第76話 先輩
七月五日、午後一時。
俺、霊戯さん、エルミア、ラメ、そして警察の皆さんが集合している。
ヴィランの仲間が立てこもり事件を起こすのは、今日の午後三時。二時間後だ。
段取りとしては、まず、ヴィランの仲間が警察に通報する。菊田陽介を人質に取って立てこもってますって感じに。
警察は勝手に動き、菊田の自宅を包囲する。かなりの人数が動員される筈だから、皆殺しは有り得ない。
水沢さんと古島さん以外は、そっちに向かう。
その次に、報道で異世界語の文を出してもらう。犯人役の奴が上手いこと命令するらしい。
俺達はその文を読み、指定された場所へと向かう。
そこからは流れに合わせる。
ラメはどこか、全体を見ることのできる所で隠れていてもらう。早々に水沢さんが偽異世界人だとバレてしまうのは都合が悪いからだ。そして、頃合いを見て攻撃に参加する。
古島さんには水沢さんを連れてくる役を演じてもらう。大丈夫、そんなに難しい役じゃない。
「うんうん、良くお似合いです」
水沢さんと古島さんは、霊戯さんによってカツラを被せられていた。
霊戯さんは似合っていると言っているが、俺はそんな風に思わない。
水沢さんは青髪に、古島さんは茶髪になった。全然似合ってない。
「……似合っているでしょうか? 先輩」
「まあ、俺よりは幾らかマシだな」
水沢さんはカツラが出てきた時点で嫌そうな顔をしていた。
俺から見ても、水沢さんよりは古島さんの方がマシだ。
日本人で青髪なのが、もう変なんだよ。アニメキャラのコスプレの違和感の六割はそれが原因だ。
まあ日本人に見えないということは、異世界人に見えるということに……なるだろう。それなら変装は成功だ。
古島さんの方は、古島誠慈と判らなければそれで良い。
加えて、水沢さんにはファンタジー風の服装をしてもらう。
スーツを着ているのは変だからだ。
彼は雑貨屋で買ったっぽい、安そうな服を着させられていた。
*****
定刻が刻一刻と迫る。遂に後三十分というところまできた。
緊張する。移動があるから後四、五十分は心の準備をしていられるが、それでも緊張する。
通学路を半分まで進んで忘れ物に気付いたときのような感覚だ。
俺達はテレビの電源を入れて待機している。予定の時間より多少前後する可能性があるからだ。
まあそれ抜きにしても、五分前行動は大事だし。
二時四十分。
全体に緊張が走る。
二時五十分。
顔が引き締まり、来るぞ来るぞと考え出す。
二時五十五分。
お互いに顔を見合わせ、残る時間を埋める。
三時。
全員の緊張が一点――テレビ画面に集中する。
「……あれ?」
始まらない。事件の生中継が。報道すら無い。
「もう少し待とう。タイムラグはあるさ」
霊戯さんにそう言われ、俺は再び待機の構えに。
五分後。
やっと始まった。
報道番組の内容が急転、アナウンサーは速報だと険しい顔で伝えた。
画面が切り替わる。
一見するとただの一軒家。しかしその周囲には人や車が集まっている。
この分だと三時よりは前に行動を起こしているな。
霊戯さんの言った通り、タイムラグがあった。情報伝達のタイムがあった。
報道を聞く限りは予定通りだ。
菊田はしっかりと人質の役を演じており、その仲間もまた犯人の役を演じている。
さあ、もう少しで異世界語の文がテロップ付きで伝えられる筈。
エルミア、ラメ、頼んだ。
因みにラメは俺とエルミアの間に座っている。膝に置かれた手に力が入っているから、緊張していることがよくわかる。
それからまた数分後。
犯人からの要求が、とよくある言葉が聞こえた。
画面上にテロップが表示される。
アナウンサーは内容には触れなかった。よく考えてみれば、アナウンサーも読むことは不可能だ。
古島さんなどが少し前のめりになる。
しかし、視覚を駆使しようと俺達には到底読むことはできない。一字だって解せない。
エルミアとラメはどうだ。
まさか、出身地が違うから言語も違う、とかならないだろうな。
