
「あ…。初めまして。水月です…。」
「うん。知ってるよ。いっつも一人で屋上にいるよね。あたしも屋上好きだから知ってるんだ。何回も君のこと見かけてる。」
「なんで、名前…。」
「気になって、調べちゃった。」
「調べてって…。すごいですね。」
「そう?簡単だよ。」
首を傾げて笑う彼女が、年上には到底見えない。初めて感じる感覚が胸を過ったのを今でも覚えている。
始業を知らせるチャイムが鳴ると、じゃあね。と手を振り彼女は去って行った。
毎日つまらない日々の繰り返しで、俺はその繰り返しから抜け出すこと無く、このままずっと生きて行くのかと思うと息がつまりそうだった。
だから、休み時間は必ず、空を見に屋上へと出向いた。空を見上げると心が澄み渡る感じがした。
ただの思い違いかもしれない。ただの中二病かもしれない。そう思うこともあったが、あまり深く考えたことはなかった。ただただ、毎日がつまらなかった。
今の時代、誰もが電子機器を用いて誰かと繋がっている。最早、繋がる為にそれを手に入れるのだ。しかし、俺のそれと他人のそれとが繋がることはない。俺は一人だ。
しかし…何だったんだあの子。いや…あの人、か。
いつもと同じ毎日が少しだけ変わった瞬間だった。
「おはよ。輝君」
校門の少し手前。朝の通学時間帯。いつもなら話しかけられることもないが、今日はいつもと違っていた。
また現れた。なんだなんだ一体この人…。
「ねえ、おはよ!」
「あ。おはようございます。」
「本当に一人が好きなんだね。ねえ、毎日一人でつまんなくないの?」
痛いところをいきなりつくわ、づけづけと人の間合いに入ってくるわ。
普段だったら絶対に返事なんてしないのに、何故か無視できない俺も俺だな。
「私さ、いつも一緒にいる友達が病気で入院しちゃって、登下校暇なの。これから一緒にしよ?」
「はい??」
「一人ならよくない?約束してる人もいないんでしょ?」
「いや。そういう問題じゃなくて…他にもいるでしょ。なんで…」
「言ったじゃない。気になったって。だからだよ?」
「はあ…」
「嫌なら嫌って言ってくれていいよ?」
「…好きにしてください。」
「わーい!ありがとう!!」
断れない自分が不思議で溜まらなかったが、まあ友達が退院するまでの間だけならと、誰にともなく言い訳をしていた。きっと彼女の容姿に逆らえる男子生徒なんていないだろう。
それからというもの、彼女は毎日俺を待ち伏せしては登下校を共にし、休憩時間の度に俺の教室までやってきた。
一人の時間がだんだんと減っていき、気が付くと、自宅にいる時だけが、休息できる唯一のものとなっていた。
「…あの。お友達はまだ退院できないんですか」
一人の時間が減り3か月程経った頃、相変わらず所かまわずついて回る彼女へ、流石にしびれを切らして聞いてみた。
「ん?美穂のこと??とっくに退院したよ」
「え…お友達と一緒にいなくていいんですか?」
「大丈夫。教室で一緒だし休みの日遊んでるし、輝君のとこにいるって言ってあるから」
「はあ…」
3か月もこんな生活が続いてるからどれだけ重い病気なのかと少し心配していたが、取り越し苦労だったようだ。いや、なぜ俺が他人の心配などしているのか。ましてや全く何も知らない赤の他人の。
「輝君は彼女とかいないの?」
また突然何を聞いてくるんだこの人は…。
この3か月の間、彼女は俺に関する質問はあまりしてこなかった。聞かれたのは家族構成くらいなもので、あとは大抵、自分の話を延々としていた。よくもまあ、それだけ話すことがあるもんだと感心していたくらいだ。
「いると思うんですか?」
「んー。意外と。顔はそこそこだし、スタイルもそこそこだし。いても不思議じゃないなーと思って」
褒めてるのか貶してるのかわからないような言い方だな。
「いませんよ。いるわけ無いじゃないですか」
溜息交じりに返事をする。
「よかった。いたら、彼女に悪いもんね」
「そういう美夜さんはどうなんですか」
「あたし?いるよ?一応」
一応といった時の彼女の表情が今までにないくらい暗くて、俺は何を言っていいのかわからなくなってしまった。
「…戻るね。」
そう告げた彼女はもういつもの笑顔で、俺が見た一瞬のあれは見間違いかと思った。いつもよりも3分ほど早く教室に戻っていく彼女の後ろ姿はどこか寂しそうで、俺はやるせない気持ちになった。
