第89話 開花
エルミアとの激闘の末、樹王ヴィランは敗れた。
彼は突然、人格が誰かと入れ替わったように自身の一族について語り、そして地面に伏した。
「……ヴィラン?」
エルミアはハッとして彼を呼んだ。
エルミアは時と場合によっては殺人だってする人間だが、いつだって親切心を忘れない人間でもある。
善には優しく、悪には厳しく、だ。
そんな彼女は、眼前の男の変貌ぶりに驚いた。
少なくとも、先程までの神を信仰して止まない、自分の命を刈り取ろうとしてくるような男には見えなかった。
だからつい、倒れたヴィランを呼んでしまった。
返答は無い。
死んだのだろうか。
死んだのなら別にそれで良いのだが、生きているのならもう少し話を聞いてみたい。
「私、最近殺した命の前で手を合わせていませんでした。なので今、貴方に……」
エルミアがそう言って手を合わせようとすると、死んだと思われた男の体が持ち上がった。
神への忠誠心が再燃したかと思われたが、ヴィランはエルミアを無視し、海の方へ体を向けた。
ヴィランは歩き出す。何を見ているのかもわからない目をしながら。
「どこに……行く気?」
「さあ……自分でもわかり兼ねます」
隻眼、隻腕の男は、エルミアに背を向けたままそう答えた。
「きっと、洗脳だらけの人生に…………嫌気が差してしまった……の、でしょう……」
たどたどしい足取り。
彼の体が無力を物語っている。
魔力も少ない筈だ。五十メートルは優に超える大樹を破壊してしまう大規模なウインドスピアに、土魔法マッドハンド。消費は激しい。
「自暴自棄とは、このことをいうのでしょうね」
太陽の昇る朝、ヴィランの周囲のみが薄暗い夜の始まりを迎えていた。
エルミアの隣にはいつの間に移動したのか霊戯が立っている。
「その出血量からして助かりそうじゃないですが、一体何しようとしてるんです?」
「それも……」
「わかり兼ねる、と」
ヴィランは振り向かずに頷いた。
「……発散、ですかね。……答えるとするならば。私は血を垂らし……ながら……より悪い方向へ! 往くのです」
ヴィランは発散と言った。
何かを発散して、より悪い方向に進む。
敵であり続けるということだろうか。
彼はもっと、何の当てもなく彷徨う貧民のようだ。
霊戯は僅かに口角を上げ、ヴィランに言った。
「『ヴィラン』とは、英語で『悪役』の意。あなたはたまたまその役になってしまっただけで、降りることはできますよ」
殺し合いの相手に掛ける言葉では決してない。
だがエルミアは霊戯を咎めなかった。言葉を受けたヴィランがどんな反応を示すのか、じっと見ていた。
エルミアは慈善のできる人間。もしヴィランが泣いて反省するならば、許してやらないこともないと思っていた。
霊戯はそんなエルミアを見て、笑みを浮かべた。
「『髑髏の谷間、手届かず』。異世界に伝わるこのことわざ、覚えておくと良いでしょう」
ヴィランの言った「髑髏の谷間、手届かず」とは、「負の感情が限界を超えてしまった者は、並大抵の行動で助けられはしない」という意味のことわざ。
髑髏の谷は底が見えない程深く、底には猛毒が蔓延しているという死の谷。そんな場所に落ちた者を助けようと思って手を伸ばしても、すぐに届かない位置まで落下するし、下まで行って救出することも不可能である。
「なので……まあ、好きに…………して下さい。谷底のヴィラン・アドニスを、どうするか……は」
海岸まで歩むヴィランを、二人は見つめていた。
彼の流した鮮血。その真紅の水溜まりに異変が生じた。
なんと、水溜まりの一つ一つから、血が花の形となって出てきたのだ。
池に浮かぶ花のようだが、それとも違い、茎や葉がある。
何本もの花の先に立つヴィラン。その全体は、棺で眠る者への手向けのようであった。
「これは…………アネモネ」
霊戯は屈み、花を観察して言った。
咲いた花は、どれもアネモネに酷似しているのだ。
「霊戯さん危ない!」
エルミアは霊戯を押し退けた。
「う……何が……」
エルミアと霊戯は見た。
ヴィランの体から無数の木の根や枝が出て、身を包み、棘を出し、鉄球のようになっていく様を。
エルミアが霊戯を押し退けたのは、棘が二人に刺さりそうだったからだ。
彼女の助けは間に合い、二人とも新たに負傷してしまうことはなかった。
「あ、ありがとうエルミアちゃん」
「お互い様ですよ。それより、あれ……」
緑髪の男はあっという間に消えた。
あの塊の中にいるのかもしれないが、近付くことは無理そうだ。
海岸の柵は棘によって破壊されている。
そしてヴィランと思われる木の塊は、転がったボールのように海へ落ちた。
ざぶんという大きな音に、大きな水飛沫。
