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第53話 月の裏側

 エルミア。


 エルミア。


 エルミア。


 彼女の影は、どんどん小さくなっていく。

 俺は呆然として、手と腕に残るエルミアの血を目で辿った。


「泰斗早く来い……って、手怪我してんのかよ」


 透弥はいつの間にか俺の目の前に居て、血で汚れた俺の手を気にしている。

 傷口は無いが、これじゃあ怪我していると思われても仕方ない。


「ああ、泰斗君は怪我してないの。私が板が割れてるのに気付かずに触っちゃって、泰斗君は手当てしようとしてくれてたんだよ」


「そういうことか。おい、お前手当てとかできんのか?」


「……できない」


 俺は底まで落ちたテンションで答えた。

 何があってこんなに落ち込んでいるんだと、透弥は不思議に思っていることだろう。


「余りの下手さに絶望したらしいな。見栄張って手当てとかやろうとすんなよ」


「……ああ。ごめんな」


 俺はマントルに招かれたように重たくなった腰を上げ、その拍子に思わず……という風を装いながら上目遣いでエルミアの顔を覗いた。

 エルミアは傷を透弥に見せ付けて笑っているが、目の黒い所で時々俺の方を確かめている。


「羽馬にいは大丈夫だって流すだろうけどよ、お前は一応追われてる身なんだからな?」


「わ……分かってるよ。でも、昼間に見付けた猫が気になってさ……」


「猫の命より自分の命だろ。……おい、泰斗は聞いてんのか?」


「あっ! ……ああ、聞いてるよ。悪かった」


 透弥の説教もその八割程が耳の入り口で弾かれ、彼に返す謝罪も取って付けたように適当なものしか考え出せなかった。


 右手が包帯で白くなり、左手がエルミアの血で赤くなり。

 見事紅白になった手をフラフラと、胴体の揺れにされるがままに動かして歩く。

 俺は少し前を歩く透弥とエルミアの姿を、夜空の星を観測するように瞳孔を大きくして眺めていた。



*****



 俺とエルミアは血で汚れた手を清潔にし、エルミアだけは絆創膏を貼った。


 そして今から、今日二度目の会議が始まる。

 何を話し合うのか、それは明白だ。

 明日の捜査本部の集まりの際、俺達がどう行動するか。それしかない。

 自分達の正体が敵に認知されてしまったという中々の事態は、スパイの二人も緑髪の男もとっくに把握している筈。

 魔法も武器も使えない一般人の前で暴走、などという最悪な作戦を実行されては、もし勝利しても勝利した感じがしない。

 できるだけ穏便に、少ない被害で事が済む工夫が必要だ。


「もう全員に連絡し終わったんですか?」


「うん」


 俺はエルミアとの関係不良問題を抱えたままだが、彼女の気持ちを汲み取って霊戯さん達には伝わらないよう、普段と変わらない態度を取っている。今の小さな問答もそうだ。


「何回こんなことすりゃ良いんだよ?」


 透弥は堅苦しい話し合いの繰り返しにうんざりしているらしい。


「何回……って、望労済教団ってのを打ちのめしてエルミアを異世界に帰すまでだろ」


 エルミアを異世界に帰す……。

 そうだ、エルミアは今のに何か反応を……。


 俺がそう思ってエルミアに一瞥した時、彼女の視線は関係のない所に向けられていた。

 一秒前がどうだったか、確認のためのリプレイなんて不可能だ。

