第52話 揺らぎ
昨日から全員の行動を操ってましたって?
本気で言ってるのか?
会議での演説も、捜査本部のメンバーの離脱も、スパイの参入も、本部長殺害も、十二人への依頼も、その結果も、スパイの処理も、全部霊戯さんの計画通りだったっていうのか?
俺は身震いしてしまった。
この人が……霊戯さんがもしも敵だったならヤバかったな、という風に。
ん? 俺はいつから彼が味方だと確信していたんだ?
この人の頭脳なら、俺達を嵌めていても何も不思議じゃない。
それなのに何故?
『……あの人は信用できないのですよ』
紅宮さんのあの言葉。
昨日は彼がおかしいと思っていたのに、今は忠告のように感じてしまう。
「分かってくれた? 明日は僕たちが奮闘する日になるよ」
現在の状況は、俺達が有利。
だからってそんな笑顔を見せるのか。
眉間を圧するでもなく、自分の計画を根本から引っくり返されるような事態を恐れて唸るわけでもなく、そんな笑顔を。
――信じて良いんだよな?
自問自答する。
その問いは彼を信じるか信じないか、ではなく、信じたい自分が正しいのか正しくないのかというものだ。
――信じて良い。信じるべきだ。
これは俺の答えだ。霊戯さんが俺の思考に入り込んでなどいない。
俺は信じる。自分の意思で。
*****
あの後、心身共に疲れが溜まった状態で授業を受け、やっと帰宅したと思ったら同居人が揃いに揃って神妙な面をしていたという同情に値する体験をした透弥に、今までのことを全て教えた。
「……んん、大体分かったよ」
胡座と腕組みの姿勢で座したまま俺の説明を聞き続けた透弥は、イマイチ理解していなさそうだ。
「明日は捜査本部の会議があるからさ。そこでまた仕掛ける気みたいだぜ、霊戯さんは。透弥も協力しろよ」
透弥と同じく胡座をかいている俺は、自分の両膝を上からパンと引っ叩いてみせた。
「あのなぁ。俺も姉ちゃんも、お前らみてーに暇じゃないんだぞ? 生きるためには戦わなくちゃならねぇって俺も思ってるけど、少しは課題に追われる奴の気を知れ」
透弥はムカムカした空気を放ちながら言い、さっき机の横に放り投げられた鞄を雑に持ち上げ、中身をゴソゴソと弄り出した。
俺とは縁のない教科書やノートが次々と飛び出し、透弥は数学の教科書とノートを広げた。
「……ごめんなさい。私も透弥も、明日は難しそうなんです」
咲喜さんは、彼女は流石に着いてくるだろうと思っていた俺をいとも容易く裏切った。
高校に大学か。
俺には「勉強は大変なんだろうなと思いました」という感想しか書けそうにない。
後ろめたさを感じつつも、俺は霊戯さんとエルミアの居る一階へ戻った。
「二人、明日は無理らしいですよ」
右側の壁に手を添えながら階段を下り、霊戯さんに二人の様子を伝えた。
「しょうがないよ」
霊戯さんは一言感想を述べ、スマホをポチポチと叩いた。
また電話か。きっと九人と明日の計画を練るんだ。尤も、その99%を考えるのは霊戯さんだけど。
霊戯さんは椅子を引き、耳にスマホを当てながらトイレに入った。
こうして俺とエルミアは、同じ部屋に取り残された。
エルミアは、五人で暮らすことが決定したことで霊戯さんの部屋からリビングへ運ばれたテレビを観ている。
夕方のニュース番組だ。女性アナウンサーが色々紹介している。
次代の女王様はやっぱり、政治とか報道とかに興味があるんだろうか。
でも今のエルミアは違いそうだ。
彼女が観ているそれは、音楽程度にしかなっていない。
それが何故判るのか、それはエルミアの横顔だ。
砂嵐の画面を眺めていても、あんなに無機質な瞳にはならない。
つまらなそうで、悲しそうだ。
「エルミア……どうしたんだ? なんかー悩みでもあんのか?」
俺はエルミアの隣に座り、軽い口調で彼女に話し掛けた。
もしかしたら悩み事があるのかもしれない。
こういう優しさは大切だ。
「……別にどうもしない。悩み……強いて言うなら、ニュースの文字が読めないってことくらいかな」
エルミアは苦笑いして言った。
俺は彼女にそんな答えをされたから、強く迫ってしまった。
「文字なんて今度俺が教えてやるよ。俺が言ってるのはもっと辛い悩みだ」
