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人魚と獣 (Merman and the Beast)  作者: 烏籠武文
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終わりと始まり

山道の坂をゆるゆると下りながら頭の中をもう一度整理する。勇さんは人魚。終わり。ダメだ非常識すぎて頭が回らない。次に会うときまでに何が聞きたいか考えておこう。


あんまり早いのも遅いのもなんだし、と言って来月は年末のかき入れ時で忙しい。休みの調整を親方に相談するか。行く日だけでも来週くらいに電話できないかなぁ。手土産何にしよう。福砂屋に対抗するならとらやの羊羹だろうか。高いんだよなあれ。


あれこれ考え事をしていたせいか、ブレーキの操作感がおかしいのに気づくのが遅れた。なんだか反応が悪い。警告灯はついてないから異常はないはずだが、一度車止めるか。


軽く、ではなく止めるつもりでぐっとブレーキペダルを踏み込むとすこんと抜けた感じがした。慌てて繰り返し踏み込んだが、すかすかするだけで全く反応しない。


やられた。そういうことか。


来たときの記憶が正しいなら、この先に崖がある。一か八か車から飛び降りるか?いやむしろ落ちるなら車の中にいた方が安全じゃないのか?坂を下り続けるうちにどんどんスピードが上がってくる。ハンドルをさばくだけで精一杯になっているうち時間切れになった。予想通りジムニーは崖を飛び出し、ゆっくりと長い時間をかけて落ちて行った。


     ***


気がついたら地面に寝っ転がっていた。きれいな青ぞらが見える。俺、運転席に座ってなかったっけ?時間が引き延ばされたようにゆっくり落ちたのは覚えている。途中で車がバウンドして…あとは覚えてない。ドアが開いて放り出されたんだろうか。


どっちにしてももうダメだろう。全身痛くないところがない。何か刺さっているのか、骨が折れているのか、内臓がいかれているのかそれすらわからない。こういうときは痛くて泣き叫ぶものだと思っていたが、痺れたように声も出ない。意外と呑気で苦しくないのはもう死にかけているからだろうか。


15年たってやっと死が追いついてきた。そう思えばなかなか感慨深い。おかしなもんだ、死にたいと毎日思っていたときは死ねなくて、生きていてもいいと思えるようになったら死ぬなんて。


俺には心残りはないけど、親方をまた悲しませることになるのは心が痛む。それに…俺、本当に誰にも言わないつもりだったのになぁ。また来いって道教えて、電話番号も渡してくれたじゃん。あれ全部嘘だったのか。


みんな俺に嘘ばかり言う。親方以外は。でもいいや。これで終わるならもういい。寂しさと諦めの入り交じった平穏な気分で目を閉じ、死が訪れるのを待つ。


「生きてるか?!」


いきなり近くで怒鳴られてびっくりして目を開けた。息が上がった勇さんがのぞき込んでいる。あんた…なんでいるんです?ちゃんと死んだかどうか確認しに、それともとどめを刺しにですか?たぶん手を出さなくても、もうずいぶんさんさんたるありさまでしょ?


勇さんはもどかしそうに左の袖を肘までまくり上げた。気づかなかったが右手に小さい包丁を持っている。ちょっとやめてください、とどめ刺すならもっとしっかりした刃物でお願いします。


だが勇さんが包丁を使ったのは俺にじゃなかった。包丁を逆手につかみ、左手の肘の内側に突き立てて手首まで一気に引いた。切り裂かれた傷口からは勢いよく血が流れ出す。自分でやっておいて勇さんは痛そうに顔をしかめた。


間髪入れず右手で俺の顎をつかんで無理矢理口を開け、血が滴る指を口の中に突っ込まれた。半分悲鳴のように叫ぶ。


「飲め!飲んでくれ!」


嫌です。血なんて飲みたくありません。そんなことを思っていても、あっという間に口の中が血で一杯になる。顎を押さえられているから横を向くことも吐き出すこともできない。


嫌悪感を消したのは想像とは全然違う味だった。甘い。喉が渇ききったときに口にした水のようだ。反射的に口の中にたまった液体を飲みこむ。


一度嫌悪感が消えたらあとは抵抗がなくなった。口の中に流れ込んでくる液体を飲む。甘くて美味しい。だんだんと量が減ってきて、止まりかけたころには指についている血を舌で舐め取っていた。理性では何やってんだ俺と思うが、本能が言うことを聞いてくれない。


完全に血が止まった時には指が引き抜かれ、同時に押さえられていた顎も解放された。さっきより全然気分が良い。でもまだ体を動かせる気はしない。上からのぞき込んでいる勇さんは険しい顔のままだった。


「喋るな。寝てろ。あとは俺が何とかする。」


あれ?勇さんしゃべり方変わってません?もう猫かぶるのやめたってことかな。


でも良かった、少なくとも勇さんが俺を殺そうとしたわけじゃない。それだけで安心して目を閉じたら唐突に意識が途絶えた。

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