 なのに、不思議にもエルミアが俺から目を逸らす映像が浮かんでしまった。


 私は平気、なんて文句は通らないからな。


「教団の力も未知数だし……頑張らないとね」


 霊戯さんはマウスのホイールを下に向かって何度も撫でてから言った。


「……そろそろ始めましょう、羽馬兄さん」


「ハイ。……今日皆んなで意見を出し合いたいのは、『明日どうやって菅原さんと林さんを捕らえるのか』」


 下げに下げたスクロールバーを一気にてっぺんまで持っていったであろう爽快なマウス操作だ。多分、パソコン使わないのに。


「その『捕らえる』っていうのは逮捕、みたいなことですか?」


「逮捕は無理だろ。ソイツらが今まで何して来たか、調べる方法なんてねーだろうし」


「そうですね。あの意地が悪くてどんな手法も取るような組織なんですから、不法な行為の跡なんて残らないでしょう」


 法律的に裁くのは難しいのか。

 流石に考えが甘過ぎた。


「相手が相手でも、法律を考えると逮捕も監禁もできませんね……。昨日の事件の時も二人を取り締まれる何かは無さそうでしたし」


 俺が避けられた辺りから心配していたが、口は開けるようで良かった。


 ……ただ、法律を考えると……とか今更な気もする。

 俺達は過去に何人も……いや、だからって法を犯さずに処理できるものをそうしてしまうのは駄目か。


「それに、だよ。仮に上手く手を回して二人を捕まえられても、結果的に失敗する可能性が高い。既に正体がばれてるのを分かってるなら、爆弾の一つや二つは持たせるだろうから」


「確かに。下手したら死人が沢山出るかもしれないのか……」


 俯き、テーブルの木目を目に焼き付ける。


 打つ手無し、ではない。

 何とかして人目の付かない場所に誘い込み、殺す。

 俺が考えられた策はこれだ。

 勿論、安全なやり方ではない。だが、エルミアの力があれば大失敗はしないだろう。


 その時、ガタッとテーブルが揺れて木目の残像が視界の中で蠢いた。

 テーブルに与えられた振動を奪うように手を着けたのは、エルミアだ。


「私がやります!」


 彼女はそう宣言した。

 その宣言の意味するところは全員が理解している。


「やる気?」


「当然です。……私がやらなくて、誰がやるんですか」


 霊戯さんの問いにも強気に答えた。

 エルミア自身の覚悟とか、そんな次元を超えているように思える。


 勇ましいエルミアの顔。

 いつもなら素直にカッコいいと思っただろうが、今の俺は純粋で真っ直ぐな眼差しを彼女に向けられない。

 辛いんじゃないのか、表に出さない心の中では。


「……エルミアさん以外を理由を付けて近付けさせなければ、他の人に危険が及ばないまま存分に戦えます。……でも」


 咲喜さんは何か言おうとしたが、一度エルミアを見た後に口を閉じた。


「私は平気です」


 やっぱりそれだ。俺は予言者か?

 確かにエルミアの力は、俺達が何体も分身を作ろうと届かない程に大きい。

 でも、だからってエルミアを一人にさせたくない。少なくとも俺はそうだ。


「だったら俺も一緒にやる。流石のエルミアでも、一人じゃ危険だ。アイツらに俺達を殺せない理由があるとかって話があったけど、何かしてくるかもしれない。お前の魔法だって……対策されてるかもしれないだろ!」


