第82話 陽光
現在時刻、四時。限りなく朝寄りの夜。
俺は冬立さんにがっしりつかまってバイクに乗っている。
出発する直前、時刻を確認して驚いた。漁師が海に出る時間だぞ。
思えば、日中はずっと外でラメを探し、夜になってからはダウンしつつSNSで有力な情報を調べ、そして絶望していた。それに食事や風呂、ちょっとした睡眠の時間がプラスされる。
これだけ時間が経過していても不自然ではない。
七夕の星空を眺めたのは、五時間くらい前だったかな。
眠気は無かった。
それはラメという存在がいるからでもあり、バイクの上が怖いからでもある。
ラメが待っているであろう場所までもう少しだ。
もう少しで、再びあの子に会える。
そう考えたら、眠気なんて消えて無くなる。
*****
いきなりバイクで登場したらラメを怖がらせてしまうからと、少し離れた所で降りた。
「足元気を付けて歩け」
「あ、はい」
朝に近いとはいえ、昼間と比較すると暗い。
それに加えて俺の体調も考慮してくれたのか、冬立さんは異常に親切だった。
いや、異常ではなく、彼女はこれが普通なのかもしれない。
勝手なイメージが頭にあるだけで、彼女は結構優しいし親切だったり。
だからこそ、ラメとここまでの関係を築けた。実際そうだったとしても何も不思議じゃないな。
徒歩で数分、公衆電話が見えてきた。
心臓の鼓動が速くなった。胸を押さえた。
やっと、この時が来た。ずっと探していたんだ、やっと会えるとわかったら緊張する。
その緊張には、もし助けられなかったらという不安も含まれていた。
ゆっくりと近付く。
ボックスの脇にそわそわしている女の子がいた。
勿論、ラメだ。ここまで来て見間違いはしない。
「ラメ!」
思わず声を上げると、ラメはビクッと体を震わせ、こちらを向いた。
と、その瞬間、彼女はまるで熊にでも遭遇したかのように後ずさりし始める。
きっと強引なようでは駄目なんだろうと頭では理解していたが、俺は声を上げたのとほぼ同時に足を前に出した。走って向かったら避けられるだろうに。
俺に連動するように、ラメも走り出す。
冬立さんは片腕で俺を抑制し、ラメに声を掛けた。
「待ってくれ、ラメ! 私達は、ラメを捕まえようだなんて気はない。ほら、この通りだ」
冬立さんに目で促され、俺はリュックを放った。
あれの中には土剣と鉄剣が入っている。つまり、武器を捨てて敵意が無いことを証明するんだ。
「う、うそ…………ぜったい違う! ラメ、考えたんだもん。もし見つかったらって……絶対、どこかであの人が待ち構えてるんだ!」
ラメは弱々しい声音で必死に言った。
よく見ると、幾らか痩せている気がする。
当然だ。食べ物も満足に得られなかっただろうし。
そして、あの人とは、多分古島さんのことだ。
彼女の中では、鬼と化した古島さんの姿がトラウマに近しいものになっているんだろう。
「そんな事……あっ!」
否定しようとしたら、ラメはダッと後ろを向いて走り出した。
追いかけると、少ししか進んでいないのにラメは息を切らした。足も震えている。おまけに、ほぼ行き止まりの場所まで来てしまった。
ラメからしたら、状況は寧ろ悪化してしまった。
「もう疲れているんだろう? 走るな。止まっていても、攻撃したりなんてしない」
冬立さんは子を抱きしめるように優しく、手を差し伸べるようにゆっくり、そう伝えた。
ラメは震えながら、胸の辺りで手と手を重ねた。
冬立さんの言葉から離れたい。でも離れたくない。
そんな矛盾した思いが表れているようだ。
今は二人に会話させよう。
俺は一旦、何も言わず見守るべきだ。
「……覚えているか? 私とラメが、出会った日のこと」
ラメはイエスともノーとも言わない。
「……行き場の見つからないお前は、私を頼ってくれた。だから、きっとこの子を守り抜くと心に決めたんだ」
