第77話 混乱の香り
俺は心の内で焦燥した。
水沢さんを見たヴィランの表情が、訝しげなものに変わったからだ。
この程度の変装では、洞察力、観察力共に高そうな男を騙すのは難しいのか。
失敗した場合を考えて、ラメは家に居させた方が良かっただろうか。いや、もうここまで来たら、取り返しはつかない。
祈るしかない。
成功していれば、後は戦うだけだ。
この計画では、結局ここでヴィランと戦うことになる。だから、戦う準備と心構えがあるなら、それ以上の失敗は生まれない。死ぬかもしれないが、それはこの計画の先の話だ。
準備はできている。少なくとも、俺は。
エルミアだってそうだろう。彼女が異世界でどんな経験を積んできたのか知らないが、こういった状況で油断をしないくらいには、修羅場を乗り越えてきている筈だ。
霊戯さんも、古島さんも、水沢さんも、まだ幼いラメだって、既に覚悟はできている。そう信じたい。
そう、今唯一信じるべきなのはソレだ。
「想定より数段早く到着しましたね。……なるほど、貴方が異世界人か」
ヴィランは水沢さんの全身を舐め回すように見る。
気持ち悪いというよりは、不気味だ。機械のように低い声も相俟って、不気味だ。
「あ、ああ、報道で映された文言を見てやって来たんですが……」
水沢さんは狼狽えた。狼狽える演技だ。
水沢さんが演じる異世界人の視点では、何者かに自分と会いたいと言われただけ。それで来たんだから、四人も人間の存在があれば困惑して当然だ。
そんな芝居は打ち合わせてなかったが、咄嗟の判断でそれができるのは流石警察官といったところか。
「ええ……少々情報を偽らせていただきました」
ヴィランは木の枝から飛び降り、俺のすぐ後ろの位置に着地した。
「そちらの方は?」
「ぼ、僕は…………数ヶ月前に偶然この人を発見しまして……それ以来、共に暮らすようにしていました」
「ほう」
古島さんは水沢さんと比較すると演技が下手だが、ヴィランはそれ程疑っている様子ではない。
「これで二人の異世界人が揃いましたね!」
ヴィランの方に向き直った霊戯さんは、喜ばしそうな声色で言った。
笑顔を作ったために霊戯さんの目は一瞬閉じられたが、開き、ヴィランを突き刺すような黒い瞳が奥に見えた。
「では」
ヴィランは一言置くと、土を踏んでこちらに近付いてきた。
俺はヴィランに一番近い位置にいる。故に、彼のその行動で恐怖を覚えた。
突き刺されるのか。それとも、本当に異世界人なのか検証しますとでも言い出すのか。そう考えた。
しかし違った。
ヴィランはその場に留まっていた。
だが、彼の"力"は駆けるように放たれた。
軽く舗装された山道の両脇に青い花が咲いた。
他の色の一切無い、純粋な青が、それに込められたものは純粋とは思えない青が、広がった。
「なっ!」
青。青だ。
ヴィランの能力によって咲いた花は、白か赤しか見たことがない。
この青には、何の意味が?
赤い花を咲かせた時は手向けだとか言ってたけど、これもそういうものなのか?
これから命のやり取りをするのに、悠長に、何の意味もなく、花を咲かせるのか?
そうやって思考を拡張させている間にも、事は進んでいた。
気付いた時には、エルミアは俺の前に出ていた。
俺は感化され、土剣を構える。適当な構えだ。
エルミアは今にも火炎を放ちそうだ。
俺は援護しよう。
「彼女は!」
水沢さんが後ろの方で言った。
彼女……? ああ、ラメのことか!
そうだ、ラメが心配だ。
突然の争いに戸惑って、飛び出したりでもしたら、ヴィランは瞬時に全てを察し、真っ先に殺そうとするだろう。
エルミアに気を配るのと同時に、ラメにも。
そう思い至った時。
——ヒュッ、ドッ。
背後から音がした。
風を切る音と、何かが何かに突き刺さる音。
嫌な予感がした。例を挙げることもできない、物凄く嫌な予感だ。
恐れつつ振り向く。
そこには、胸から血を噴き出し、今まさに倒れようとしている水沢さんがいた。
「えっ」
困惑の言葉が漏れた。
何で水沢さんが? 何で?
ヴィランの仕業か? いや、でも、エルミアが立ちはだかっているじゃないか。
音からして飛び道具だろうか。彼の胸に穴を空けたのは。
発砲音なんてしなかった。アーチャーなんて見当たらない。
じゃあ、誰に、何で、何故、襲われたんだ?
「水沢先輩!」
古島さんは彼の名前を叫びながら駆け寄る。
何をすれば良いのかわかっていない俺を尻目に、霊戯さんも彼のそばへ駆け寄った。
ど、どうすれば。
いや、水沢さんには二人がついている。
ならば俺は、エルミアに加勢しよう。
訳がわからないけど、兎に角戦うしかない。
俺が土剣を持ってヴィランの方に向かおうとした時だ。
遠くの草木がガサガサと騒がしく揺れた。
今度は何だ?