エルミアと霊戯はその様子を少し後ろから眺めていた。
自暴自棄になっているとまで言っていたヴィランのことだ。
何か予想もつかない暴挙に出る可能性もある。
樹王の能力も未だ未知数だ。経験したことのない攻撃が来るかもしれない。
二人はピンポン玉を飲んだように喉をゴクリと鳴らした。
「木の塊が……動いてる……!?」
「どっちかというと泳いでるね」
海に落ちた木の塊は、釣られた大物の魚のように海面を移動している。
ここからギリギリ見えるくらいの位置まで行くと、木の塊は飛び上がった。
その姿は驚愕を覚えるものだった。
鉄球のようだと思っていたそれは、眼の付いた太陽だった。
壁画にでも描かれていそうな見た目。
眼のような隙間から中を覗けそうだが、如何せん距離がある。
「僕のこの双眼鏡で………………えっと、あれは……人間? 人間が入ってる?」
霊戯は双眼鏡を目に当てて言った。
「ヴィランですよ! 逃げないと!」
うねうねとうねりながら、太く速く、木の根が迫ってきていた。
エルミアの魔力はかなり減っている。もう一度戦えるかどうかという程度しか残っていない。
だからあの巨体、太陽のように神々しくて同時に不気味な木の塊を前にして、エルミアは逃げるしかないのだ。
エルミアと霊戯は全速力で駆け、江ノ島とその向こうを繋ぐ橋まで逃げた。
*****
橋の真ん中辺りには、早々に退避した警察の特殊部隊がいた。
群衆はやはりおらず、部隊という名の壁のお陰で島側に来ることはない。尤も、あの巨大で宙に浮いた塊を見て、島に入りたいと思う狂人はいないだろうが。
「透弥や咲喜さんは……いないのかな……」
エルミアは二人の安否を気にし、キョロキョロと辺りを見回した。
霊戯の挙動は落ち着いていて、ソワソワしているエルミアに声を掛けた。
「二人が行ったの、あの大きい灯台だよ? そうすぐに帰ってくるもんじゃないさ」
ところで、エルミアは逃げるのも困難な怪我を負っている。
脚の大きな怪我に、風魔法で飛ばされた時についた切り傷にかすり傷。小さな傷でも出血がある。
とても「戦え」とは言えない有り様だ。
「一旦休もう。その怪我じゃ、いずれ立ってるのもキツくなるだろうから」
「はい……」
エルミアは路傍に座り込み、深い溜め息を吐いた。
霊戯に簡単な手当てをしてもらいながら、彼女はヴィランを倒す方法を考えた。
ヴィランとは普通に会話していたが、敵意に近いものはあるようだ。なら、どうにかして倒さなければならない。
「あなたも紅宮のお仲間ですね?」
一人の警官が霊戯に話し掛けた。
恐らく紅宮の知り合いという人物だろう。
他人との会話だから、「くれちゃん」呼びはしないようだが。
「はい、そうですけど」
「……空に何か浮いていますが……あれは?」
「僕たちが戦っていた男ですよ。名前はヴィラン・アドニス。エルミアちゃんが倒してくれたと思ったら、あんなおぞましいモノになってしまいました」
警官はそれを聞くなり、「では我々が」と隊を動かして島内へ向かおうとした。
「ちょっと待って。機関銃なんかで倒せるとお思いですか? 僕は、核弾頭くらいは必要だと考えますよ」
「核弾頭だって? 無理に決まっているでしょう、そんな物!」
「いえいえ兵器を使えってんじゃなくて。ほらほら居るでしょう、爆弾の使い手がここに」
霊戯は愉快な調子で、両手を二丁拳銃のようにしてエルミアを指した。
「えっ? 私?」
「意外とあったりしないの? アイツを一発でボーンと仕留める強い技」
突然の指名に困惑しつつも、要望に答えられないかと必死に頭を回した。
そこで真っ先に考えたのが、火魔法サプレスブレイズでヴィランを倒す方法だ。
サプレスブレイズは火魔法の中でも特に強力な魔法の一つであり、発動は困難で、威力は桁外れ。所謂最後の切り札というものである。
しかし今のエルミアは全身の傷で十分に集中できない。サプレスブレイズを発動させるには、もっと集中しなければいけないのだ。失敗すれば、島の何分の一かが消し飛ぶ。
「あるにはある、けど……この怪我では思ったように行かないと思います。下手したら、近くの人全員死ぬかも……」
エルミアは脚の怪我を押さえて言った。
彼女にとっては話すことも避けたいくらいに不甲斐ないことなのだが、霊戯は手でマルを作りそうな笑顔でいた。
「なら大丈夫! 予言しよう、エルミアちゃんはヤツをサプレスブレイズで仕留める!」
「……何でそう言い切れるんです?」
「それはね……」
霊戯が言おうとしたところで、とある人物の声が彼の言葉を遮断した。
「帰ったぞーっ! 羽馬にいっ!」
透弥だ。
咲喜も、紅宮もいる。
透弥は叫びで全てを出し切ると、仰向けになって倒れた。
咲喜もその傍らに座り込む。
