第99話 苦い薬と苦い思い
七月二十四日。
俺とエルミアと霊戯さんは、ラメが病気で寝込んでいると知らされ、冬立さんとラメの家にやって来た。
ピンポンを鳴らすと、忙しいから待ってくれと冬立さんに言われた。
今日は平日で、彼女には仕事がある。その対応もしなければいけないのだろう。
加えてラメの世話。家事。そりゃあ忙しいよな。
「私達からは移ってないよね」
「多分ねー。どうだろ、僕も倒れちゃうかな?」
霊戯さんだけは、突然ぶっ倒れはしないと何故か言い切れる。何故だろう。
ちょっと休むよと言って部屋に籠もり、いつの間にか病に侵されていそうだ。
「きっと霊戯さんは、人知れず静かに倒れるでしょうねー」
「確かに? バタッと逝くタイプじゃないよね僕って」
自分で言うのか。
*****
透弥と咲喜さんは来ていない。二人もラメのことが心配だろうけど、人が多いと却ってラメの体調が悪くなってしまう。
安静にしていられるように、見舞いは三人だけ。それも、少し会話をしたら帰る予定だ。
病気は回復魔法で治せないのかと疑問に思ったが、エルミアによると、それは無理らしい。
俺の見解では、回復魔法は疲れや痛み、傷などは癒せても、細菌やウイルスを殺すことはできない。ただの風邪なら頑張れば治せそうだが、たとえばインフルエンザとかは、回復魔法では治せないんだろう。
「お邪魔しまーす」
冬立さん家にお邪魔したのは初めてだ。
部屋の真ん前までなら一回だけ来たことがあるけど、中に足を踏み入れるのは初。
俺達の家と同等かそれ以上に綺麗だ。目立った汚れは見当たらず、全体的に明るい印象。
てっきり怪しい実験道具がそこら中に転がっていると思っていた。
その代わり、カカオ豆の絵が玄関の壁に飾ってある。
一体どこから手に入れたんだか。売ってるの?
「寝室はこっちだ」
小さめの声で指示され、開けられたドアの向こうへ。
寝室も、これまた綺麗。二人だけだからか、かなり広く使っているようだ。寝具や家具を詰めて俺のゲーマーセットを設置しても、まだ場所が余るだろう。
部屋の奥に一台のベッド。
そこにラメが寝かされていた。
保冷剤のデカいバージョンみたいな、青い枕に頭を載っけている。
「調子はどうだ?」
「……さっきと変わってない……」
冬立さんの問いに、目を半開きにして答える。
基本的に活発でいるラメが、こんなにも弱っている。
まるで秋に紅葉を見て楽しんだ場所に冬になって行ってみたら、葉が全部散っていたときのような、なんとも言えない気持ちになった。
この様子からして、症状は軽めではある。酷くて一週間ちょっとすれば治るタイプのやつだ。
「そうか。ほら、皆んなが見舞いに来てくれてる」
ラメは低い視線で俺達を見る。
口まで布団を掛けているので、何かモゴモゴと声を出しているのに聞き取れない。
俺は彼女に近付き、しゃがんで顔を近付けた。
「辛そうだな……。自分が体温のスキャナーになったと錯覚するくらい、辛さがわかる」
俺は仲の良い幼馴染もいなかったから、病気になるのはいつも俺で、父さんか母さんのどちらかが看病してくれていた。
看病する側になったのは……父さんが重病で入院した時だけだ。
しかしそれは、あまりに甚だしい症状だったので、ベッドで休む程度の病気とは比べものにならない。
だからこう、家で病人を労るのは初めてなんだ。実に変な気分。
「具合は……どこが悪いんだ? 熱以外には」
「の……うっ、うぅ……」
答えようとして、苦しんだ。
の……喉、か?
