第57話 変異
俺の演技力が試されるな。今朝のは目も当てられない程だったけど、俺は学んだ。今日こそは有名俳優並の演技を見せてやる。
「俺が買ってきますよ! ほら、エルミアも一緒に……ああついでですから、菅原さんと林さんも!」
声に抑揚を付けたつもりだったが、どうだろうか。今夜まで生きていたら、霊戯さんに感想を貰おう。
エルミアは俺が言った明らかに不自然な誘いに席を立った。
対して前の二人は俺に従わない。
「いいからいいから!」
流石にこれは無理があるか。
俺はそう思い失敗の道を見たが、引き下がらずに、骨折の所為でまだ少し痛む右手で林さんの腕を引っ張った。
ここで殴り蹴り爆発するような戦闘になっては吉香さんが可哀想だ。それに、広い家とはいえ戦うには不十分。何とかして家の外へ出さなければ。
林さんの目を見る。その瞳が、俺の頬目掛けて熱い矢を撃った。
来る、何かが!
俺は未だ習得していない守りの体勢に切り替えようとしたが、それを妨げる魔の手が、林さんに出していた俺の腕を掴んだ。
地味に強い。大人の握力ってこんな感じなのか。
ガタガタと椅子を揺らして俺に危害を加えようとする林さんの姿に、菅原さんを除く他の皆んなが戦闘態勢に入った。
だが他を凌駕する速さで俺に飛んでくる林さんの右の拳は、誰も防げない。
俺は足元に自分の鞄があるのに気付いた。あの中には剣が入っているから盾のようにして使えなくはない。
動かせる左手で全身を床に引き寄せ、届く位置に到達したらすぐに鞄を掴んだ。
これを顔が腹の辺りでキープすれば、体を守れる!
腕を振ってバッグを移動させたと同時に真上を見ると、彼の拳はすぐそこまで迫ってきていた。
「ヤバっ……ぐはっ!」
急いで相手の攻撃に合わせるも、本来のダメージの八割くらいは俺に入った。
腹を中心に、痛みが円状の波として伝わる。
訓練でもされてんのか? 結構強い。
恐ろしい程に強張った顔面が、俺の視界を暗くする。
このままじゃ二発目が来る!
両手が押さえられてて……守れない!
包帯をする箇所が二つになる事を覚悟した俺だったが、それは杞憂だった。
何故なら、ここにはエルミアという心強い味方が居るからだ。仲違いしていても、俺を助ける事は怠らないらしい。
俺と林さんさんとの僅かな隙間にエルミアの足が入り込み、林さんの頭を天井に届く勢いで吹っ飛ばした。
華麗な一撃が決まったところで、エルミアは俺を飛び越えた。一瞬の隙も与えるつもりはないんだな。
エルミアが今日この日、スカートだったら……なんて考えてられない。
欲を出すくらいなら手を動かすんだ。
右手はダウンしてるが、左手ならまだ動かせる。
俺が体を起こすと、左では水沢さんが菅原さんを押さえ込んでおり、右ではエルミアが林さんを押さえ込んでいた。
エルミアの強さは誰もが理解しているが、水沢さんにあれ程のパワーがあったとは。
大きな背中がそれを俺に教えている。
菅原さんなんて全く歯が立ってないじゃないか。
「どうする!? このまま拘束するのか!?」
エルミアの魔法を食らったかのように、水沢さんが熱を飛ばした。
名字に「水」って付いてるくせに、涼しさも冷たさも感じられない人だ。
しかしどうするんだ……ここから。
予定と違う展開になってしまった。
「泰斗君! 大丈夫!?」
古島さんが俺に近付いてきて、俺の肩を支えてくれた。
「はい……何とか」
よく考えてみれば、負傷しているのは俺だけなのか。
真っ先に助けようとするのも当たり前だ。
「……神様……!」
モゾモゾと、押さえ付けられながらも抵抗する林さんがそう言った。
「何……言ってるんですか!」
エルミアは若干の怒りを見せながら、林さんを黙らせるように言った。
「……二人共、離れて! 離れてください!」
霊戯さんは後ろの方で叫んだ。
何がそうさせたんだ? 「神様」か?
相手は望労済教団。神的な存在を信仰しているんだと思う。なら、そういうところを意味する単語が出てくるのは疑問になり得ないが。
それが何か危険なんだろうか。
「何故離れる必要がある!? 少しでも力を弱めれば……」
二人はどこから湧いてきているのか判らない力で相手を床に貼り付けたまま。霊戯さんに従うつもりはなさそうだ。
「もう……次から次へと、どうしてこんな……」
古島さんは愚痴のように言った。
それはエルミアに効きそうで怖い。
しかし、これはかなりの危機だ。
水沢さんもエルミアも、あそこから離れようとしない。
嫌な予感がする。
取り押さえられたり拘束されたり。そんな事態は想定内である筈だ、敵は。
何の用意もしないままここにやって来るわけはなく、きっとこれから反撃してくる。
あそこの二人はそれを理解しているんだろうか。理解した上で、ああしているのか。
「エルミア! 水沢さん! 早く離れて!」
俺は骨を震わせて言った。
遅かった。
仰向け状態の二人は、吹っ切れたような顔面を俺達に向け、言った。
「離れる暇はないさ……ヴィラン様の呪いは今、発動する……!」
「ああ、そうだ! 神に報いるために!」
直後、二人の目が赤色に光った。
その光は何かの警告か。
嫌な予感メーターが限界突破した。
「くっ!」
エルミアは林さんの顔面を踏み付け、窓の方へ飛び退いた。
俺が踏まれた頭を見た時、エルミアも同じようにそこを見た。
そんな俺達の視点はそこに固定された。
林さんの首から、太い根のようなものが伸びていたのだ。
写真に写っていた花の茎の何倍も太い、大きな植物が、成人男性の大きな体をあっという間に覆ってしまった。
それは菅原さんも同じ。
だが勇敢なことに、水沢さんは根を避けるだけでその場から動かない。
「何だっ……これは! 木か!?」
「木……?」
水沢さんのように至近距離で見ても、俺のように少し遠くから見ても、変わり果てた男の姿は「木」に酷似したものであるという感想を持つ。
それがヴィランという奴の呪いだ。
エルミアの話にあった「マンドラゴラの魔術師」の仕業であることは確定した。
目と口の部分だけ空洞になっていて、目からは赤い光が出ている。
人型の謎の生物だ。菅原さんや林さんの面影は全くない。
後方で吃驚の声が茂る。
「ひっ……怪物!」
古島さんは彼等を「怪物」と呼んだ。
俺は怪物というよりゾンビのように感じる。
我を忘れたのかグラグラと揺れ動く体があったからだ。
自我を持っていない……のか?