「おお、くれちゃん。無事だったか!」
「ええ、この通り」
男二人が再会し喜ぶ中、家族同然の三人とエルミアもまた再会を喜んだ。
「大丈夫、透弥? それに咲喜も」
「大丈夫に……はぁ……見えるかよ……。下半身が鳥居みてぇに固くなって……はぁ……もう動けねぇよ……」
「階段ばかりでしたからね……」
透弥と咲喜はあと一歩で息も絶えてしまいそうだった。
それは戦いそのものの影響ではなく、階段ばかりの道を往復したからだ。
透弥に関しては汗だくで、色々な方向から死へプッシュされているようだ。
「ここに居れば危険は無いから安心してね。それとはい、水」
霊戯は水筒を渡した。
二人は水筒を回し飲みして水分補給をしたお陰で、幾らか呼吸が安定したようだ。
「生き返る…………って、何だあれ!?」
透弥は空に浮かぶ木の塊を見て目を丸めた。
それに釣られて咲喜も驚く。
疲れ切っていた二人に、出現した謎の物体を認識する余裕は無かったらしい。
「あの中にヴィランがいるんだ。倒すには、エルミアちゃんの魔法、サプレスブレイズが必須。だけどエルミアちゃんは負傷中で、魔法が使えない!」
「じゃあどうすんだよ!」
水を飲む前まで死にそうだったというのに、透弥はいつもの調子を取り戻している。
よく考えてもいなそうなその態度や口調は、逆に安心してしまう。
しかし透弥の問いにはエルミアも同意する。霊戯は自信満々だが、一体何を期待されているんだろうか。
「ふっふっふっ……皆んな忘れてないかい? エルミアちゃんの傷を癒せる存在を、僕らの家を賑やかにしてくれる存在を、そして僕をロリコン扱いしてくる存在を!」
霊戯は一層大きな声で、腕を大きく横に振り、橋の向こうを示した。
「だっ、誰か来るぞ!」
「止まれ!」
警官達が通行を止めようとする。
そもそもこの橋は、こんな状況だから車が通っていないだけで、歩行者通行禁止なのだ。
「はいはい、皆さん道開けて!」
霊戯が大声で指示する。
紅宮やその知り合いの助けもあり、道は開いた。
その道の先には、三人の人影が。
何故だかメロンパンを食べているセンターの男。
同じくメロンパンを食べている左の白髪少女。
缶のココアを飲んでいる右の女性。
その三人は、エルミアもよく知る、帰還を信じ続けていた人達だ。
「グッドタイミング! 超ナイスな時に来たよ、ラメちゃん、泰斗君、そして冬立さん!」
センターの男――泰斗は、メロンパンを食べ終えると同じ家に住む四人に向かって極上のニヤケ顔をしてみせた。
隣の少女――ラメスティも無邪気に笑った。
「よーっし、二人とも! さっき練習してたやつやるぞ!」
「はいっ!」
「ほら冬立さんも一緒に!」
「私はいい」
ココアを飲んでいた女性――冬立は、泰斗の誘いを断った。
遠慮ではなく、本当に嫌そうだ。
泰斗とラメスティが前に出てきた。
何をする気なのだろうか。
――ダンッ!
片足を前に出し、
――バッ!
前髪を払い、
「「待たせたな!」」
と声を合わせて言った!
「決まったぁぁっ! これアニメだったら絶対主題歌のサビ入ってるやつだよなコレ!」
泰斗は手をグーにして興奮し、ラメスティと笑顔でハイタッチしていた。
霊戯を除いた三人はその異常なテンションの高さに圧倒された。
エルミアは暫くして状況を理解し、泰斗の名前を呼んだ。
「エルミア! って大丈夫かその怪我!? 死ぬ間際だったりしないよな!?」
有頂天になっていた泰斗の顔は一変、蒼白になってエルミアのそばへ駆け寄った。
「ちょっと危なかったけどね。大丈夫だよ。……それより泰斗君、ラメちゃん、それに冬立さん」
エルミアはそれぞれに目を向け、優しく微笑んだ。
「おかえり」
言われ、泰斗とラメスティはやはり笑った。
「ただいまです」
「ただいまエルミア。で、ヴィランは?」
「あれ」
エルミアはおぞましい姿となったヴィランを指差した。
一瞬驚く泰斗だったが、彼はすぐに気を取り直したようで、自信ありげな表情は崩れなかった。
「第二形態ってわけか」
「泰斗君……やけにテンション高いね」
その理由は知っている。
エルミアは敢えてそう言った。
「当ったり前だろ! このまま夜回転寿司にでも行くような勢いで、ヴィランのヤツをぶっ倒してやる!」
「ラメもっ! ラメも一緒に行きますっ!」
冬立は後ろの方で微笑ましいものを見る目をしていた。
帰ってきた三人の姿はまるで開花したばかりの花のようで、エルミアの元気は湧き上がった。
第89話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!
因みに今回の話の最後の方は作者も書いてる時テンション上がってました!




