吸血鬼とチャーシュー麺
その朝起きた時、唐突に肉まんが食いたくなった。
冬ならコンビニで売っているが今の時期は扱ってない。冷凍肉まんを買ってきて温めるって気分でもない。それにもっと本格的な肉まんが食いたかった。
勇さん家に行く日だから神奈川には行く。ちょっと早めに家を出て、中華街で昼飯食ってから行くことにした。
しかし俺は中華街で重大な選択を迫られた。清風楼の炒飯と焼売にするか。慶華飯店のワンタンにするか。菜香新館の点心にするか。ああ、なんで人間は胃袋が1つしかないんだろう。
悩みに悩んだ結果、焼売が勝った。昔ながらの店構えの小さい店に入り、炒飯と焼売を注文する。やっぱここの炒飯うまいわ。量もすごくて食った!って感じがする。
その後は大通りに出て、勇さんへのお土産にチャーシューと中華ソーセージを買う。もちろん一番の目的の肉まんも忘れちゃいけない。食後のデザートにほかほかの肉まんを買い、店先に並べられたお土産やショーウィンドウの料理サンプルを見ながら歩き食いする。やっぱいいな横浜。空気が東京と全然違う。海が近いせいなのか、それとも空が広いせいなのか。開放感があっていい。
だが俺のご機嫌な散歩もそこまでだった。いきなりすごい力で腕をつかまれ、食ってた肉まんを落としそうになった。
なんだいきなり…と振り向いたら、腕を掴んでいる奴はがたいのいい外人さんだった。金髪でいかつい顔、茶色がかった青い目が冷酷な印象を与える。だがこいつは…人間じゃない。俺と似ているけど違う、もっと強いなにかだ。
もしヴィンセントを知らなかったら震え上がっていたと思う。だがあのヒグマに比べたら全然弱い。たとえるならドーベルマンくらいだろうか。怖いのは怖いけど、ヒグマよりはましだ。ドーベルマンは俺が平然と肉まん食ってるのが不満らしかった。だって温かいうちに食わないと味が落ちるじゃん。
外国語で話しかけられたが、俺英語わかりませーん。…じゃないな、英語じゃない。なんとなくだけどドイツ語っぽい。
俺の反応がないのにイライラしたような男の言葉の中で、一つの名前だけはっきり聞き取れた。
「Dr. ヴィンセント・D・ノイマン」
反応したつもりはないが、俺が知っていることに気づいたらしい。にっと笑うとより強い力で掴んでくる。案内しろということか?
さて肉まんは食い終わったがどうしよう…こんなの腕につけたまま勇さん家に行くのはまずいよなぁたぶん。少し考えて、左手で受話器を持ち、右手でプッシュホンを押すジェスチャーをする。電話するという意味が通じたらしく男はうなずいた。
後ろに男を従えたまま公衆電話を探す。たぶんホテルのロビーにあるだろうとローズホテルに行くと幸いすぐ電話が見つかった。ここから勇さん家に電話したらいくらかかるんだろ?とりあえず財布にあるだけの10円玉と100円玉を電話の上に積み上げる。
10円玉を入れて電話するとすぐ勇さんが出た。
「勇さん、俺ですけど。」
「譲二か。どうした?」
「いま中華街にいるんですけど、変な外人に絡まれちゃって」
「絡まれた?どういうことだ?」
「なんかヴィンセントの…痛てっ!」
「どうした!?」
「いや、すごい力で捕まれて。ヴィンセントの知り合いみたいです。今日いますよね?代わってもらえます?」
「ああ、ちょっと待ってろ」
バタバタと勇さんが走って行く音がした。しばらくして不機嫌そうなヴィンセントの声が受話器から聞こえてきた。
「もしもし?」
「ヴィンセント?知り合…」
そこまで話すと横から受話器をひったくられた。男は受話器に向かってヤー、ナインを繰り返すだけだったが、こんな恍惚とした顔で電話する人って初めて見た。切れないように100円玉を追加する俺って良い人。
話が終わったのか、うっとりとした表情のまま俺に受話器を渡してきた。だが最後にぎっと殺したいと言わんばかりの目つきでにらみつけると、そのままくるりと背中を向けて歩き去って行った。
…なんだったんだ。最後マジ怖かったぞ。ちびるかと思った。俺、悪いこと何もしてないし。ちゃんと電話つないでやったし、礼を言われることはあってもあんな目つきで見られる理由はない。俺の100円返せ!
「譲二?無事か?」
受話器から勇さんの声が聞こえてきた。切れたと思った電話はまだつながっていた。
「あれ勇さん?ヴィンセントが話してたんじゃないんですか?」
「話は終わったって受話器を渡された。危害を加えられるんじゃないか心配してたんだが…」
「なんだったんです、今の?」
「吸血鬼だ。詳しいことはこっちに来たら話す。じゃあ後で。」
それだけ言うと電話は切れた。ちょ、ちょっと待ってください。肝心なこと全然聞いてない!本当にいたんですか吸血鬼って!