「……『これを読解できているということは、貴方は異世界の人間なのでしょう。私も同じく異世界人。なので、協力し、異世界に帰ろうではありませんか。貴方も仲間を求めている筈。集合するため、こちらで場所を指定します。是非来てください』」
「とうきょう……と? ……の、えー……ねりま?」
二人は日本の地名など知っているわけもなく、かなりガタガタな翻訳になってしまった。
でも、そこは大人が頑張った。俺も、東京の地名くらいは頭に入っている。
指定されたのは、東京都練馬区にある、とある森。
特別有名でもない。何の変哲もない。ただの森。しかしかなり詳細な説明だったので、すぐに場所を把握することができた。
ここから車で向かうが、少し時間が掛かる。
仕方ない。ヴィランも、多分それは承知の上だ。
出向くのは六人。
古島さんと水沢さんのペア、俺含むその他四人のグループに分かれる。
お互い、自分達の車に乗る。
霊戯さんと水沢さんがパーキングエリアに車を取りに行っている間、俺は古島さんと少し会話してみることにした。
古島さんは、あまり堅い感じじゃない。それ故に、話しやすい。
俺が冬立さんとすぐに話せなかったのは、それが理由だった。
人の雰囲気とか、放っているオーラというのは、そのままその人の印象になったりする。一度誰かと会話する場面を目撃すれば、話し方などから大体の性格が察せられたりする。
第一印象はそれだけ大事なものだ。
俺が古島さんに対して抱いた第一印象は、「警察官にしてはマヌケ」。
決して良い印象とはいえないが、近くも遠くもないこの関係においては、案外丁度良いみたいだ。
「あの。古島さん、緊張してます?」
この状況で明るい話題は出なかった。
古島さんの顔が強張っていたから、遠慮したのもある。
「そりゃあ勿論。怖いですから。逆に、朱海さんは緊張しないんですか?」
露骨に震えていた。
気持ちは理解できる。俺だって怖いし、緊張もしている。
「俺だってそうですよ」
「そういう風には、全然見えませんけどね」
「まあ、心強い味方がいますから」
俺はエルミアとラメの方に目を向けた。
あの二人がいるんだから、余っ程のことがない限りは死なない。俺はサポートに徹すれば良い。
「古島さんは知らないでしょうけど、エルミアは超強いんですよ。大抵の輩は、エルミアが一発で片付けてくれます」
俺は信頼の篭った顔で言った。
「それは心強い。命まで奪うとなると、それはそれで恐怖心が湧くけども……」
「確かに」
そういえば、もしもエルミアが敵に回ったら、なんて考えたこともなかった。
エルミアと戦う……無理な話だ。
十中八九、負ける。ただ負けるのではない。骨まで焼き尽くされる。
そう考えると、怖い。エルミアが怖くてしょうがない。
でもエルミアなら敵になることはないと、そう信じられる。
好きな子くらい信じられる。
「対抗するわけじゃないですけど、コッチにも信頼できる人はいますよ」
「水沢さんでしょ」
「……え、あ、はい。そうです」
当てられたのが予想外、と言わんばかりの顔をされた。
水沢さん以外に誰が候補に挙がると思ってたんだこの人は。
俺の視点から見て、古島さんと一番関わりがあり、古島さんが一番信頼していそうな人物は彼しかいないんだから。
警察官ならそれくらい推察できろよ、と透弥に言うようなノリで口に出しそうになったが、ギリギリ抑えた。
危ない危ない。古島さんは本気にしそうなんだよ、こういうノリ。
「先輩なんでしたよね?」
「はい。付き合いは……今年で五年になりますね。良い先輩ですよ、彼は。本当に」
古島さんは自分でうんうんと首を動かしながら、先輩について語った。
「僕の知り合いの中では誰よりも正義感が強い。正義のためなら、どんな努力も惜しまない。……漫画のキャラみたいでしょう? でも実際に、彼は多くの実績を残しています」
