第59話 義務と正義
吉香さんの家が壊れてしまった。
不幸中の幸いか、吉香さんの愛する鳥の家具や装飾には傷一つ付いていない。もしかしたらこれが鳥の加護なのかも。
……なんて事を考えていても何も生まれない。
割れた窓ガラスはちりとりを使って一片残さず片付けた。
そして、簡易的ではあるが厚めのシートで大穴を塞いだ。
弁償……とはならないよな。
壊したのはエルミアでも、原因は違うし。
吉香さんはきっとエルミアに罪を被せる事はしないし、そう心配することはない。
それよりも何よりも、今最優先して計画したいのは、今後どうしていくかだ。
スパイの二人によって齎された新たな知識、情報を纏めよう。
まず一つ目、敵の組織……仮にXとしていた奴等の正体が判明した。
その組織の名は「望労済教団」。
よくある宗教団体みたいな名前だが、ありふれているそれとは大きく違う。
調べずとも、知っている。
奴等は異世界人をこの世界に召喚し、使役して活動している。勿論、この世界の人間も中にはいるが。
そして、エルミアの力を欲している。理由は単純明快、「強いから」。
そこから導き出されるのは奴等の目的。そのように力を欲しているのは、より強い力を必要とする目的があるからだ。それが何なのか、という具体的なところは分からない。
望労済教団については、警察と協力したりホームページを隅々まで調べたりすれば、解明に繋がる何かは見つかるだろう。
二つ目、ヴィランという奴について。
菅原さん、林さん、そしてエルミア。この三人の情報をパズルのように枠へ当て嵌めていくと、ヴィランという人間は自ずと見えてくる。
ヴィランはマンドラゴラの魔術師の血を継いでいる人間だ。何故なら、ヴィランにはマンドラゴラの魔術師と同じ、「宝能:樹王」の力があった。
人を自殺させる花を本部長よ手に生やし、四人を殺害。
その後用済みとなった仲間を、無情にも植物の化け物に変え、俺達に殺させた。
残酷非道な奴だ。イケメンなんだから、もっと善いことをすればモテるのに。もったいないなあ。
……ソイツの生き方なんてどうでもいいんだ。
ヴィランの能力というのは判った。
しかしそれだけだ。
それだけなのだ。
「霊戯さん……今後の方針とか、考えてるんですか?」
「いいや?」
「……」
霊戯さんはさも当然のように答えた。
一応期待していたんだけど。
俺が黙っていると、霊戯さんは全員に向けて話し出した。
「とにかく今は、『望労済教団』の調査を進めるしかありません。可能な範囲で、本部の方々にも協力をお願いしたいですし……」
「今日は解散、と」
「はい」
木坂さんは霊戯さんの思うところを言ってみせた。
「あの……」
古島さんはまるで陽キャに向かって「お化け屋敷に行くのは止めよう」と勇気を振り絞って言う時のように、手を小さく上げた。
彼は何かに対して恐怖や畏怖という感情を抱いている。
「霊戯さんや、朱海さんや、エルミアさんは、今日に至るまで……毎日のように、ああいった化け物と戦ってきたんですか?」
古島さんを中心に全てを打ち消す波動が広がったかのように、静まり返った。
俺は考える。
どう答えるべきかを。
俺達は確かに戦ってきた。
毎回毎回、あんな化け物が相手でないにしても、化け物みたいな強さの奴等と争ったのは事実だ。
そして、一昨日の捜査会議の時はそれを隠した。
俺達が人を殺す勢いで、なんなら殺して、ここまで来たという事を。
まあ、隠したのは仕方がなかったからだ。
もしもあそこで、「僕達は迫る敵を殺してこの事件や敵対組織について解明しています」なんて堂々と白状したなら、警視庁中が大騒ぎしたことだろう。
で、今。
秘密も罪も、さらけ出すべきなのか。
俺は迷っている。
この質問の意味と目的を考えてみよう。
そうだ、これは確認かもしれない。
聞かずともその事実は知っているか、分かっていて、その上で、確認している。
俺は正直、古島さんはそんな事をする人ではないと思う。
しかし。一人一人の性格や性質をよく知らない今でも、この人はきっとこの質問を「確認」という作業に変換しているだろうという人がいる。
紅宮さんだ。
霊戯さんにまで疑いの目を向けていた人だ。
それも、俺やエルミアという彼が信用できる人間がいるのに。
あの人なら勘か頭脳で、俺達が敵をバッチリ殺している事を見抜いている。
そう確信できる。
じゃあもう意味がない。
彼等の前で戦い慣れているような動作をした時点で、俺達が秘密を隠し通せる方法は、残っていない。
ここで「はい」、「いいえ」、「そればかりか殺しています」の三つの中のどの選択肢を選んでも、結果は一つの道に集約される。
「その通りです」
霊戯さんは言った。
俺が必死に考えた刹那を無にするように。
「どうやって?」
吉香さんは話を途切れさせんとばかりに聞いてきた。
「どうやってって……言われましても」
俺は答え方の判らない問いに戸惑った。
だってそうじゃないか。
「どうやって」と言われて「こうやって」で説明する事はできない。
殺したよ、としか言えない。
「僕達で殺しました」
霊戯さんははっきりとそう言った。
変に濁す事もしない、清々しい様だった。
「……です」
俺は霊戯さんが言うのならと、自分の言いたい事は彼の通りだと表した。
そこで前に出てきたのが、白河さんと浦田さんだった。
「殺したんですか!? 人を!?」
変異した人間が目の前で焼かれたのを見ておいて、今更だ。
そんなに声を張って驚く事でもない。
……と、俺は思うんだけど。