と思ったら、草木を揺らす正体はラメだった。
白い髪が見えた。同時に不味いと思った。
ヴィランにバレる。全てが。
「クッ……そういうことでしたかっ!」
遅かった! 手遅れだった。
ヴィランはエルミアを無視し、ラメの方へ飛んで行こうとする。
「待て、ヴィラン!」
俺が声を張り上げた途端、ヴィランの眼前に炎の壁が築かれた。エルミアの仕業だ。
エルミアはすかさず土魔法を使い、ヴィランの足元を盛り上げる。
地面が不安定に、そして高くなった影響で、ヴィランは高い位置で体勢を崩した。
「フレイムクラスター!」
エルミアが魔法を放つ。
森が燃える恐れは、最早誰も視野に入れていなかった。
ヴィランに直撃……してはいなかった。
隣の木の枝が伸び、ヴィランはそれに掴まって炎を回避した。
「ウトゥトゥ! 彼等の相手を!」
ヴィランは俺の知らない名を口にした。
直後、いつの間にか出現していたピンク色の魔法陣から、悪魔のような仮面を着けた人間が出てきた。
ヴィランの仲間の一人だ。
「泰斗君! ラメちゃんを!」
「ああ、わかった!」
エルミアに強硬な顔で指示された。
今の俺には、その指示の是非を考える余裕は無かった。
ただ、従うことしかできなかった。しかしそれで良い。ラメを助けに行くんだ。
俺が道を外れた時、衝撃波が走った。
エルミアが波に押されて吹っ飛ぶのが見えた。
あの程度では死なないと、そう信じたい。ただの衝撃波に殺傷力は無いと。
ギリギリ範囲外に行けて運が良かったとも思った。
後もう少し遅れていたら、俺もエルミアと仲良く吹っ飛ばされていた。
「ラメ、どこだ! 俺はここにいるぞ!」
ラメは走っていた。
髪を揺らし、草木を揺らし、何かから必死に逃げていた。
きっと彼女にも何かがあったんだ。致命傷は受けていないだろうが、痛いことか、恐いことがあったに違いない。
なら、エルミアが頑張ってくれている間に、俺がラメを助けなければ。
「おーい!」
頭上に何かが現れた。伸びた木の枝だ。
俺は土剣で防御した。
土剣がこのまま割れてしまいそうな程に、枝の圧力は大きい。
「ヴィランか……!」
手が悲鳴を上げている。もう耐えられない!
俺は手を剣から離し、すぐに逃げようと思った。
しかし、骨折が完治していない所為か、まともに動いたのは左手だけだった。
右手は引っ張られた鉄球のように、剣と共に後ろへ飛んで行く。
すぐに右手を自分の方へ引き寄せた。手首からブチッと千切れたりはしていない。
だが、勢いが強すぎて、骨折が悪化した。
「右手はある」と確信する材料になる程の痛みが俺を襲った。
でも、止まってはいられない。
立ち上がり、ラメの走る方へ進む。
今度は左から、俺目掛けて枝が突っ込んできた。
左手で紐を引っ張り、鉄剣の内蔵された防御力の高いリュックで受け止める。
「うっ!」
腹を殴られたときと同じ声が出た。
重い。強い。鉄剣のお陰で枝に貫かれることはなかったが、人間に操作されている物を受け止めるには、相応の力が必要だった。
右手も動かせない。
体が押され、足が下がる。足が下がると、手に込める力も弱くなる。
もう駄目だ。このまま押されれば、転倒し、その隙に頭を狙われる。
死を覚悟した時、攻撃は止んだ。
「はぁ……はぁ……何だ?」
ヴィランがいそうな場所を見てみると、球を投げるエルミアが視界に入った。
恐らくそれは純魔石。幻術の魔力でヴィランの意識を操作したみたいだ。
助かった。もう少しで本当に倒れてしまうところだった。
さあ、先を急ごう。
いや、別に急がなくても、ここから大声で呼べば届くかもしれない。
「ラメー!!」
手の痛みを我慢し、出せる限界の声量で少女の名を呼ぶ。
うっすらと見える白髪は、くるりと回ってこっちに近付いてきた。
ラメは来た。
目に涙を浮かべているのがわかった。
「泰斗……さん……!」
泣きそうな声で、彼女もまた俺を呼んだ。
「良かった……無事だったか?」
俺が尋ねると、ラメは二度頷いた。
「木の……お化けが、出てきて…………ちょっと攻撃したんですけどっ……倒せたかどうかわからなくて……」
恐れを抱き、息を切らし、ラメは喋りにくそうに話してくれた。
俺はよしよしと、冬立さんを真似て彼女の頭を撫でた。
「怖かったですっ……」
頭を撫でられたラメは、それに釣られてか俺に頭を近付けた。
「あっ、その右手……」
ラメは俺の異変を口にした。
右手をぶらんとさせていたからだろう。
彼女は俺の右手を魔法で治そうとした。