冬立さんは片膝を下に着け、震えるラメと目線を合わせた。
「私の夢は、科学者になることだった。その夢は叶った。しかし、よくある『充実した毎日』は送れていなかった。そんな時、ラメと出会った。守るべき存在ができた。守りながら、泰斗達と情報を共有し、自分が『勇気を出せる人間』になれそうな気がした」
冬立さんは徐々に語調を強めていった。
……というより、彼女の語調が強まった、の方が正しいかもしれない。
「ラメは私を変えてくれた。……だから、私はお前を責めないし、嫌いになんてならない」
「人殺しだってしたのに……!?」
「ああ、そうだ! ラメは悪くなんてない!」
冬立さんの心の底から出た声が、ラメを動かした。
良くない方向に。
「わ……悪くないわけないです! だって、だって、ラメは……!」
ラメの目から涙が零れ落ちた。
俺にはわかる。何故、彼女が泣き出したのか。
自分が過ちを犯す、それはとても辛いことだ。でもそれ以上に辛いことがある。その過ちを他の人から認められないことだ。
冬立さんの気持ちはよくわかる。彼女もラメのことは好きで好きで仕方がないと思うし、只今言っていた恩のようなものもある。
しかしそれ故に、兎に角相手を肯定したくなってしまう。
それでは駄目なんだ。過ちは過ちと認める、否定することが、相手の為になることもある。今がそうだ。
「いいや冬立さん。それは間違ってます」
俺は強気に言い放ち、彼女の隣に立った。
「……?」
涙を流すラメと叱ってくる俺に、冬立さんは少し困惑している。
ごめんなさい冬立さん。そんなにあなたを責めるつもりはないんです。
ただラメを救いたい一心なのは、俺も同じですし。
でもやっぱり、過ちは過ちだってことを、ラメに言ってやらないと。
「ラメは悪い。いくら敵の術に掛かったとはいえ、水沢さんの命を奪ってしまったのは紛れもない事実だ」
よし、言った。
冬立さんにどう思われるかとか、そういう心配は消え去った。
言葉は案外自然に出てくる。
一秒先の自分に任せるってやつだ。
「う……うぅ、どっち信じれば……」
「どっちもだ」
俺は冬立さんの腕をぐいぐいと引っ張り、立ち上がらせた。
彼女は突如強気になった俺に、「どうする気だ」と言いたげな目を向けている。
「俺も冬立さんも、ラメを救いたい。だから、ラメが信じるのはどっちもだ」
「そうじゃ、なくて……二人、違うこと……言ってる」
ラメは何度も涙を拭い、少しずつ答えた。
「……ラメはどう思ってるんだ?」
「悪いことを、したって、思ってます。あの人も、あんなに怒ってて……」
こうしてラメ自身の考えを引っ張り出す。
そしてもう一度俺の考えを言うことで、そっちに路線変更だ。
「俺もそう思ってる」
言うと、ラメは一層激しく泣いた。
やっぱりこれ、コッチの苦痛も酷いな。可哀想で見ていられない。
だが、見ていられないからこそ、すぐに助けたいと思える。
「じゃあやっぱり……っ! ら、ラメ、は、もう、みんなぁっ、の所には……行けないぃっ、んじゃ……ぅ」
ラメの足から力が抜けていき、ポロポロと崩壊するように体が落ちた。
「な、た、泰斗!」
冬立さんもラメを見ていられなくなったらしく、そうさせた原因である俺を睨んだ。
「冬立さん。確かに辛いけど、でも、本人が過ちを自覚してるんですから! それを蔑ろにしては駄目なんです!」
俺は一歩、ラメに近付いた。
「ラメ」
「ううっ、く、うぅ……えっく……」
「ラメ」
「ん、うう……」
滝でも出来そうな量の涙を手で押さえながら、ラメは頑張って声の方を見た。
「ラメは悪いことをした。でも、だからって俺達は、お前を嫌いになったりなんてしない」
「な、あ、なん……でぇ……」
「だって……」
俺は言おうとして、少し躊躇った。
なんか、エルミアが本命なのに、こんなことを言うのは気が引けて。
ああ、もう! 本命かどうかなんて関係無いだろ、馬鹿!