ズイっと顔を近付ける。
エルミアは急に迫った俺に向かって困った表情を見せたが、それを隠すように下を向いた。
「どうして悩みがあるって思ったの?」
「お前が悲しそうな顔をしてたからだ」
「そんなに悲しそうだった? それだけ?」
「……それだけ。……ただ、ほら。もしそれで抱えてるものがあったら、早い段階で助けた方が良いだろ?」
俺は最もらしい理由を突き付け、取り合おうとしないエルミアを納得させた。
「……ここで話すのは、ちょっと……。皆んなに聞かれたくないから」
エルミアが俺を見てくれた。
だけど、そうか……誰の目も届かない場所か。
霊戯さんはまだトイレから出てこないし、通話を邪魔する事もしたくない。
……知らす事もなく外出してもし心配されても適当に返事をしておけばいいや。
「近くに公園あるよな? この時間じゃちびっ子も帰ってるだろうし、そこ行こう」
エルミアと目を合わせづらかった。折角重なった目を、俺はすぐに離してしまった。
気まずい。俺の背中にくっ付くようにして歩くエルミアも、似た様子だ。
女性アナウンサーの平坦な声質が、何とも話しづらい雰囲気を助長させている。
外はオレンジで、人気がない。
夏の夕方はこんなに閑散とした世界だったかと、俺はそう思いながら公園まで歩いた。
地面と靴底が擦れたことによる乾いた音が秒針の役割を果たす。
それで止まっているように思えた時が、やっぱり刻み動いていると理解した。
公園の入り口にある磨き上げられた石造りの看板が、いつにも増して存在感を出している。
存在感といっても、横柄な態度は感じられない。
色とりどりの草木の中に独り佇むそれは、一種の劣等感を抱いている。
……何考えてんだ俺。
俺の好きな人は、綺麗な石じゃなくて傍らの美少女だ。
石がどうとか、今心を配る意味はないだろうに。
「やっぱ誰も居ないな。これじゃあ逆に目立ちそうだ」
「うん。……ベンチに座ろう?」
「ああ」
俺達は入り口から見て最奥にある木のベンチに座った。
座った所がギシッと軋む。結構昔に作られたやつなのか。
「……で、悩みは何なんだ? わざわざこんなとこにまで来たんだから、ちっぽけなのだと許さねーぞ」
俺は膝の上で指を弄くり回しながら、物悲しい雰囲気を打ち壊すように尋ねた。
指を動かしたくなるのは、この雰囲気が居心地の悪いものだからだ。
エルミアは親切にもリラックスできる形に作られたベンチには寄り掛からず、背筋を少し丸めた状態でいる。
どんな重い悩みが打ち明けられるのか、俺は覚悟した。
「……泰斗君はさ」
泰斗君は?
「私のこと、好き?」
……何だそれ、恋愛相談か?
まさか告白なんてことはないよな。
じゃあ何なんだそれは、俺の何を知る気だ?
「好き……って、どういう意味だ? 恋愛的なやつか? それとも、友達的な仲間的な、か?」
「どっちだっていいの。……ねぇ、どうなの? 私のこと、好き?」
駄目だ。俺が主人公のノベルゲームには「はい」か「いいえ」の選択肢しか用意されていないらしい。
どっちだっていいなら、俺がどっちの意味で告白しても大丈夫だよな?
俺は躊躇した。
誰だって緊張するよな?
好きな人に「好き」って言うのは。
エルミアが不安げに眉と口を歪ませる。
そんなに心配か? 俺の返答が。
「お……俺は、好きだ。エルミアのことが……好きだ」
自分の顔が夕焼けの空に負ける赤さであることを祈りつつ、俺は彼女にそう告げた。
俺が告白すれば少しはその不安な表情を和らげてあげられるかと思っての決断は、本当に意味があったのだろうか。
だって、エルミアの表情には何の変化も見られない。
「本当に?」
「え?」
「……本当に、好きなの?」
何度も聞くなよ。
「好きだって言ってるだろっ。本当だ!」
俺は何を言わされてるんだ。
唐突にラブコメ系ドラマの撮影が始まるドッキリじゃないだろうな?
「嘘」
「……は?」
「嘘でしょ」
エルミアは木々の間の陰を見詰め、そんなことを言い出した。
「何で……嘘だって思うんだよ……」
お悩み相談だよな? これは。
元々そうだった筈だ。
この間は何だ?