「……泰斗君はああ言ってますけど、泰斗君が同行したところで危険に晒される人数が増えてしまうだけですよ。……霊戯さん、許可を」


 そんな。

 エルミア、お前はそんなに冷たいやつだったか? ……違うよな。

 俺の所為だって言うのかよ。


「俺はエルミアに賛成だな。泰斗、お前がいたって足手纏いなだけだぞ」


 透弥は平常運転で、透弥らしく愚痴じみた言い方で俺の協力を否定した。

 エルミアより透弥の方が安心すると思ったのは恐らくこれが初めてだ。


「透弥、もっと優しい言い方は無かったの?」


「ねー」


「……そう」


 咲喜さんは呆れたようで、乾いた息を小さく吐いた。

 何故だろう、やっぱり透弥のこのムカつく態度に寄り掛かりたくなる。


「……羽馬兄さんどうします? 私は泰斗さんの意見を尊重しても良いと思っていますけど」


「……ほら! 霊戯さんが同意してくれるなら多数決で勝ちますよ! …………お願いします」


 俺は勝気に、且つ切実に願った。


「ま、そう言うとは思ったよ。だから簡単な流れも考えてる。……エルミアちゃん、透弥、了承してやってほしい」


 良かった、霊戯さんが分かってくれて。

 俺は胸を撫で下ろし、安堵の呼吸をした。


「そーかよ。……まあ好きにやりゃあ良いんじゃねぇの」


 透弥は不満なのかそうじゃないのか判らない物言いで了承し、腕を組んだ。


「……エルミア、お願いだ」


「…………分かりました」


 いつにも増して意地を張るエルミアも、これには意気消沈するしかなかったらしい。

 エルミアは柔らかい瞼を震わせながら椅子に座った。


「……決まりだね。……じゃあこうしよう。明日は菅原さんと林さんを除いた九人と、僕たち三人だけ早い時間に集合。そこで軽く打ち合わせをした後に、吉香さんの家で諸々の報告や『異世界』についての詳しい話をする。良い感じのタイミングで泰斗君とエルミアちゃんと菅原さんと林さんの四人を外に出す。僕と他の皆んなは見える位置で何かあった時にアクションを起こす」


 おお、もうそこまで考えたのか。


「僕らを殺せない理由があるんだとしても、使い物にならない人を二人も抱えてるなら、無理矢理襲って来たりするかもしれない。二人共、注意するようにね」


 話し合いは終わった。


 俺はエルミアに危険が及ばないような意見を出した筈だったが、終わってみるとエルミアの意思を踏み躙ったようでしょうがなかった。

 いつもはそんな風に憂鬱を感じたりなどしないのに。


 俺とエルミアは、結局布団に入るまで一回も会話をしなかった。


「…………はぁ……」


 肌を優しく包んでくれる掛け布団が邪魔だ。

 手荒く包めて壁に叩き付けてやりたいくらいにはそう思っている。


 エルミアが遠い。

 寝ている二人を跨いでエルミアを覗くのも憚られて近付けない。


 夕方のあれ。あれはエルミアの本音なのだろう。誰にも明かさなかった本音だ。


 自分が役立たずで、それどころか他人を問題に巻き込んで不幸にする人間だと。エルミアは自分をそう見ているんだ。

 自己嫌悪も甚だしい。自分の良い面を探す気はないのか。……いや、なれないのか。


 確かにエルミアは時折悲しげな表情を見せていた。エルミアの代わりに俺が捜査本部の会議に参加すると決定した時なんかがそうだ。

 俺はそれを、ちょっとしたものとしか考えなかった。

 だから俺は、エルミアが強くて賢くてカッコいいやつだと信じて疑わなかった。今までで一度も、その印象が揺らぐことは無かった。


 俺は優しくしているようで、彼女の内なる負の感情を押し戻していただけ。

 しかもソイツは元気で甲斐性があってエルミアの全てを理解している彼氏気取りときてる。


 嫌だよな、それは。


 俺が救う。エルミアに「自分は駄目な人間じゃない。皆んなを助けている」って気付かせてやる。

 彼氏気取りしたいなら、それくらいやって当然だ。


 青白い光が窓から差し込む。

 その光が当たったのは、俺とエルミアが指を交わした所。二人で並んで夜を眺めたんだ、あそこで。


 エルミア。


「……おい」


 エルミア。


「……おい」


 エルミア。


「……おい、聞いてんのか」


「……え?」


 エルミアを見詰めようとする俺の視線の先に居たのは透弥だった。


「何さっきからジロジロと見てやがんだ、お前は。用があるならさっさと言えよ」


 そうだな。体をしっかり起こさずに右を向いたら透弥にそう思われるよな。


「用なんてねーよ」


 俺はそう答えた。だが、それで満足する透弥じゃない。


「用がないなら何で俺を見てんだよ。はっきりしろ」


「そもそもお前を見てねーの」


「はぁ? じゃあ何を見てるってんだよ?」


 透弥は不機嫌そうだ。眠いところをガン見で目覚めさせられたからだろう。


 どう答えれば納得してもらえるんだ?

 取り敢えず、俺より右にあるものじゃないといけない。


「…………そうだな。……月……?」


 いつの間にか、俺はそう答えていた。

 第53話を読んでいただき、ありがとうございました!

 次回もお楽しみに!

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