第49話 確実にやって来る魔
ここに来て時間も経ったし、中を歩くくらいじゃソワソワしなくなった。
果たしてそれは良いことなのか悪いことなのか。
初対面の人に「僕は警視庁の中を歩くことに慣れているんです」と自分をアピールするように言ったら、きっと少し引かれるだろう。
俺の容姿は警察関係者って感じもしないし、尚更だ。
「二人共、おま……」
霊戯さんが一人の警官と話している。紅宮さんと同じくさっきの会議にいた人だったから、重要な事を相談したりしているんだと察した。
「……なので白河さん。十二人分の経歴と、あれば所属団体の調査をお願いします」
「了解しました」
十二人分の経歴と所属団体の調査だって?
霊戯さんが自分で一人一人に聞いていけば良いものを。
だけどその頼みは受け入れられたらしく、白河さんは俺の横を通過した。
「……泰斗さん、何してたんです?」
「紅宮さんに呼び止められちゃいまして……まあ大した用事じゃなかったですよ。『これから宜しく』みたいな。…………霊戯さんは、何であんな事を頼んでたんですか?」
「ん? ああ……白河さんのね。全員に同じことを頼もうと思ってるんだ。彼は一人目。……理由は後々解るよ」
霊戯さん、そういう大事なことの詳細を伝えるのを後回しにする癖が付いてるんじゃ?
早い内に教えて何か不都合があるのか?
「えー、今教えてくださいよ」
「うーん、今教えてもねぇ。収穫無しに終わるかもしれないからさ……」
裏でコソコソされると、俺が困る。
……とはいえ、ここで言うのは不味いのか。
「分かりましたよ、後で時が来たら教えてもらいます」
「うん。助かるよ」
霊戯さんはカメラのシャッターみたいに瞼を下ろして誤魔化すのだった。
「それで、本部長に用があるっていうのは?」
「あちらで待ってもらっています」
咲喜さんが手で示した方を見ると、建物の外に本部長が立っていた。外で待たせるとはなんと無礼な……と、無礼な俺は思った。
「待たせてしまって申し訳ありません」
「いえ、夏日の陽は心地好いので、待った気になっておりませんよ」
また崩れたな、この方は。
「それは結構なことです。……では、早速なんですがお話を」
俺は一歩下がった。
邪魔しちゃ悪いという気持ちがあるからだ。
俺としては、会話内容が聞こえるならどこだって構わない。
「……本部長のご自宅に警護の者を着かせたいのです」
「……っ。私が狙われる対象であると?」
「率直に申し上げますと……その問いに対する私の答えは、イエスです」
促音でしか表現できない声が本部長の喉から発射される。最早それは声でもないのかもしれない。
驚き、不安、恐怖。……これが本部長の感情だろう。
その感情が出てくるのに霊戯さんの話を信じているかは関係しない。今までに警官が大量に殺されたのは脚色されていない事実だからだ。
「警備員を要請することは可能です。……何人程度配置すべきか、貴方の意見をお聞かせいただけますか?」
「……そうですね、三人かもしくは四人。そしてそれは、捜査が大きく進展するまで続行すべきでしょう」
「霊戯さんはその程度で効果があるとお思いなのですか? これまでに殺害された人数を、貴方もよく存じている筈……ああ、いえ……貴方の意見を否定するつもりはありません」
取り乱した、のか? どのくらいからそう言われるのか分からない。
ただ、俺は本部長と同意見だ。異能力や異世界の武器を持っていない人間なら、警察でも機動部隊でも皆同じ。三人でも四人でも、奴等の前では塵も同然だ。
本部長も「異世界」や「魔法」を完全に信じないまでも、それを理解している。だから霊戯さんの提案に反対してしまった。
「……ご安心下さい。我々には頼もしい仲間がいるのです。……それが異世界人。貴方の身に危険が降り掛かれば、すぐに飛んできますから」
本部長は苦虫を噛み潰したような表情だ。
でも霊戯さんだってこれ以上彼を安心させることは言えない。
どうか耐えて下さい、俺もエルミアお手製の剣で戦いますから。
霊戯さんは本部長に少し近付いた。
「……なので、くれぐれも自死の道を選ばぬように……。他人の人生を左右するつもりは毛頭ありませんが、これだけは守っていただきたいのです」