「お荷物で役立たずで他人を巻き込む……そんな人のことが、好きなわけない」
エルミアは自虐の言葉をこれでもかと並べていき、また下を向いた。
「……さっきから何言ってんのか判んねぇよ!」
エルミアは声を発さない。
「変な質問をし出したと思ったら、急に自分を卑下して! 何なんだよ……お前のどこに、お荷物で役立たずで他人を巻き込む要素があるっていうんだ! ……大体、いつからそんなこと思ってたんだよ!?」
俺はそんな風に声を荒らげながら、右手で背もたれを押さえてエルミアに顔を近付けた。
ベンチが余計に軋む。もう壊れてしまえ。
「ずっと前から。…………ずっとずっと前。……でも、ここ最近で加速した」
顔を覗くのは……流石に嫌がられるか。
「……だって、そうでしょ? 何の関係もなかった泰斗君を巻き込んで、霊戯さんも咲喜さんも透弥も、他の色んな人達も巻き込んで。皆んな皆んな、私と出会わなければ……もっともっと幸せな人生を送れてた。……なのに、私が皆んなの人生を……ぐしゃぐしゃにした」
俺が食い込む隙が無い。間が空いたと思ったら、その瞬間に語りが再開される。
エルミアはまるで台本を最終ページまで暗記したかのように、滑らかに語っていく。
「頭が悪いから使えない。多少戦闘ができるかと思えば、大事な場面で生き急いで考えようともしない」
「……そ――
「そんなことある!! 私がしっかりしていれば、泰斗君のお母さんは死なずに済んだ! 警察の人達だって、私が冷静な判断をしていれば助かった! 本部長さんだってそう……私にもっと能力があったら、仕込まれた"何か"に気付けた! 皆んなそうなの。私の所為なの。巻き込むだけ巻き込んで、後始末はしない! 今生きている人達だって、きっと皆んな悲しみや苦しみを抱えてる。『あの人には生きていてほしかった』って、『人を殺したくなかった』ってそう思ってる! それに……それにそれにそれに!」
ポタポタ、ポタポタとエルミアの目から涙が零れ落ちる。
既に夕日でオレンジ色になった地面に涙が染みて、より一層濃くなる。
俺まで泣きたくなる言葉だ。
そんなことないって言ってやりたいのに、ここまで押されるのは何故なんだ。
「泰斗君はこの事知らないよね、話したことないもの。こっちに来る前、異世界で。……あの時も、私が頑張れば……こんな後悔に苛まれる事だって、彼女が延々と苦しみ続ける事だって……無かったのに!!!」
様々な感情で濁った声が、俺の奥の奥まで伝わってくる。
エルミアのこんな姿を見た経験は今までに一度もない。
夜に約束を交わしたあの日だって、ここまで苦痛に満ちたエルミアじゃなかった。
エルミア……何でそんな考えに至ってしまうんだ。
お前は確かに、関係のない人を巻き込んだのかもしれない。
でもその分だけ、守ってるだろ。助けてるだろ。
それを考えろよ、思い出せよ。
「エルミア!!」
「うるさい!!」
――バキッ。
エルミアが右手でベンチを殴った。
座ったまま背もたれを殴っても力はそれ程入らない筈なのに、板が割れた。
見ると、そこには赤い血が付着している。
「……エルミア」
俺は割れた板の棘が刺さったのだと察して、すぐにエルミアの右手を握った。
小指から流れ出た血が、エルミアの手首から俺の手に乗ってきた。血は流れ続け、俺の肘に到達した。後は地面に落ちるだけだ。
「……ほら。……やっぱりそうじゃない。泰斗君は私のことを心配してくれるのに、私は泰斗君の心配をしない。こんな人のこと、嫌いに決まってるよね」
エルミアはそう言い放ち、俺の手を腕の動きによって生み出された勢いで払った。
俺の手はエルミアが痛くないようにと弱い力で彼女の手を握っていたから、簡単に払われてしまった。
「おいお前ら! 何やってんだ!」
透弥が俺達を呼びながら向かって来ている。
「……でも私、頑張るよ」
「……エルミア」
「ここでの話は全部忘れて。……今日はもう、話したくない」
エルミアは火属性魔法を器用に使い、涙を一瞬で乾かした。
「透弥ごめーん! 今行く!」
俺だけが、ベンチに取り残された。
第52話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