俺は拒んだ。有り難いが、俺のコレなんてまだまだ軽い。
コレよりずっと酷い怪我を負った人がいるんだ。先にその人を治癒してあげなければ。
「水沢さんが死にかけてるんだ。先にそっちを!」
「えっ……わ、わかりました!」
ラメは一瞬困惑し、そして了解した。
俺は左手で彼女と手を繋ぎ、水沢さんの下へ向かった。
*****
俺が戻ってきた時には、もう終わっていた。
倒れた水沢さんの横にいた古島さんは、俺が来るなり顔をこっちに向けた。ゆっくりとだ。
古島さんの目から涙が流れた。
その涙の音が聞こえそうな程に、場は静まり返っていた。
彼は息をしていないように見えた。目以外の機能が停止しているように見えた。
しかし、そうではない。
機能が停止しているのは、古島さんではない。
水沢さんだ。
「死んだん、ですか……?」
憚られると思いつつも、俺は体を震わせながら尋ねた。
絶望している古島さんの代わりに、霊戯さんが小さく首を縦に振った。
ラメは俺に抱きついた。
彼女の目が当たった辺りが濡れた。
「泰斗君が離れてすぐだ。亡くなったよ」
古島さんが何かブツブツと言っている。嘆きだ。
なんで、どうして、と何度も繰り返している。
そうだ。
何で彼が殺されたんだ。
ウトゥトゥとかいう奴がいたけど、アイツは弓や銃なんて持っていないように見えた。
ヴィランがやるような殺し方でもない。
その他に、彼を殺害する理由がある人物なんていない。その筈だ。
場の空気に飲まれ、悲しみつつ考えていると、エルミアが口を開いた。
「水沢さん、死ぬ直前に言ってた。菅原や林と同じ化け物が……って」
菅原や林と同じ化け物……それって、あの木を纏った鬼みたいなやつだよな。
ラメも言っていた。木のお化けが、って。
二人は同じものを見た。二人が証言しているんだ、間違いないだろう。
じゃあ、二人の違いは何だ。異世界人か、異世界人ではないか。
対抗する手段を持っていたラメは殺されず、持っていなかった水沢さんは殺された。
そう考えるのが妥当か。
でも何でわざわざアレに殺させる必要があったんだろう。
普通にヴィランかウトゥトゥが殺せば済むことだろうに。
二人だけが標的になった理由も予想がつかない。
謎が多い。
「兎に角逃げましょう! こんな状態じゃ戦おうにも戦えない……。それに、彼らを確実に惑わせるためにかなりの魔力を消費しています。ストックはありますけど、いつまでも純魔石に頼ってはいられません」
エルミアは必死に訴えた。
そうだな、俺も賛成だ。
純魔石の魔力が無くなれば、この場に留まることはできない。
それに、長時間使っていれば、エルミアの集中力や気力が切れて魔力が暴走するかもしれない。
一刻も早く、逃げる必要がある。
「そうだね、そうしよう」
霊戯さんも賛成し、立ち上がった。
しかし古島さんだけは、屈んだまま動かなかった。
「古島さん、早く!」
「ま……待って……水沢さんを運ばないと!」
古島さんは、何とかして水沢さんの体を運ぼうとした。
しかし中々持ち上がらない。
どこかで、死体は重くなるって聞いたことがある気がする。それなのかもしれない。
「俺も手伝います」
死体に触るのは、正直言って嫌だ。
でもそんな文句は言ってられない。
「いました! あそこです!」
ヴィランの声がした。
純魔石の魔力が切れたんだ。
次の魔石を出すこともできる。でも、死体を運ぼうとしていることが知られてしまっては、最早意味が無い。
ここにいると判断されてしまう。
じゃあどうするのか。
「仕方ない! 古島さん、彼は置いていくしか!」
霊戯さんはそう言った。
「そんな……そんな所業を! できるわけが!!」
古島さんは尚も水沢さんを運ぼうとしている。
俺は流石に離れ、ラメと再び手を繋いで逃げようとしていた。
少し、ほんの少しだけ迷惑だと思った。
気持ちは理解できるけど、状況を考えてほしい。
いや、でも、俺が彼の立場になったなら、同じことをするのかな。
自分がやりそうなことで他人を責められないな。特にこんな、命の危機では。
「ラメちゃん! 水魔法をお願い!」
エルミアが火を、ラメが水を放った。
ぶつかり、煙が発生する。
古島さんはまだ諦めていなかったが、霊戯さんや俺に引っ張られてその場を離れた。
「……あ」
空になった純魔石を見つけた。俺はそれを拾ってポケットに入れた。
こうして俺達は敗走した。
第77話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