(なんなんだろう…この気持ち。わからない)
高校2年の2学期を迎えるまで、俺は友達の一人もいなかった。別に欲しくもなかったし、必要も感じなかった。
だけど、美夜さんと話すようになってから変に目立ってしまったらしく、急速に話しかけてくる相手が増えていった。3か月も経てば友達と呼べるかもしれない相手までも出来ていた。
不思議な人だ。
この3か月の間に色々あり過ぎて、毎日がとても速く過ぎ去って行った。こんな毎日がいつまで続いていくのか、最初は早く終われとしか思っていなかったのに、今ではこのまま続いて欲しいとさえ思ってしまう。
「水月君て、3年の飯島さんと付き合ってるの?」
同学年の女の子たちはみんな噂好きだ。
この手の質問を幾度となくされた。
「付き合ってないよ。よく話をするだけ。」
「ふーん。そうなんだ。今彼女いないの?」
「いないよ。」
「じゃあさ、あたしと付き合ってよ」
同じクラスの青柳照美さんだっけ。こんな風に軽く誘えるのも凄いよな。
「やめとくよ。俺じゃ釣り合わないよ」
軽く笑って返したつもりだったが、うまくいっただろうか。
「そっかあ。残念。ちょっと興味あったのにな」
じゃあねと、笑顔で手を振り去っていく。本当に軽い気持ちだったのかと少し失望する。この年まで彼女がいたことは無いが、そんな俺でも彼女と俺では無理がある事くらいはわかる。
髪を明るく染めて、毎日化粧をし、常に外見を気にしている彼女は、それなりに整った顔立ちをしている。しかも、性格も良い。裏表はなく、快活。常に男女問わず多くの友人に囲まれている青柳さんは、学年でもかなりの人気者であると認識している。
なんで俺なんかに声が掛かったのか不思議なくらいだな。美夜さんもあんな風にたくさんの友人に囲まれて過ごしているのかな。
一応俺に振られた彼女が、少しも悲しむこと無くすたすたと立ち去っていく。その後姿をぼうっと眺めながら、いつのまにかまた美夜の事を考えている自分自身に、俺は気づいていなかった。
美夜さんが俺の教室に赴くことはあっても、俺が美夜さんの教室に向かったことは1度もない。そんな権利を俺は持っていない。美夜さんのただの気紛れに俺がたまたま引っ掛かっただけだと自分に言い聞かせて、思い上がらないようにしている。
それはきっと正論だ。誰もが思っていて口に出さない事。
「なー。輝ー。たまにはゲーセンでも行こうぜ」
ここ最近急速に会話をするようになったクラスメイトの内の一人、金杉修斗だ。
「まあいいけど」
「お!珍しいな。んじゃ、決まりな」
爽やかに笑って席へと戻る修斗はこのクラスではかなり目立つ方だ。クラスの中心人物といったところか。初めて俺に話し掛けてきたクラスメイトが修斗だった。修斗が最初でなかったら、きっとこんなに俺が注目されることもなかったのだろう。高校1年を誰とも話さずに終えた俺にとって、クラスメイト全員と一度は会話をしたことある状況なんて、想像だにしなかった。
高校生活も案外悪くないかもしれない。
特に部活に所属するわけでもなく、クラスの出し物で役割につくわけでもなく、常に周りの流れに身を任せていた。目立つのは好きではなかったし、ましてや役割を持つ人間というのは、誰かと繋がっている奴らだ。誰とも繋がっていなかった俺にとって、それこそ権利の無い事と他人事扱いしてきた。
「ねえ、輝君。今日の放課後予定入っちゃって、一緒に帰れないの。ごめんね。」
わざわざホームルームの後に詫びを入れてきた美夜を不思議に思った。何故謝るんだろう。
「…俺も予定あるんで、謝ること無いですよ」
「よかったあ。じゃあ、また明日ね」
軽く手を振って教室に戻る美夜さんはいつも通りで、この前の一瞬見たあの表情は思い違いだったのだと安心した。
「輝ー。なにする?ってか、お前さゲーセンとか行くの?」
心底不思議そうな表情で聞かれてもな。
「まあ、気晴らし程度には行くよ。」
「へえー。行ったことないかと思って誘ったけど、よかったよ」
なにが良かったのかよくわからなかったが、こいつなりに気を遣ってくれたようだ。
「アーケードやろうぜ。勝負な!俺が勝ったらお前なんか奢れよ」
何故そうなる。
「…いいよ」
彼には気晴らし程度といったが、実際のところゲーセンはほぼ毎日きていた。一旦自宅に戻った後、服を変えてまた出かけるのが日課だった。