これまた随分とストレートな表現。それじゃあ「本部長は帰宅した直後に自殺すると思っています」と言っているのとほぼ変わらないじゃないか。
だが……だが、俺もそう思いつつある。思い返すのは会議の時間。部屋から出ていく人達を目で追っていたのも、自分がそうしたかったからで……急に話し方が崩れた気がしたのも、恐怖が膨らんだから。そう捉えられてしまう。
「……私も重々承知しております。その行為がどれだけ愚かで、迷惑なことであるのかを……」
本部長がその時残した言葉。実に悲しそうな目を見せた彼の言った、その言葉。
俺はその言葉を頭の中で反芻しながら、車に乗り込んで去る本部長を見ていた。
……言うべきなのか、あのことを。本部長は自分でも考えていそうだけど、霊戯さんは全く知らないわけで。
紅宮さんの証言は、霊戯さんに伝えるべきなのか……どうなんだろ。
紅宮さんからは霊戯さんに言うなと、そう言われている。
俺は約束事に関しては人一倍素直だと思っている。だからその素直さを破壊したくない。
……でも……言わないと。破らないと。
何かあってからでは遅い。
紅宮さんとの約束その二、彼の目の届かない所での本部長の安全は、俺が守る。
……それなら、何したって俺の自由だ。他の人に協力してもらおうと。
「霊戯さん!」
「うえっ、どうしたの?」
「どうしたんです? 急に大きな声を出して」
一車線しかない高速道路に乗った気分だ。
「実は――
*****
俺は紅宮さんから聞いた話を、加工無しのそのままで霊戯さんと咲喜さんに話した。
こんな所で話していいのか、という不安はあったけど、車の走行音で大分掻き消されているだろう。
「成程ね。まあ、僕には判断できないな。エルミアちゃんに聞いてみないと」
「そうですね……透弥、電話出ますかね」
二人は冷静だった。一秒にも満たない接触でどうこうなるとは、二人も本気で思ってはいないんだろう。俺もそうだから。
――プルルルル。
まだ土の中で眠っているセミが仲間の声だと勘違いして出てきそうな音が鳴る。電話の音がセミと似ているな、と感じるのは、俺が夏の始まりを実感している証拠だ。
「あ、もしもし透弥? ……応答ボタン押したばかりで申し訳ないけど……エルミアさんに代わってもらえる?」
どうせ透弥は課題に追われてるんだろう。そんな中で唐突に姉からの着信があり、一体何の用事だろうとスマホを耳に近付けたらその瞬間に自分は用済みとなったんだから……透弥の気持ちは分かりたくない程分かる。
「……はい、じゃあ……」
咲喜さんは一旦耳からスマホを遠ざけた。
「今から本部長さんに会いに行くことはできますか?」
「電話一本入れれば、多分」
「大丈夫だそうです。……はい、なのでここの近くの喫茶店にでも……」
咲喜さんは警視庁から徒歩十分の場所にある喫茶店の場所だけ透弥に伝え、通話を切った。
数分前に別れたばかりの人と、もう一度待ち合わせだって? 面倒ったらありゃしないが、まあそんな文句は言ってられないよな。
*****
都会なだけあって、その喫茶店の店内は華やかな装飾ばかり。
そんな中にいる華やかじゃない俺は、カップの取っ手に指を掛けていっちょまえにカフェオレを嗜んでいる。
「……カフェオレうま……」
俺は喉を下っていくカフェオレには微塵も配慮せず、呟きにしかならない味の感想を声帯の部分から上らせた。
「遅いですね……」
咲喜さんは俺の隣で窓の外を見ながら、透弥への愚痴とも取れる一言を口にした。
確かに、家から距離があるにしても到着が遅過ぎる気もする。どこか行きの快速に乗って最寄り駅を通り過ぎたりしてないだろうな。
もう本部長さんと合流していて、後はあの二人だけなのに。
「……あ、来ました」
咲喜さんが来たと言うので俺も二人の姿を見ようと思ったが、目の前の咲喜さんの体で窓の外は見えなかった。
しかし、直後に店の入り口が開いた。
「やっと来たのか……」
「ごめんなさい、反対行きの電車に乗ってしまって……」
「まあ……一駅目で気付いて降りたけどな」
エルミアは普通に謝る感じで、透弥はエルミアの様子をチラチラと確認しながら、何がどうなっていたか説明している。