言えば解決するんだよ、言えば。
「ラメって良い子だし、その……可愛いじゃん?」
俺は恥ずかしくて、思わず笑ってしまった。
引きこもりだって俺に、六つくらい下の子に可愛いなんて言う日が来るとは。
そういう奴を見てロリコンだなと嘲笑したこともあったっけ。まさか自分がソレになるなんて。
「……えっ?」
ラメは嗚咽っぽく驚いた。
「俺別に年下がタイプってわけじゃないけどさ。ほらー、ラメって明るいし。元気だし。なんか見てて、離れたくないなーってなるし!」
朱海泰斗の内心を知り得ない人からしたら、告白と変わらない絶賛だろう。
だが、俺の本命は別にいる。エルミアにもこれくらい賛美の言葉を掛けてやれば良かった。いや、俺が照れて桜餅みたいになるから不可能だな。
かといって、コレは嘘偽りのない俺の本音だ。
ラメには出会った人に「離れたくない」、「守ってやりたい」と思わせるパッシブスキルが備わっているんだろうな。異世界人だし。
「……でしょ? 冬立さん!」
俺は冬立さんに同意を求めた。
「……え? あ、ああ……勿論だ! ラメは食器洗いも手伝ってくれるしな」
へえ、そうだったのか。
ま、冬立さん宅で洗う食器なんて、茶色い跡付きのマグカップだけだろうけどな。
「……ラメのこと嫌いじゃないんですか?」
俺と冬立さんの頷きがシンクロした。
「確かに人を殺すのって悪いことだけど。俺達はラメの良いところを沢山知ってる。それに、ラメは今回の事で色々と学んだだろ? こんな大事があったら、同じ失敗を繰り返さないようにって思う筈だ」
俺も冬立さんも、他の皆んなだって、ラメのことは好きなままだ。
嫌いにならずに済んだのは、それこそ、犯してしまった理由のある殺しだったというのもある。
けどそれは、普段のラメを知らなければ成り立たない。
例えばニュース番組で、「とある人が殺人をしたけど、殺すつもりが無ければ暴力を振るうつもりも無かったらしい」という内容の報道をしていたとする。
供述を信じるかは別として、俺なら、「意図が無くてもポロッと人を殺しちゃうこの人って……」と思ってしまう。
だから、その人を知っているかどうかというのは、過ちを犯したと知ったときの判断においてとても重要な要素なんだ。
「ラメだって、俺達に幻滅したってわけじゃないんだよな? だったら、こっちに来いよ」
あと一押しだ。
俺は右手を伸ばした。三日前にまた治癒してもらった右手だ。
屈まず、立ったままで、ラメの届かない位置に。
彼女が立ち上がって手を取れるように。
俺が無理に引っ張るんじゃなく、彼女が自分の意思で来てくれるように。
ラメはまだ踏ん切りがつかないようだ。
まあ、そうすぐにギュッは難しいかもな。
すると、冬立さんが再び俺の隣に立った。
「ラメ。帰ってこい」
過去一番の笑顔だ。
冬立さんも、笑うと可愛いかも。
いい、いい、そういうのは。
さあラメ。どうする?
*****
四時三十分。
夏の太陽は早起き。
オレンジ色の光が、空気中を駆けた。
素朴な悩みなど吹き飛ばしてしまいそうな、涙を瞬時に乾かしてしまいそうな、そんな朝日。
朝日はより絆を深めた二人が重ねた手を、強く照らした。
第82話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




