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人魚と獣 (Merman and the Beast)  作者: 烏籠武文
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人としての尊厳

パチンとスイッチが入ったようにいきなり目がさめた。何十時間も寝ていたような、一瞬眠っただけのような不思議な感覚がする。同じベッドの上だったが部屋には誰もいなかった。


とりあえず横になったまま手首を動かしてみた。うん、全然動く。足は?足首をひょこひょこ動かしてみたがこっちも大丈夫。そろりと上半身を起こしてみたが、痛いところはないし気持ちも悪くならない。怪我が治っている以外は何も変わった感じはしないけど、人魚になった…ってことなのかな。普通によく寝ただけのような気もする。


ただちょっと…トイレ行きたい。いやでも、男しかいない家でもすっぽんぽんで歩くのはさすがにどうかと思う。しかし生理現象には勝てない。諦めてベッドから降りると幸い下着だけははいていた。下着というより褌っぽいけど、なんだろこれ?


まあいいや、最低限人としての尊厳は保っている!ヨシ!見つかる前に部屋に戻ればなおヨシ!


自分に言い訳してドアを開けた。料理の匂いがする。廊下が明るいからお昼の用意だろうか。と思うと急にお腹がすいてきた。俺の分あるかな。


自分が切った庭木を見ながら縁側を通り過ぎ、お手洗いに入る。そこで衝撃的なすんげーのが出た。一瞬内臓が出たのかとびびった。いやあれ人生最大クラスだわ。とちょっと感動しながらトイレのドアを開けたら縁側の突き当たりに慌てた顔の勇さんが立っていた。何かいいかけて口を手で押さえる。残念、見つかっちゃった。


「あ、勇さん、俺の昼飯あります?」


勇さんはふーっと大きく息を吐くと、なぜか手で顔を覆って首を振った。「まったくどいつもこいつも」ポーズだな。呑気ですみません。でも下着だけはつけてます。


黙ったまま手招きする勇さんについて台所に入ると、勇さんは風呂を指さした。


「風呂入れってことですか?」


勇さんはうなずく。


「なんで黙ってるんです?」


言いたくないという風に目をそらず。ヴィンセント先生の指示なんだろう。まあいいや後でわかるきっと。


シャワーを浴びて気がついたが、全身すごくべとべとしてる。何日も風呂に入ってなかったみたいだ。シャンプーと石けんで2回繰り返し洗ってやっとさっぱりした。禿げるんじゃないかってくらい髪が抜けたし、めちゃくちゃ垢も出た。


脱衣所にはパジャマじゃなくて俺の服、それと下着も籠の中に入っていた。着替えを車から回収してくれたらしい。シャツもジーンズも洗濯済みで気持ちよかった。勇さんいい奥さんになれますよ。


「いいお湯でした」


そう言って食堂に入ると勇さんが待っていた。椅子に腰掛け、なんとなくむすっとした顔で肘をついている。向かいの席には昼食が用意してあった。


椅子に腰を下ろし、ありがたくお昼をいただく。今日のメニューは豆腐ハンバーグでした。うん、あんかけがショウガ味でうまい。生野菜じゃなくて煮浸しがついてたり、ご飯も軟らかめなのが病院食っぽい。やっぱりすごくお腹がすいていてご飯をおかわりする。


「朝ご飯の山菜の煮物うまかったんですけど、あれもうないですか?」


勇さんは両手で×マークをつくってみせた。残念、うまかったのに。


喉も渇いていたようで食後のお茶を2回おかわりした。食器を下げた勇さんが戻ってきて、相変わらず黙ったまま指さす。応接室の方向だ。そういえばヴィンセント先生見てない。応接で待ってるということ?


椅子から立ち上がると勇さんが後ろからついてきた。少し疑問に思いながら応接のドアをノックし、中に入る。


入った瞬間反射的に逃げ出しそうになった。それを知っていたように、後ろから勇さんに抱き留められる。


応接の一番大きなソファに腰を下ろし、足を組んで座っているのは見覚えのあるヴィンセントさんだった。相変わらず綺麗で、何ひとつ変わったところはない。それなのに怖くて仕方ない。本能が逃げろと大音量で警告している。