「喉が痛いんだ」
やっぱり。
「ヘルパンギーナ?」
「ああ」
どうやらラメはヘルパンギーナという病気に罹患したらしい。
発熱や喉の痛みがある、夏風邪の一種であるそうだ。
幸いすぐに完治するらしいので、一安心。もう病院で診てもらい、薬も処方されたそうだ。
「うーん、感染するような所行ったかなあ?」
「ここ最近、あっちの家にもこっちの家にも行って……その疲労の所為で、免疫力が低下していたのもあるだろう」
それもそうだな。
俺達の家に泊まったり、冬立さんの家に帰ったりって忙しかったから。本人は喜んだりちょっと悲しんだりしていたけど、体に負担は掛かるよな。
ホテルに泊まると落ち着かない感じがするのと同じことだ。その繰り返しでは、当然疲れてしまう。
そんな状態でいたら、どこかで少しでもウイルスが侵入してきたら、抗う力が足りなくて発症してしまう。
「じゃあ今度からは、もう少し間隔を空けましょうか。全く無しというのはラメちゃんも嫌でしょうし」
「そうだな。実際に症状が出ている以上は……嫌でも、改善するしかない」
冬立さんはそう言い、枕元でしゃがんでラメに決定した事を伝えた。
ラメは嫌そうではあったが、しかし今の苦痛を味わうのはもっと嫌だと考えたのか、了承の頷きを見せた。
「唯一異世界の話が通じる話し相手だもんな……エルミアは。俺達のとこに来たがるのも、多分お前目当てだよな」
少し後ろで、隣のエルミアに小声で言う。
ラメが求めているのは、俺でも、霊戯さんでも、透弥や咲喜さんでもなく、エルミアだ。
エルミアと、そして冬立さんが、誰よりも信頼できる人なんだ。ラメにとっては。
「あー……うん……そうだね」
エルミアはまるで弟のプリンを勝手に食べてしまったときのように目を逸らし、曖昧な返事をした。
俺が間違ったことを言ったのか?
……別にいいや。否定はされてないし。
*****
冬立さんは薬をお盆に載せて持ってきて、ベッドの横の小さな棚の上に置いた。
「ラメ、薬を持ってきたぞ」
薬を取り出し、ラメの頭を起こす。
「大丈夫だ。きっと良くなる」
母性を感じる。
二十歳前後で子供を産んだのなら、冬立さんとラメはちょうど親子くらいの年の差だ。
この二人が本当に親子である世界線があったらと思うと、とても微笑ましい気持ちになる。
微笑んで二人を見ていると、また、エルミアが、怖い顔になった。
それも、今までのその顔を凌駕する、これ以上のものは生まれないであろう、とそう断言できるものだ。
「……あ……ああ……」
――ガタン。
後ろのタンスに背中をぶつけて、全く抵抗せずに、座り込むように倒れた。
「エッ……エルミア!? おい……どうしたんだよ、急に!」
呼吸が荒い。顔が青い。泡吹いて死ぬんじゃないかってレベルだ。
これは最早、悩みとか地雷とか、そんなレベルではない。
そうだ……PTSD! トラウマだ!
トラウマでも無ければ、突然死にそうな顔にはならないし、倒れもしない。
けど、何でトラウマが甦ったんだ。病人を看病するのがトラウマ?
「大丈夫? 具合悪い?」
「………………はい……」
そうか。ただ単に具合が悪いかもしれないのか。
ラメの病気が移ったのか? いや、どちらかというとエルミアからラメに移ったのか。
「あれ、でも熱は高くないね。どうしたんだろ……?」
「……気持ち悪い……かも…………うっ、えぇ……」
その後、エルミアは激しく嘔吐した。
霊戯さんの指示で俺が袋を取り出して、そこに。
これは……本当に病気みたいだな。
「今日はもう帰ってくれ。ここでは面倒見きれない」
「ですね。部屋で寝かせます」
俺と霊戯さんがエルミアに肩を貸す。
すぐ下に車がある。辛い思いはせずに帰れる筈だ。
*****
冬立は知っていた。エルミアのあの症状が、何によるものなのかを。
昨日、自分もああなったからだ。程度は違うものの、原因は同じである。
玄関の前にいる泰斗を寝室に呼んだ。
「……?」
「こっちに」
もう一度寝室に入らせる。
「ラメから聞いたんだが……エルミアは、悩みがあるらしいな」
「……はい。多分、ですけど……」
「さっきの症状からしてだな。エルミアが抱えているのは、悩みだけではない」
そう言うと、泰斗は目を丸くしてこちらを見た。
倒れて嘔吐したことが、泰斗の懸念していることに関係があると、そう示したからだ。
「……だけではない?」
「彼女が抱くのは『後悔』だ。何かを後悔している」
「……後悔……」
冬立は続けて、泰斗に忠告する。
「お前の気持ちはよく分かる。だが、あまり触れないようにしろ。後悔と悩み……その場合は、彼女から言われたときだけ、寄り添ってやれ」
泰斗はそれでいいのか、という顔になった。
冬立も自分が百パーセント正しいとは思っていない。
しかし、昨日の自分と今日のエルミアが重なり、確信を得ている。
泰斗への忠告は、きっと良いものであると。
「……わかりました」
「さあ帰れ。玄関が空いたままだ……蚊が入ってくる」
冬立は再びラメの世話をし始める。
泰斗はまだ不安だったが、霊戯に呼ばれたので、部屋を後にした。
*****
「後悔、か……」
後悔。冬立さんはそう言った。
トラウマとか恐怖とかとも違うのか?