それで静かになりはしない。
「いくら何でも、それは……許しがたい」
浦田さんは言った。
まあ、そうだよな。
彼等は警察。
違法を取り締まる職に就いている者だ。
そんなに怒っておいて死刑囚は殺すんだろ、とか難癖をつけたくなるが、抑える。
彼等はどんな理由でも人殺しを肯定する気にはならないだろう。一般人だって大多数はそういう意見なんだから、それが警察となったら相当だ。
「たとえば、望労済教団の者が向かって来たら殺すんだろう? それは認められない、そして許せない」
白河さんはそう言うと、鬼気迫った顔で霊戯さんの肩に手を乗せようとする。
が、それを水沢さんが片手で引き戻した。
「落ち着くんだ」
彼は芯の通った声でクールに言い、白河さんと、隣の浦田さんも押さえた。
あの様子じゃ二人が何らかの理由で暴れだしたとしても、動く事はできないだろう。
「先輩っ、僕も!」
古島さんは後ろから白川さんの右腕を掴み、押さえた。
吉香さんは一言も発さず、浦田さんの左腕を掴み、押さえた。
「白河さん、浦田さん。一度気を鎮めてください」
木坂さんは一歩退いて指示し、三人は押さえていた手を離した。
「何故ですか……? 私達は警察です。どうして鎮まる必要がありますか」
「同じ仲間ではありますが、そう簡単に許せる行為ではないですよ。殺しというのは」
そうだな。俺も許してはいないさ。
考えがそっち方向に切り替わったから。
どっかのうるさいやつのお陰で。
でも、だからといって、白河さんや浦田さんが俺達を許せるかというとそうではない。
俺達が自分を許していないからオッケー!
……なんて事にはならない。
じゃあ何だ、ここで対立するのか?
折角一つのチームとして固まってきた気がしていたのに、幾つかの意見で分裂してしまうなんて……嫌だ。
「お二人の意見もよく理解できます。殺しなんて、僕達としても褒められた事ではないと承知の上で行っています」
「承知しているなら何故!」
白河さんが餌を食うように声を上げても、霊戯さんの声のトーンは変わらず、態度は一直線であり続けた。
何故、人を殺してまで戦うのか。
俺からしたら取り消されてしまった約束のためでもあるが、俺達五人に共通した考えはきっとこれだろう。
「「生きるため」」
俺とエルミアの言葉は、重なった。
しかし、エルミアの方は俺に勝る程堂々としていた。
「生きるため……!?」
そうだ、生きたいから戦う。
勿論生きるためなら、例えば邪魔な奴がいたら殺して良いとか……そういうんじゃない。
大多数の目が悪者だと判別するであろう者に命を脅かされるなら、殺してやろうということだ。
その時だった。
水沢さんが白河さんの肩に大きな手をポンと置き、白河さんと浦田さんを順に見た。
「大目に見るのはどうだ?」
「「できません」」
二人は即答した。
「気持ちは……分からなくはない。しかし、二人のソレは"義務"だ」
「義務……」
「"義務"と"正義"は大きく違う。義務は信念、倫理、価値観、そして互いの関係の中にある立場、それぞれが組み合わさり、社会全体に作用しているもの。に対し、正義は……信念や倫理、価値観が個人に作用しているものだ」
頭が痛くなるような言葉の隊列が形成されたが、水沢さんの言っている事は解る。
つまり警察など、立場的な考えに基づいたものが義務。
そして、俺達のように「生きるため」、「悪を成敗するため」という意志を持ち、その過程で人を殺す事も厭わない。それが正義だ。
「義務を尊重する者と正義を尊重する者がいれば、争いが生まれるのは当然のことだ」
水沢さんは続けて言った。
しかし白河さんはそれで黙りはしなかった。
彼は自分の思いを否定するように論ずる水沢さんを見据え、言い返す。
「違う…………あなたは間違っていますよ、水沢さん。法を犯す行為を咎めるのも……正義! 決して義務ではありません」
「白河さんに賛同します。人を殺してまで生を追求するのが正義として認められるのなら、人を殺す事を咎めるのも正義として認められるのが、公平な評価です」
二人はまだまだ、反論する余力を残しているように見えた。
だが、二人は、水沢さんが何故、義務と正義という論ずるのも難しい言葉を出してきたのかを理解していない。
ずっと黙視に徹していた紅宮さんさはこの状況を見兼ねたのか、横から物申した。
「いいえ、あなた方のソレは正義とは呼ばれません。ソレは義務であり、義務感からの行動です」
「は……?」
「よく頭を回せば、否が応でも受け入れられてしまう論理ですよ、これは」
紅宮さんは煽るように自分の頭を指でトントンと叩いた。
「要は、真の意味で"正義"を心に宿した者であれば、"義務"によって行動を制限される事はないという事です」
「……どういう意味です?」
「今私の言ったことを逆転させれば解る筈ですよ。……義務によって行動を制限されていては、正義として賞賛されることは成し遂げられないのです」
紅宮さんが淡々と、それでいて抑揚のある喋りでそれを言うと、白河さんと浦田さんはハッと何かに気付いたように目を開いた。
「人殺しをどうしてもよく思えないのは仕方のない事だと、私自身も感じています。しかし、こちらが相応の対応を取らなければ勝てない敵がいる以上、義務は捨て、正義の限りを尽くさねばならないのです」
彼は鋭い目で、俺達にそれを示した。
第59話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