人語を喋りそうな雰囲気がなければ、意思疎通を図るのも不可能そうだ。
林さんだったものはエルミアの方へその腕を伸ばす。
「エルミアっ! 危ない!」
俺に言われずともエルミアは目の前の生物の動きに気付き、いつものように手を使って魔法を出そうとした。
が、敵の動きは予想以上に速かった。
エルミアが魔法を出すまでのほんの僅かな時間で、エルミアを壁に叩き付ける程に。
このままでは、エルミアでも負けるかもしれない!
俺は腹の上のバッグを左手で掴み、中から剣を取り出した。
右手の骨折が悪化しそうな気もするけど……いけるか?
それとも左手で……。
猶予していられない。
この際、魔石で焼いてしまえばいい。
「今助けるぞ、エルミア」
俺は足を床に着け、エルミアを助けるべく立ち上がった。
その間にも、エルミアはもう一度殴られ、その衝撃で窓を割った。
ガシャンという耳障りな音が部屋に響く。
俺が剣先を林さんだったものに向けた時、水沢さんの声が俺を突いた。
「ぐあっ!」
水沢さんは流石に力負けしたか、菅原さんだったものに押し倒されてしまった。
背中を床に打ち付けた水沢さんの下に浦田さんと木坂さんが駆け付ける。
「くそっ、こっちもか!」
俺は菅原さんだったものとの攻防を余儀なくされた。
これじゃあエルミアを助けられない。
俺が剣を横にして太い腕を押さえていると、エルミアは遂に外へ投げ出された。
「……エルミア!」
俺は彼女の名前を呼ぶだけで、そこに行くことはできない。
ギリ、ギリと圧力が俺の方に傾いてきた。
「負けるか……お前なんかに!」
思い出せ、べべスとの戦いを!
俺の剣に嵌ってるのは火の魔石だ。
相手が木なら、相性は良い筈!
俺は魔石に意識を集中させ、炎を出した。
熱で相手の力が少し弱まったその瞬間を狙って、斬!
ソイツの両手がスパッと切れた。
俺は一つ、不思議なものを見た。
ソイツの断面。肉が無い。服も。
俺は菅原さんや林さんが、この根に取り込まれて意識を奪われたんだと思っていたのに。
ソイツは本当の意味で、菅原さんではなくなっていた。完全に別の生物だった。
「泰斗君、危ない!」
霊戯さんは再び叫んだ。
「えっ」
俺は声を飲んだ。
俺の足元に根が伸びていたんだ。
ヤバい……刺される! 掴まれる!
瞬間、俺の左足はその根に絡め取られた。
俺はそのままヨーヨーみたいに扱われ、窓の外へ放り出された。
高い。二メートルはあるぞ、この高さ。
落ちる! また骨が折れる!
しかし俺の目線の先にはエルミアがいた。
「エルミ――
俺は為す術なく、もう片方の化け物と交戦中のエルミアにぶつかった。
「あっ!」
人と、それもこの速度でぶつかるのはかなり痛い。
俺はその痛みから解放されないまま、アスファルトの地面に転がった。
「ぐ……俺は今、どこに……」
顔を上げ、そこにいたのは……化け物!
ソイツは今正に、俺を殺そうとしていた。
振り上げられた手には、鋭い爪がある。
さっきはあんなの無かったぞ。
殺される。
そう確信した時だ。
ソイツが倒れた。
その背中には、無数の黒い痕。
……と思ったら、今度はその頭がボオッと音を立てて燃えた。
エルミアが助けてくれたんだ。また。
向こうにエルミアがいる。やってくれた。
しかし、まだ戦いは終わっていない。
もう一匹が、エルミアの背後から彼女を襲おうとしている。
「……あ、エルミア、後ろだ!」
俺の言葉で彼女が気付いたのか、ソイツは返り討ちに遭った。
燃え上がり、タックルを食らったように吹っ飛ばされた。
「あぶねぇ……死ぬとこだった」
俺はまた、エルミアに助けられた。
何回目だろう。後で数えようか。
しかも、その殆どが命に関わるような事なんだから、エルミアは感謝してもし切れない存在だ。
なのに、エルミアは俯いていた。
危機を脱した喜びも、俺という一人の人間を助けられた喜びも、彼女から感じられない。
それよりも、何かへの悲しみが溢れている。
「……ほら、エルミア……お前、また助けてくれたな」
「えっ……?」
エルミアは呆気に取られたような声を出し、顔を上げた。
これできっと、分かってくれた。
自分がどれだけ他人を助けているのか。
悩んでいる中でそれを実感したなら、あれだけ意固地になっていたエルミアでも気持ちが和らぐ。
俺はエルミアに笑いかけた。
第57話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