一度帰宅してから出かけるのは面倒だったが、制服のままいるのも気が引けるし、少しでも気分を変えるには丁度良かった。
家と学校の往復以外にやる事がなかった俺にとって、時間はたっぷりとあった。最も、美夜さんとよく一緒にいるようになってからはその時間も無くなっていたのだが。
「おいー。気晴らし程度って…お前なんでそんなに、なんでもかんでも強いんだよ!!」
大袈裟に悔しがって見せる修斗は、アーケードに突っ伏して小さい子供が駄々を捏ねるように拳を振り下ろしている。無理もない。俺の圧勝、彼の全敗なのだから。
「…お前が弱いんじゃないのか」
冗談で言って見せたのだが、余計なことを言ってしまったらしいと後から後悔した。
それからありとあらゆるアーケードゲームで勝負を挑まれ、気が付いたらもう終電の時刻だった。
「…はあ。一回も勝てなかった。見てろよ!ぜってー勝ってやるからな」
「ってことはまたやるのね。諦めも時には肝心という言葉知ってる?」
「とにかく!勝つまで俺は諦めないからな!」
びしっという効果音が今にも聞こえてきそうな勢いで、指をさす修斗は本当に幼い子供のように無邪気だ。こいつ本当に同い年か。
「…分かったよ。また今度でいいか?修斗そろそろ帰れなくなるだろ?」
「え?あ。もうこんな時間か!」
慌てて二人でゲーセンを後にすると程なく、当たりは冷たい雨に包まれた。
「うわー。俺傘持って来てねーのに。」
ちっと舌打ちをする修斗は濡れるのが心底嫌なのか、折角セットした髪型が崩れるのを危惧しているのか…。
「俺走るわ。輝は徒歩だろ?傘買わなくていいのか?」
「ああ。俺は近いから問題ない」
「そっか。んじゃ、また明日な」
じゃあなと言って本当に走って駅へと向かって行った。
さて…帰るか。本降りになる前に帰らないとな。
…あれ
「………美夜さん?」
思わず声に出していた。少し遠く、顔がぎりぎり判別出来る位の距離。いつもと違う、どこか儚げな笑顔を知らない男の人に向けている。こんなところで会うと思ってみなかったからか、男と一緒にいるからか、俺の知らない顔をしてるからか
また、初めて感じる胸のざわつきが。この間とは違う。なんなんだろう。相手はスーツ姿で、明らかにかなりの年上。俺みたいな年下とは全然違う。
頭が真っ白になった。
それまで考えてた思考とか周りの景色とか、肩を冷たく打つ雨の音とか、何もかもが消えた。
気が付くと自宅の風呂場にいて、服を着たままシャワーを浴びていた。
雨…降ってたもんな。濡れたから、暖めないと風邪引くよな…。
言い訳じみたことを考えながら、鏡に映った自分を見る。
あの時、美夜さんは傘差してなかったな。相手の男は差してたのに。一緒に入る事もなく。寒くないのかな。
俺は何を考えてんだ。俺には詮索する権利も彼女を心配する義理もない。彼女だって言ってたじゃないか。彼氏がいると。
俺は彼女の気紛れに付き合わされてただけなんだ。分かってたじゃないか。
どんっと。目の前の鏡を殴る音で、現実に引き戻された。
俺が、殴った音か…。
幸い鏡は割れなかったが、相当な強さで殴ったらしく、自分の手が真っ赤に腫れ上がっていた。
風呂から上がると、慌てた様子の母親に質問攻めにされた。傘を持っていかなかったのかとか手はどうしたんだとか、さっきの音はなんだとか。
そのどれもに大した返事もせず、俺はさっさと自室に籠った。
「おっす!輝、今日はずいぶん早いんだな。」
「まあね。昨日は終電間に合ったのか?」
朝からハイテンションな修斗についていくのがやっとだ。
昨日はベッドに入った途端、睡魔に襲われそのまま眠ってしまったらしい。いつもより早く目が覚めたから、そのまま出てきた
「俺はばっちりな!…ところで、今日は飯島先輩と一緒じゃなかったのか?」
「…別に、約束しているわけでもないからな」
「そっかあ。なんか、さっき飯島先輩見かけたんだけど、すげー怒ってたから喧嘩でもしたのかと思って。」
「え…?」
「なんか独り言かな。ぶつぶつ呪文みたいに…」
バンッ
修斗が言い終えるか終えないか、突然に教室のドアが物凄い勢いで開けられた。
そこに鬼の形相で立っていたのは、美夜さんだった。
「ひかるくんっ!」