「僕が怖いか…成功したね。」


特に感情がこもってない言葉なのに、ぞわっとうなじの毛が逆立つ。


「ユーゴ、落ち着くまでしばらくそのままで。」


さすがに人はいつまでも同じレベルで怖がっていられない。ドアを開けて、ヒグマが立ち上がって威嚇しているところに出くわしたら死ぬほど怖いだろうが、それがずっと動かなければ多少は慣れる。多少は。


がちがちになっていた体から力が少し抜ける。勇さんも腕の力を抜くと、ソファから一番遠い椅子に座らせてくれた。自分は座らずに椅子の後ろに立ち、俺の肩に手を置いた。守るようにでもあり、逃げないようにでもある。


「1つ確認したいことがあって…ユーゴ、いいかな?」

「ああ…」


何か迷っている風に勇さんが言う。


「譲二、人魚化の方法は誰にも教えるな。あと、お前が他の人間を人魚にするのも絶対に駄目だ。」

「え?あ、はい。わかりました。」


え?それだけ?逆に拍子抜けする。当たり前だと思うけど、そんなに深刻になるような話?


「では僕が質問する。小猿くん、人魚化の方法は?」

「え?だって今、教えるなって…。」

「テストだよ。言ってごらん。」


いやそう言うなら言いますけど、人魚化の方法は…言おうとしたが口が動かなかった。喋ろうとしても声が出ない。なんだこれ、どうなってるんだ?焦りながら黙ったままの俺にヴィンセントさんは満足したようだった。


「当たりか」

「…そうみたいだな」


嫌そうな声で勇さんが答える。


「勇さんこれ…どういうことですか?」

「ユーゴじゃない、僕が決めた。」


俺が一番嫌いなのは人から欺されることだ。思わず恐怖も忘れてヴィンセントをにらみつける。


「理由は2つ。1つ目はいま君が経験したこと。人が人魚の血を飲むと、血の強さに比例したリンク…支配関係が発生する。これは実証済みだ。ユーゴの血だと起きないはずなんだけど、君の場合は前例がなくてね。何も起きないか、逆に強すぎるリンク…完全な支配や隷属になる可能性もあった。」


「2つめ。仮説が正しければ、どんな命令にでも従う奴隷が量産できる。だからその方法を言うのも、実行するのも君には禁止した。」

「…あんたたちが奴隷を作るのはいいんですか。」


勝手な言いぐさに思わず語気が荒くなる。


「僕の血は強すぎて無理だけど、ユーゴならできるね。」

「そんな真似するか!」


勇さんは本気で怒ったようで、肩に置かれた手に力が入って指先が食い込んできた。


「痛てっ!」


そう言うと慌てたように手が離れた。もういちど、今度は両肩に手を置いて勇さんがゆっくりと話す。


「すまない、悪いことをした。万一ヴィンスの仮説が正しかったら危険すぎるから…俺も同意した。だが俺は君を支配する気も隷属させる気もない。君の意志を踏みにじるような命令はしない。君は君の自由な意志で生きていい。」

「ユーゴ、それも命令だよ。」


あっ、と声にならない声を勇さんがあげる。あんた意外と馬鹿ですね。


「だがちょうどいい。試しに小猿に猿の真似をしろと言ってみて。」

「センス悪いな」

「早く」

「あー。…譲二、猿の真似をしてもらえるか?」

「嫌ですよ。ウッキー。」


微妙な空気が流れる。しまった滑った。


「…冗談ですよ。猿の真似なんかしません。」

「無効化されたか。では小猿くん、人魚化の方法は?」


言おうとしたが同じだった。言葉が出ない。


「先に出した命令が優先で、取り消しも上書きもできない。となると使いづらいな。自爆テロで使い捨てにするとかそういう使い方になるのか…。」


ぶっそうなことをドクターが言う。ただ危険なのはまったく同感だ。どんな命令でも聞く人間が手に入ったら人は何をするか…嫌なことを思い出しかけてあわてて頭から追い出す。でもやっぱり納得できなくてふてくされて答えた。


「いいです。あんたたちが心配していることは確かにその通りだし、昨日今日会った俺が信用できないのもそうだと思います。不本意ですけどたぶん正しいんでしょう…で、他にまだなんかあるんですか?」

「体を調べたい。ユーゴ、その間にお茶を用意してくれる?」


あからさまな追い出しの理由にしか聞こえないのだが、勇さんはわかったと部屋から出て行った。お願いです、ヒグマと同じ部屋に二人っきりにしないでください!

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