後悔。でも後悔は増やさぬものだ。
エルミアの抱く後悔が増えないよう、俺が手助けするべきじゃないのか?
冬立さんのあの様子、まるで自分にも後悔があるって風だった。
エルミアから言われたとき寄り添えば良いのか。それで解決するんだろうな?
地雷の処理は地雷原の所有者に頼まれてからって?
今日みたいに爆発したらどうするんだ。
取り敢えず様子を見て、見守っておくべきなのか。
そうか……わかった。見守ろう。けどもし、今日のを超えるほど死にそうになったら、そのときは助ける。
そうしよう。
*****
その日の夜。
街は寝静まり、夜風が吹くだけ。
霊戯の家も同じ。
泰斗は、エルミアの方に体を向けて眠っている。
エルミアも、眠っている。
夢を見ている。
それは記憶であり、思い出であり、そして……
悪夢である。
*****
「………………ミ……!」
声が聞こえる。
部屋の外からだ。
「…………ルミ……! ……じ!?」
よく聞こえない。
わかるのは、呼びかけられているということだけ。
「エ…………ア! もう………………よ!」
まだわからない。
名前を呼ばれている?
誰に?
視界が不明瞭で、誰かが隣に立っているのに、誰なのかわからない。
「…………を…………きたわ!」
きた? 何がきたの?
お母様? お父様? それとも……?
「もう………………よ。……と…………なるわ」
何が、どうなるの?
そこにいるのは……もしかして……。
「…………え、さま…………」
思ったように声を出せなかった。
確かにこの人を呼んだのに。この人に助けを求めたのに。
伝わったかな。
――あれ?
これは……今は……いつ? いつの記憶?
私は今いくつ? これは……。
一度考えてから隣の人を見ると、途端に心の震えが止まらなくなった。
――っ!
悪い夢だ。
これは悪い夢だ。
意地悪な悪魔が……私に悪い夢を見せているんだ。
――何故繰り返されてしまうの。
「エル…………! もう……じょう……よ!」
止めて。思い出させないで。
「くす……を……きたわ!」
もう反省したから。
反省しました。だからお願い……。
「もうだい…………よ。きっと…………なるわ」
夢ってこういうものなの?
私をいつまでも、いつまでも、追い詰めるの?
ねえ誰か! 私は……反省したから……だから……。
「エルミア! もう大丈夫よ!」
声が鮮明に聞こえるようになった。
「薬を持ってきたわ!」
それを持ってきては……駄目なのに……。
私に飲ませてはいけないのに……。
「もう大丈夫よ。きっと良くなるわ」
その言葉を最後に、夢は途切れた。
*****
私は目を覚ました。
気付けば手を伸ばしていて……その先には、壁があった。
右を向いて寝ていたんだ。
あの人が立っていたのも、右側だった。
最後に見えたのは、懐かしい笑顔。
最後に聞いたのは、懐かしい声。
最後に嗅いだのは、懐かしい匂い。
最後に触れたのは、懐かしい手。
最後に味わったのは、苦い薬と苦い思い。
口が開いている。震えている。
「…………姉さん……」
私はその口で、あの人を呼んだ。
第99話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