電車を乗り継ぎ、勇さん家に着いてからお土産のチャーシューとソーセージを渡すと晩ご飯は炒飯にするかと言われた。あー、そうだよな。お昼をワンタンにするか、お土産をチャーシューまんにしておけばよかった。まあ2食続けて炒飯でもそんなに気にしないけど。
いやそんなことはどうでもいい。肝心なのは俺の腕を掴んだ男の話だ。晩ご飯の炒飯を食いながらヴィンセントにあれは何だったのか聞いてみた。
「吸血鬼だ。日本にまで来ると思わなかった。本当にしつこいなあいつら…。」
憂鬱そうに言いながらヴィンセントはスプーンで炒飯を口に運ぶ。勇さん炒飯はさすがにお店ほどパラパラじゃなかったけど、中華ソーセージが入ったせいで独特な香味が出て美味しかった。
「お前が電話口で罵るからひやひやしたぞ。」
「あいつらは酷いこと言われた方が喜ぶんだよ。」
「何て言ったんです?」
それにヴィンセントは答えなかった。代わりに勇さんが答える。
「えーっと、何しに来た、呼んでもいないのに顔を出す気か、さっさとドイツに帰れ。そこにいるのは俺のペットだから手を出すな。そんな感じかな。」
「なんすか最後の」
「そう言っておかないと八つ当たりで殺すかもしれないから。」
そうヴィンセントが言ったので驚いた。まじまじと顔を見たせいか、ヴィンセントは嫌そうな顔をした。
「何?」
「いや…俺の心配してくれるなんて思わなかったんで。」
「心配していない。実験体を吸血鬼ごときに殺されたら困る。」
あーそうですか。ありがたいと思って損した。
「なんで吸血鬼がヴィンセント探してるんです?」
「こいつが欧州の吸血鬼締めてるからだろ。盟主に恋い焦がれて探し出そうという奴がいてもおかしくない。」
ちょ、何それ俺知らない。ヴィンセントは知らん顔して椅子を立つと、食べ終わった食器を下げに台所に行ってしまった。
そのあと勇さんが知っている限りの吸血鬼の情報を教えてもらった。勇さんたち人魚と同じ血筋で、ポーランドに残った人たちの子孫らしい。ドイツ脱出組と違って過酷な環境に置かれたらしく短期間に異様な変容を遂げ、人肉を食うグール、人の血を求める吸血鬼が生まれたそうだ。
「吸血鬼は突然変異を起こした一人の女性…真祖エリザベートの子孫だ。エリザベートを祖とするローゼンクランツ家と、エリザベートの娘で母親殺しのマルガレータを祖とするリリエンフェルト家でずっと殺しあいをしている。」
「復讐ですか?」
「いや、単にどちらの一族が強いか?だ。吸血鬼は力の上下関係にしか興味がない。強い者には嬉々として従う。弱い者は容赦なく蹂躙する。人魚は吸血鬼と比べものにならないくらい弱いからな。ヴィンスが手を出すなと言わなかったら何をされたかわからない。」
「ヴィンセントの方が全然強いでしょ?」
「ああ、ローゼン家リリエン家当主より強いみたいだな。だから吸血鬼はあいつにつきまとう。その足下に身を投げ出すのが何よりの喜悦だから。」
「うわ…すごいたちの悪いつきまといですね…」
「ドイツから日本に戻って来た理由の1つはそれだろうな。関わり合うのが嫌になって逃げてきたんだろう。」
なにげなく勇さんが言った言葉を俺は聞き逃さなかった。日本に戻ってきた。つまりヴィンセントはドイツから日本に来たんじゃない。ドイツから日本に来て、そのあといったんドイツに戻り、また日本に来た。そうでないと「戻ってきた」とは言わない。
まだ俺が知らないことはたくさんある。勇さんとヴィンセントがわざと黙っていることもあるだろう。そのうち教えてもらえるんだろうか。
そんなことを考えていたら風呂上がりのヴィンセントがテーブルの横を通っていった。台所から戻ってこないと思ったらそのまま風呂に入ったらしい。いつもどおり素っ裸だ。
最初は二度見したが、さすがにもう慣れた。俺はそっちの気はあるけど、ヴィンセントの裸を見ても何も感じない。顔だけじゃなくて体も綺麗なんだが、綺麗すぎて芸術作品を見る感覚に近い。劣情とはほど遠くて、せいぜい下も金髪なんだと思うくらいだ。
横浜の吸血鬼に、ヴィンセントの裸なんて見慣れているといったら牙が折れるくらい歯がみして悔しがったかな?と考えてふと気づいた。普通、人間のことをペットとは言わない。ペットと呼ぶのは可愛がるもので…つまり違う意味で裸を見慣れている関係だってことじゃないか?
嫌だあああああ!たとえ誤解でも、ヴィンセントとそうだと思われるのは絶対嫌だ!しかもあいつが誤解したままドイツに帰国したら、もしかしたら他の吸血鬼にもそういう情報が…うわぁあぁぁあああ!
嫌な想像をしすぎて、テーブルに突っ伏してもだえていると勇さんに名前を呼ばれた。
「譲二」
「…なんです?」
「明日の昼はチャーシュー麺にしようと思うんだがどう思う?」
勇さん、俺が何をしててもスルーするスキル身につけましたね…。みんなお互いに慣れてきたなあ…。
「…いいんじゃないですか?」
「じゃあスーパー行って生麺買ってきてくれないか?あと青物は青梗菜か小松菜か…俺は小松菜の方が好きなんだが…安い方でいい。」
「了解」
ついさっきまで非常識きわまりない吸血鬼の話をしていたと思えば、その盟主が裸でうろうろしてて。最後はおつかい行ってきてね、かよ。まったくこの家に来ると退屈しなくていい。
まあいいや、明日は小松菜買ってこよう。勇さんが好きな方買っておけば間違いない。俺も慣れたな。