第78話 不明
俺達は何とか車を停めた場所に辿り着いた。
皆んな疲れ切っていた。肉体的な疲労は勿論、仲間を失ったことによる精神的な疲労もあった。
「ここまで来れば……もう大丈夫か……」
俺は膝に手をつき、ぽつりと言った。
「古島さん、行きましょう。大丈夫。後できっと、彼は取り戻します」
霊戯さんは車の補助席のドアを開け、古島さんの肩に手を置いた。
ちょっと落ち着いてくれたと思ったが、そんなことはなかった。
彼は激昂した。
「無理に決まってるでしょ……! アイツに回収されて、適当な所で処分される! 絶対にそうだ!」
古島さんの目は本気だった。
普段の、ちょっと気の弱そうな古島誠慈はどこにも居なかった。
今ここに居るのは、大好きな先輩を失った、悲しみと怒りで心が満たされた古島誠慈だ。
「気持ちの無い情けは、掛けないでくださいよ!!」
古島さんは置かれた手を産業機械がするようにがっちりと掴み、ぶんと引っ張って霊戯さんを倒した。
彼はそれ以上何もせず、身を縮めて開けられた車の中に入った。
「大丈夫ですか? 霊戯さん」
「うん、僕は何ともないよ」
俺と霊戯さんは、どうしようかという風に顔を見合わせた。
顔を見合わせつつ考えた。でも、俺達がどれだけ考えようと、古島さんを回復させる方法は浮かばない。
考える前から、それはわかっていた。
今の彼に、同情は効かない。同情は所詮同情。
古島さんの気持ちを真に理解することはできない。
俺は古島誠慈ではないのだから。
俺からすれば、水沢さんの死というのは、確かに悲しいが、「ああ、仲間がまた一人死んでしまったな」くらいにしか思わない。
大好きな先輩が突然帰らぬ人となった哀情は、計り知れない。計り知れないからこそ、彼に寄り添って立ち直らせることができない。
「今は、何をやっても無駄だろうね」
結論はそれだった。
*****
木坂さんから連絡があった。
菊田陽介は予定通り解放されたそうだ。
計画は成功した。成功したんだ。
しかし、成功を喜べる空気じゃない。
勝ってもいなければ、成功もしていない。そう感じられた。
全員が同じ方向に逃げたので、行きは四人だった車の中は五人になっていた。
後部座席に三人。俺とラメとエルミア。
助手席に古島さん。運転席に霊戯さん。
後ろが窮屈な所為か、運転席がとても広く感じられた。
そして助手席は、運転席以上に広く感じられた。
「ラメちゃん、何かから逃げていたよね。一体何があったの?」
霊戯さんはハンドルを握りながら尋ねた。
「え、ええっと、木の……お化け……」
エルミアに背中をさすられているラメは、まだちょっと落ち着けていないのか、小さく答えた。
これでは説明不足だから、俺が補足しよう。
「水沢さんの見たものと同じです。ラメは魔法が使えたから、何とか逃れられたみたいですけど」
俺がそう付け足すと、隣のラメが口を開いた。
「ま、魔法もですけど……クリ——
「魔法も使えない人が死ぬのは当然だって言うんですか!」
ラメの肩がびくっと震えた。この歳の子なら、ラメじゃなくても自分が発言している途中に怒鳴られたら怯えてしまうだろう。
けど今のは、どちらかというと俺の発言に反応したようだ。
「そういう意味で言ったんじゃありません。この世界の人間は、誰だってそうですから」
「自分は幸運だったって……? 水沢先輩だけが、ただ不運で死んだって……?」
「だから……」
反論しようとして、口を止めた。
今の古島さんに何をやっても無駄。それはさっき霊戯さんと確認したことだ。
こんな、精神が荒れてしまっている人と会話しようとしても、今みたいに埒が明かなくなる。
反論なんてせず、相手が落ち着くまで待つのが賢明だ。
怒らせなければ、次第に負の感情も薄れていくだろうし。
「…………取り敢えず、古島さんは帰宅してください。近い所まで送りますから。諸々の報告は僕の方からしておくので」
「……はい」
古島さんは静かに頷いた。
「それから、泰斗君」
「俺?」
「一緒に冬立さんのところに行こう」
…………え? 何で?