「私は違うんじゃないかと言ったんですけど、透弥がこっちで合ってると言い続けるから折り合わなくて……」
で、透弥の意見に合わせたら乗り間違えしてたってのか。
こいつは今日の夜にでも、咲喜さんが入ってる風呂に押し込もう。殴られ蹴られでエルミアを苦しませた代償には良い。
「ちょ、言うな! ……って……」
ここが内輪だけの集まる場所じゃないと意識したらしく、透弥は声量ダウンした。
ホント何なんだこいつは。
その後二人にも飲食を楽しむ時間は与えようとテレパシーの如く合致した意見を持った俺達は、二十分くらい待った。
散々待たされて、更に待つのか……という俺の思いは、俺の左隣にエルミアが座った事により消滅した。両手に花とはこのことだ。
*****
俺達はその後本部長の家に向かった。喫茶店だと誰かに聞かれている可能性があるからだ。
ここだって本部長が四六時中尾行されていたりでもしたら危険だけど……街中の店よりはマシだって判断なんだな。
「それでは本題に入らせていただきます」
本題の前には何も無かった。
「姉ちゃん、電話で言ってたことはもう伝えてあるのか?」
「あるよ」
本部長さん自身も打つかられ案件は多少なり気に掛けていたようで、霊戯さんが呼び出しの時にその事を伝えても態度は余り変わっていなかった。
「本部長、この子が会議の中でちらりと言った『異世界人』です」
「エルミア・エルーシャです」
エルミア、一礼。王族らしい気品というのを久々に感じた気がする。……いや普段からエルミアは行儀が良かったりするんだけど、それとこれはちょっと違う。
「エルミアちゃん、本部長さんの手に何か掛かってないか確認できたりする?」
「そうですね……ある程度でしたら」
ということで、エルミアによる検査がスタートした。
エルミアの手から赤い魔法陣が現れるもんだから、本部長は開いた口が塞がらない様子。彼がもう三十年くらい歳を取っていたら仰天したままショック死していたかもしれない。
「エルミア、それは?」
「拡大魔法」
拡大魔法。多分、顕微鏡、剣と魔法の世界バージョン……ってとこだろう。倍率は知らないし、小さな魔法陣を覗いてみても、そこには魔法陣しかない。エルミアにしか見えない仕組みになっているわけだ。
「どう? エルミアちゃん。何かわかりそうかな?」
「……極限まで拡大したんですが……これといって不思議な物は見当たりません」
エルミアが手を本部長の手から遠ざけると、魔法陣はパッと消えて無くなった。
「呪いとか、そんなのはないのか?」
「判らない……」
エルミアの力ではこれが限界らしい。
「……これ以上は調べられませんが……貴方の家に罠を仕掛ける事ならできます」
罠も魔法で作れるのか。
「罠……っていうのは具体的にどんなもの?」
「この敷地全域に炎の陣を伏せておくんです。外敵がその陣を踏んだ瞬間に、魔法が発動します」
エルミアは罠の説明をざっとした後、部屋の中心に移動した。
そして広げた手の平を床に向け、理解不能な呪文を唱え始めた。
「……本部長、これでお分かりいただけたことでしょう」
「……ええ」
色々と理解が追い付かないようで、本部長は吐息と変わらない返事しかしなかった。
エルミアの足元に魔法陣が出現し、呪文による力でそれは段々と巨大化していく。
エルミアが呪文を唱える口を止めた時には、魔法陣は部屋に収まっていなかった。
軈て魔法陣は消えた。丸見えの罠じゃ、掛かる奴は一人もいないしな。
「罠を仕掛けたは良いですけど、敵は越えてくる可能性もありますよね? 何か他に対策はないのでしょうか」
咲喜さんが全体に問うた。
罠一つで沈黙する程敵も弱くないと、俺も思っている。
「じゃあ、僕らは彼の家に行こうか」
霊戯さんが窓の方を向いたから、俺も同じようにする。
自分の視線を霊戯さんの視線に重ねて見てみると、そこにはマンションがあった。
「霊戯さん、あそこには誰が住んでいるんですか?」
「古島さん」
霊戯さんの答えは、それだった。
第49話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