大声で名前を呼ばれ、その場にいたクラスメートと共におれも唖然とするしかなかった。
こんな風に怒る事もあるのか…。
「ちょっと!なんで今日に限っていないのよ!!」
「はい?」
物凄い勢いで腕を掴まれ、引きずられるように屋上へと連れ去られた。
屋上に着くや否や、いきなり怒鳴られ、本当になにがなんだか分からない。
「はい?じゃないわよ!今日は朝一で話したことがあったの!とっても大事な話!」
「はあ」
「はあじゃなくて!なのになんでいつもの時間にいつもの場所にいないのよ!」
「だったら連絡くれれば良かったじゃないですか」
昨日の光景が突然頭を過ぎる。その瞬間俺も不機嫌な声を出してしまっていた。
「なによ。その言い方」
「そもそも約束してるわけでもないのに、いる義務ありますか」
我ながら最低な言い方をした。これで、怒って話しかけられることもなくなるだろう。
「…分かった。」
俯き加減で、両方の小さな手をぎゅっと握りながら美夜さんは頷いた。
「今まで俺なんかに付き合ってくれてありがとうございました。じゃ、俺は戻るんで」
本心だった。
どんな理由だったにせよ、美夜さんと過ごせた時間は楽しく、俺は感謝していた。
何も言わない美夜を残し、俺が屋上を出て行こうと歩き出した瞬間、背中に初めての重みを感じた。
「…美夜さん?」
「行かないでよ。話あるって言ったじゃない。まだ終わってないの」
俺の背中に顔を埋めながら話す美夜さんはとても暖かく、小さかった。
「あの…俺」
「そのまま聞いて。……約束して。毎日一緒に登下校するって。休憩時間も一緒にるって。休みの日でもあたしと会ってくれるって。約束して」
「え…?それって」
「昨日彼と別れた。彼氏じゃないの、本当は」
「それってどういう…」
「不倫してたの。相手は予備校の先生。でも、もう会わないって昨日言ってきた」
突然の告白と感じたことのない温もりで頭の中はパニック状態だった。
「ねえ、輝君の事が好きなの。毎日一緒にいたいの」
消え入りそうなくらいか細い声。全身が震えている。
泣いているのだろうか。
ゆっくりと俺に回っている腕を離す。俯き続ける美夜さんと向かい合った。
そっと彼女の頬に触れる。とても柔らかく、そしてすべすべな彼女の頬は濡れていた。
「…別れたって、俺のせいですか?」
考えたこともなかったセリフ。誰とも繋がることなんて無いと思っていた俺の口からこんなワードが出る日が来るなんて思ってもなかった。
「…違うよ。本当はもっと前から別れるつもりだったの。予備校も変えたから先生に会うこともないし。先生は優しかったけど、不倫は辛かったし。」
言い訳のように聞いても無い事を次から次へと美夜が話している。そんな彼女の言葉をどこか遠くの方で聞いていた。
…俺の事好きって言ったか…?
これまでの事を思い返す。冷たい雨に打たれながら、知らない男性と悲しそうに話す彼女。一瞬だけ見せた、酷く寂しそうな彼女。毎日毎日、飽きもせず俺の周りをついて回る明るい笑顔の彼女。
そのどれもが本当で、見間違いでも勘違いでもなかったのだと。
「…さっきのもう一度言ってください。」
小さな彼女の顔を、腰を屈めて覗き込む。
「あ、え?さっきのって…」
顔を真っ赤にしながら、口をパクパクさせている。まるで金魚だ。
「わかりますよね?」
きっと今の俺はとても意地悪な顔をしている。そんなことは分かっている。しかし、自分では止めることなど到底無理だった。だって、これほどまでに可愛い彼女を見たことが無い。きっと少しくらい意地悪をしても罰は当たらないだろう。
「あ。だ、だから、その…。」
俯き声がどんどん小さくなる。これまでの強気な彼女はどこへ行ったのだろう。
そっと、その小さな体を抱きしめる。
ああ。もしかしたら、ずっとどこかで願っていたのかもしれない。いつか、こうして彼女を抱きしめたいと。
出会ってからたったの3か月。どうしてこんなにも愛おしいのか。これが愛おしいという感情なのかと、様々な思考が入り乱れる。
「先輩…」
耳まで真っ赤にしている彼女の体温を感じながら、耳元でそっと囁く。
ああ。俺は繋がれない人ではなかったのか。俺にもこんな感情があったのか。
真っ赤に泣き腫らした目で、心底嬉しそうに微笑む彼女の綺麗な顔を俺はきっと一生忘れない。
(…俺も好きだ)
数年前の書下ろしを再編集しました。