聞き返しても答えてはくれなかった。
*****
冬立さんの家にやって来た。マンションだ。
「この時間は居ないんじゃ?」
「だろうね」
霊戯さんは即答した。
今は五時。冬立さんが仕事で家を留守にしているのは、聞くまでもなく明白だった。
古島さんを送り、エルミアとラメを帰し、どこにも寄らずにやって来た。だからまだ夕方だ。
「冬立さんが帰宅するのは平均して二十時。三時間は余裕があるね」
「何でそんなこと知ってるんですか」
「前に聞いた」
流石霊戯さんだな。味方の行動は何から何まで把握しているのか。
でもだったら、一旦家で休憩してから出発すれば良かったのに。
「メールはしてあるから、適当に時間を潰そう」
「適当に時間を潰して三時間も経ちますか」
「経つでしょ」
俺達は近場のカフェに向かった。
*****
霊戯さんは、今度は何を目的としているんだろう。
俺だけ連れてきて、冬立さんと三人で何をしようとしているんだ。
話し合いか? 何の? 今後の?
いや、今後の話をするのにこの三人はおかしいだろう。そのためには皆んなが集まらないと。
じゃあ、誰が水沢さんを殺したのか考えるとか?
「何度も聞きますけど、何するんですか?」
「お、やっと聞いてきたか。いいよいいよ、答えてあげる」
ここに来るまでで五回質問され、五回とも回答を濁したくせに、何を言ってるんだ。
人のいない場所じゃないと駄目だったのか? 人といっても仲間だぞ。
俺は不満げな眼差しを彼に向けた。
「先に言っておくけど、僕は特に深く考察してはいない。今から言うのは、根拠の無い僕の予想なんだけどさ……」
「……別にいいですけど」
霊戯さんが、根拠が無いと言うなんて。
それに、最初の言葉。まるで「本気で言ってるわけじゃないから怒らないでくれ」と言うようだ。
何を言われるのかと、俺は息を飲んだ。
「水沢さんを殺したの、ラメちゃんじゃないかって」
コップの中の氷がカランと音を立てて騒いだ。
気付いた時には、俺は霊戯さんを見下ろしていた。
霊戯さんはそんな俺を無言で見つめた。こうなるとわかっていて言ったらしい。
「……言ったよね、根拠は無いって」
「根拠とかどうでもいいんです。そんなことを考えるだけでも変なんですよ」
そうだ、変だよ。変過ぎる。
ラメが水沢さんを殺した? そんなわけがあるか。
いくら霊戯さんの言うことでも、それはどうにも納得できない。
「……座って」
周囲の視線が俺に集まっていた。
俺は俯き、また座った。
今気付いたが、霊戯さんの声が小さくなっている。
「僕は、君はまあまあ賢いと思ってる。だから連れてきたんだ。エルミアちゃんや、透弥や咲喜なら、酷く怒るでしょ。古島さんは以ての外だし」
俺が賢い、か。
そうだな。さっきの俺は、昼間の古島さんと殆ど変わらなかった。
もっと賢くなるんだ。気に入らないからって自分で考えずに怒ってはいけない。
考えてみるんだ。
水沢さんを殺した人物。
まず、俺は違う。
エルミアはヴィランと戦っていたから違う。
霊戯さん? いや、殺した張本人がこうして犯人を考えさせるわけがない。
古島さんは当然違う。実は恨みがってこともないだろう。仮にそうだったとして、あのタイミングで殺しはしないだろうし。
ウトゥトゥって奴は水沢さんが倒れた後に出てきたから、違う。
やっぱりヴィランじゃないのか。だって、ヴィランが敵なんだから。それに、水沢さんは木の化け物を見たと証言したじゃないか。
ああ、でも、ソイツに殺させたとして、水沢さんとラメだけ狙うのはおかしいのか。だったら大量に用意して皆殺しにすべきだ。
じゃあ、残っているのは。
それ以上考えたくなかった。
もしかして、霊戯さんが深く考察していないと言ったのは、これが理由なのか?
