[譲二20歳] 夜明けの灯1
俺がアキさんに初めて会ったのは親方行きつけの居酒屋だった。
親方に連れられていつもの居酒屋に入ったとき、アキさんはカウンターで一人で飲んでいた。それを見つけた親方が声をかけた。
「おお、珍しいな。一人で飲んでんのか?」
振り返ったアキさんを初めて見たときの第一印象は、格好良い人だな。だった。一つに結んだ長めの髪や銀縁眼鏡なんて、一歩間違えば絵に描いたような嫌みなインテリになりそうなものだが、センスの良い服や知的な顔立ちがそれを格好良さに変えていた。
「そうなんです。珍しいでしょ?」
そう言って笑った顔が人なつっこくて、なんか可愛い人だなぁと思ったのは俺だけでもなかったようで。
「こっち来いや、一緒に飲もう。」
そう言われてアキさんは俺に目を向けた。
「俺はいいですけど、君はいいのかな?」
「あー、気にすんな。知り合い増やすのも商売のうちだ。すまねぇ、席移るから運んでもらえるか?」
最後はお店のお姉ちゃんに言ったらしい。4人掛けのテーブルに俺と親方が横に、アキさんが向かいに座るように腰を下ろす。
「譲二は初めてか。長谷川明さんだ。通称アキさん。インテリで女にモテモテの一級建築士様だ。家を建てる時は頼むといい。」
「ははっ、やめてくださいよ。少なくてもモテモテは嘘だからね。」
そう言ってアキさんは俺に笑って見せた。いやその笑顔でモテモテじゃないは嘘だろ。
「何言ってやがる、おまえんとこの建築事務所はご婦人方に大人気じゃねぇか。」
「違いますって、奥さんの目線で家を設計してるだけです。どうしてもメーカーさんは女性視点が欠けていることが多くて。」
「それとお前がいかした格好してんのはどう関係するんだ?」
「これはあれですよ、仕事上の制服です。女性受け良くないと仕事がすすみませんから。」
「ほらみろ、やっぱりモテモテじゃねぇか。」
もちろん親方も冗談で言ってるだけで本気じゃないのはわかっている。しばらく冗談のジャブを打ったあとでアキさんは俺に視線を向けて親方に問いかけた。
「で社長、お連れさんは?」
「おお、いけねえな。うちで最近雇った譲二だ。真重譲二。」
「初めまして。ましげ?珍しい名字だね。」
「あ、はい。言いにくいんで譲二でいいです。」
壁に貼ってある今日のおすすめを見ながら、親方は顔も向けずに俺に聞いてきた。
「譲二、とりあえず生中でいいな?」
「はい、お願いします。」
「こいつやっと成人して酒飲めるようになったんだよ。そしたらまぁ、いくらでも飲む飲む。酒飲みの血筋だな。」
最後はアキさんに言ったらしい。それを聞いたアキさんは天を仰いだ。
「20歳ですか!いやー、自分が年とったって実感しますね。」
「アキはいくつになったよ。」
「俺ですか?もうすぐ三十爺です。」
「喧嘩売ってんのか。俺より全然若けぇじゃねえか。」
「やめましょうよ、20歳から見たら五十歩百歩の年寄りです。」
アキさんの年齢を聞いて驚いた。俺より少し上だろうとは思っていたが、10歳近く年上には全然見えない。だが建築士として仕事をこなしているなら、それくらいの年齢でもおかしくない。
そして親方がアキさんと飲みたがった理由もよくわかった。すごく話がうまい。建築士って図面引いてるだけの仕事だと思ったけど、もしかしてけっこう接客業なんだろうか。
親方も楽しかったようだが、俺も一緒に飲んで楽しかった。そして親方が「一人で飲んでるのが珍しい」と言った意味は後でわかった。
俺の晩飯はコンビニ弁当かラーメンか牛丼か親方ん家。あとは居酒屋がだいたいのパターンだ。親方行きつけの居酒屋は俺的にはちょっと高いけど、美味い物を食いたくなったら行くことにしている。