古島さんの言っていることは、多分正しい。俺も水沢さんの言動は幾つも見て、聞いてきたが、確かに正義感の塊みたいな感じだった。熱血っぽいし。
警察官とか、そういった人の命を守る仕事に就く人の理想像だろう。
「警察官の鑑……ってヤツですね」
古島さんは「その通り!」と言って大きく頷いた。
その後、まだ語り足りないことがあったようで、再び口が開いた。
「それだけじゃありません。後輩を引っ張る先輩という面もあるんです。長くなるので話せませんが、先輩一級ですよ。一級!」
俺がエルミアを評価するときみたいだ。
それはつまり、彼の心は俺にも理解できるということ。
俺からエルミアへの感情。それはそのまま、古島さんから水沢さんへの感情だ。
あ、でもそうすると、恋心にもなっちゃうな。そうじゃない。
信頼とか、憧れとか、尊敬とか、そういう感情だ。
「なるほど」
理解されたのが嬉しかったのか、古島さんの体から震えが消えていた。
間もなく二人が帰ってきたので、俺達はささっと車に乗り込んだ。
*****
霊戯さんが運転席に、俺が助手席に座る。女子二人は後部座席に。
二台の車があるわけだが、繋がるように走ることはしない。
別々のルートで進むのだ。
何故なら、こちらの思惑が早々に露呈してしまう可能性があるからだ。
だから、古島さんと水沢さんには、ちょっと遠回りしてもらう。
俺達が先に到着し、二人が後に現れる。そういう演出が必要だ。
でないと、戦闘の準備が整う前に襲われてしまう。
俺は車に乗ると眠くなるタイプだが、今日ばかりはそうならなかった。
*****
森に到着した。
バッと飛び降り、石と枝が散らばった地面に着地する。
持ち物を確認しよう。
水よし。
パンよし。
鉄剣よし。
魔石付きの土剣よし。
盾よし。
取り敢えず、俺の荷物は問題ない。
他の三人も、同様に持ち物を確認した。
忘れ物や不備は無かった。
さて、ラメはまだ車中に留まっている。
姿を見られては不味いからだ。隠さなければ。
壁との隙間が狭い右側から出て、木々の間を縫うように進み、誰にも見えなさそうな位置へ。
ラメは事前に練習していたことを思い出し、その通りに行動した。
よし。
多分、ヴィランには見られていない。
純魔石を使用するという手もあったが、あれは対象者をしっかり決めないと使えない。ヴィランの居場所がわからない今では、使えないわけだ。
「泰斗君。エルミアちゃん。行くよ」
霊戯さんの指示が掛かる。
俺達は霊戯さんを先頭にして、僅かに舗装された道を歩いた。
*****
三分くらいだろうか。
ヴィランを探す目的で歩いていたら、斜め上から低い声が聞こえた。
「止まれ」
止まる。
声の方向に顔を向けると、そこにいたのはヴィランだった。
「三人……間違いありませんね」
ヴィランの姿が目の前にあり、ヴィランの声が耳の奥まで届いている。
俺は遂に戦いが目前に迫っていると実感した。
実感すると、すぐに体は震え出す。
なんだなんだ、エルミアを信頼するんじゃなかったのか。
いや、信頼はしている。信頼すらしていなかったらとっくの昔に逃亡しているさ。
信頼していても、怖いものは怖い。
やっぱり俺は、古島さんと同じらしい。
つい、土剣を握る手に力が入ってしまう。そんなに力を入れたって、大した攻撃はできないだろうに。
怖いからだろう。怖いから、手に力が入ってしまうんだ。本能的に、物を使って己を守ろうとしているんだ。
俺は震え上がる程焦っているのに、思考は冷静そのものだった。
冷静に物事を判断できる。そんな気がした。
待った。古島さんと水沢さんの登場を。
十分。
十分経つと、道の向こうに人影が現れた。二人分の人影だ。
「……来たようですね」
茶髪のスーツ男と青髪の男が、俺達の前に現れた。
計画はまた一歩、前に進んだのだった。
第76話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