「どう? 考えは纏まった?」
俺は口を噤んだまま頷いた。
嫌だ、言いたくない。ラメじゃないって可能性はないのか。
何か、他に…………そうだ。
「俺達の知らない敵がいたかもしれません」
「それは教団のヤツ? それとも、いつだか話した組織Y?」
組織Y。そんな話もした気がするな。
でもそんなことを言い出したら、可能性は幾らでもある。
下らない妄想みたいに、どんどんと話が広がってしまう。
一言で表すとするなら、そう、現実逃避。ラメが殺したという事実を認めなければいけない、なのに逃げている。
「いや……ごめんなさい。今のは忘れてください」
俺は言ったことを取り消すと、テーブルの上に突っ伏した。
「ここに来た目的はわかったかい?」
上からそんな言葉が降り注いだ。
「よくわかりました」
俺、霊戯さん、冬立さんの三人で、何故ラメが水沢さんを殺したのか考える。それが目的。
誰が犯人かという議論は、する必要すら無いものだったのだ。
*****
冬立さんが来た。
カフェの隅に、大人二人と子供一人だ。
「遅れて済まない。……今日の昼のことを話してもらおうか」
「ええ、勿論」
霊戯さんは今日あった事を全て話した。
その後、例の話もした。
すると冬立さんは、眉を顰めた。しかし俺のようにあからさまに怒りはしなかった。冷静さの違いか。
「なるほど、な。…………それで、動機……いや、理由を考えようというわけか」
「その通りです」
霊戯さんは真面目な顔をした。
冬立さんは片手で頭を押さえ、難しい顔をした。
俺は……今、どんな顔なんだろう。
「関係がありそうなのは……」
「青い花だな」
二人は意識を共有しているかのように言った。
青い花。確かに、トリガーとなっていそうなものはそれくらいしかない。
ラメは水沢さんと初対面だったから、恨み的な動機があるなんて有り得ない。
多分だけど、べべスの幻術のような感じで、操られたんだ。
その仕掛けがあの青い花ではないのか。そういうことだ。
「泰斗君はどう思う?」
聞かれた。
俺も青い花は関係ある気がする。ヴィランが意味も無く能力を発動したというのもやっぱり引っ掛かる。
意味も無く……といえば、赤い花もそうだったな。
赤い花と青い花。反対の色。
もしかして、赤い花も関係があったりして。
考え過ぎか。でも考えを聞かれてるんだ。言ってもいい。
「赤い花も関係あったりして……」
「あー、あれね」
霊戯さんもそれは知っている。
冬立さんは知らない筈だ。
「公園のヤツのことか」
知っていた。
「冬立さん、見たんですか?」
俺は反射的にそう尋ねた。
「ああ。お前らのことをつけてただろう? だから公園の花を抜いている頃から見ていた」
そうだったのか。
でもその事実を知ったところで何も変わらないな。
「……ちょっと待って」
霊戯さんは俺の心を読んだように言い、紙とペンを取り出した。
「ヴィランの能力では、花の匂いを使ってたよね?」
「は、はい」
白い花はそうだった。
あの花の匂いの影響で、本部長とその他三名が自殺したんだ。
「匂い。匂いが届く範囲を、仮に五十メートルとするならっ……」
霊戯さんは何かを書き出した。
「二十七日、冬立さんとラメちゃんは吸い込んだ。今日、ラメちゃんは吸い込まなかった」
赤い花、青い花に分け、そこに名前を書いていく。
「とすると、こうなるね」
【赤い花】
霊戯、泰斗、エルミア、透弥、咲喜、冬立、ラメ
【青い花】
霊戯、泰斗、エルミア、水沢、古島
「うーん…………赤と青を一組と考えてみるか……」
そして霊戯さんは、【赤い花】と【青い花】の両方に入っている名前に線を引いた。
「で、今日居なかった人も」
今日居なかった人の名前にも線を引いた。
残ったのは、三人の名前。
【赤い花】
ラメ
【青い花】
水沢、古島
「これって……」
俺は思わず声を出した。
ラメと水沢さんの名前が、それぞれ違うところに入っている。
「赤を吸い込んだ人は青を吸い込んだ人を、青を吸い込んだ人は赤を吸い込んだ人を、敵と認識する……とかね?」
霊戯さんはそう言った。
あながち間違っていないように思えた。
あれ? でも……。
「ラメは古島さんには反応しませんでしたよ?」
「僕らのところに来た時、青を吸い込んだからだろうね」
ああ、なるほど。
やっぱりラメなのか。
じゃあどうやって殺したんだ?
ラメは当然、銃を持っていない。弓も、取り出すことはできるが使わないと言っていた。
ラメの水魔法では、一発で人の命を奪えないと思うんだが。
クリスタルだって、投げても人体に穴は空かない。
そもそもあの子が人の殺し方なんて知ってるのか?
「あ」
殺し方。
俺は、硬い物が超高速で人に当たると、その人が死んでしまうと教えた。
いや、でも、でも、殺し方を知っていても、実行できなければ殺せないだろ。
クリスタルをそんな高速で……。
…………もしかして。
魔法で水を作成、発射し、相手に当たる前にクリスタルに変えることが可能なら。
殺せる。ラメでも殺人ができる。
全ての謎が説明できるようになってしまった時。
俺は口をぽっかりと開けたまま、目を震わせた。
第78話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