アキさんも親方贔屓の店がお気に入りのようで、よく見かけた。必ず誰かと一緒に飲んでいて、しかも見るたび違う人だった。地元の知り合いが多いのか、居酒屋の人気者なのか。どっちにしてもあれだけ話がうまければ人気なのはわかる。
居酒屋で会ったら軽く会釈したり、一人で来た俺をアキさんが席に呼んで一緒に飲んでいる人を紹介してくれたり、親方と一緒にアキさんが他の人が飲んでいるところに乱入したり。そんななんとなくのつきあいが一年くらい続いた。
ある日居酒屋に行ったら珍しくアキさんが一人で飲んでいた。
「あれ、アキさん一人なんて珍しいですね。」
いつか親方が言ったようなことを俺も言うと、アキさんは顔を上げて笑った。
「そうなんだよ。譲二くんつきあってくれる?」
「いいですよ喜んで」
「じゃあ今日は俺のおごりだから好きな物頼んでいいよ」
「いや、悪いですよ」
「気にしないでいいよ。大口とれたから今日は機嫌も懐具合もいいんだ。」
「あ、じゃあ遠慮なくごちになります。」
一級建築士の大口案件なんて俺の給料の何倍なんだろ。そりゃおごってもらってバチはあたらない。むしろ遠慮するのが失礼だと、普段は頼めないつまみを注文してみた。アキさんもせっかくだからって高い日本酒を選んでくれた。大吟醸と言うらしい。
日本酒って臭いし、あんまりうまいと思わないんだけど。でも断るのも悪いし。一口だけ…と注がれたお猪口を飲んでびっくりした。うまい。味も香りもすごくいい。
「いや…これうまいですね。日本酒好きじゃなかったんだけど。全然違う。」
「気に入った?よかった、俺もこれ好きなんだよ。」
「やばいなー。日本酒はまりそう。」
「そう言ってもらえるとおじさんは若い子に飲ませがいがあるねぇ。」
「なに言ってるんですか、アキさんまだ若いでしょ?」
「いやいや立派なおじさんだよ。」
そう言って笑う横顔が、俺が言うのも何だけどまた可愛い。頭が良くて、人当たりが良くて優しくて。アキさんを嫌いな人っているんだろうか。しかも仕事は順風満帆。うらやましい限りだ。
俺も親が生きてたら大学に行って、もしかしたらこんな風に仕事してたのかな、とふと思った。もしもの話だ。それくらい想像したっていいだろう。
グラスを持つアキさんの手は白くて綺麗だ。オフィスで働く人の手をしてる。男の手だからちょっと骨っぽいけど、指が長くて華奢な感じがする。シャツの袖からのぞく手首も細い。殴り合いの喧嘩なんかしたことなさそうだ。
そう言ってる俺の手はがっしりした働き者の手だ。こぶしもステゴロをくぐり抜けてきている。人それぞれ違う人生を生きている。同じわけがない、違って当たり前だ。そう思うが、なんとなくアキさんの手から目が離せなかった。
たわいもない話をしつつ一通り飲み食いしたら、アキさんに先に店を出るように言われた。お勘定でいくら払ったか見せたくないんだろう。そういうところも大人だよな。俺と飲んだんじゃ交際費にならないから自腹だろうし。
のれんをくぐってでてきたアキさんにごちそうさまでしたとお礼を言ったら、アキさんは何か言いたげな顔をした。あれ?俺なんかまずいことやったかな?
だが、少し迷っているようなアキさんの口から出たのは普通の言葉だった。
「んー、まだ飲み足りないな。譲二くん、つきあってくれる?」
「いいですよ、どこ行きます?」
「俺んち」
そう言われて反射的に身構えた。アキさんはそれに気づいたようだったが、勘違いしたのか手を振って見当違いのことを言った。
「あ、大丈夫。俺一人暮らしだから。」
余計危ないじゃないか。でもアキさんがどんな家に住んでいるか興味はあった。なんたって建築士だし。それにもし…いやないとは思うけど…万一何かあったとしても、俺の方が強い。力ずくでどうこうはできないはずだ。
だから俺はいいですよと答えた。だが俺は忘れていた。力は俺の方が強くても、頭はアキさんの方が全然いいってことを。