第44話 罪人
「じゃあ、警察の捜査の方針とか……話そうか」
霊戯さんはそう言って静かに椅子を引いた。
俺達が座っている中、一人だけ立って話し続けたからだろうか。少し疲れているように見える。後は、眠気もあるみたい。
彼がこんなに疲れを溜め込んでいるのも、警察と協力していた影響だ。
多分、それは単に探偵だからという理由で済まされない。一連の事件全てに関与している人として扱われている……と、思う。
その点でいえば俺もエルミアも、透弥も咲喜さんだって同じだ。でもそこは、霊戯さんが代表として出ているんだな。
とはいえ、解決するまで警察がその程度の対応とは思えない。
……どうしよう。俺、警察の人に詰め寄られたりすんのかな。
……そうだよな。一応、俺は母親を殺された被害者なわけだし。事件の現場にも居たし。
警察、という人を裁く事に加担する仕事をしている人達。それはそうでない人からすれば自分達を守ってくれる存在だが、同時に恐れる存在でもある。
目の前で下手なことはできないと、そういう圧が掛かる。学校の教師よりも圧力は大きいように思える。
避けられるなら、避けたい。関わる事は不可避なのに、どうにかならないかなーと、腑抜けた思いの芽が育っていってしまう。
「話して大丈夫なんですか?」
「いいでしょ。……ま、当事者だし」
気楽な返事だった。
警察内部の話なんて口外しちゃあ駄目そうな気もするけど、当事者となれば流石に話は別ってことか。
それに、きっと俺達に話す事は伝えているだろう。この人達は関係者なので……って具合に。
「でも霊戯さん。警察の捜査って言っても、この世界の人間じゃなければDNA鑑定的なので特定もできないし、法律的にも捕まえる事はできないんじゃないですか?」
「……確かに?」
俺がまあまあ重大な事に気付いた直後、エルミアは小声で言っていた。
外国籍の人でも、日本の中で犯罪をしたら日本の法律で裁かれる。
治外法権が撤廃された歴史は、勉強を疎かにしている俺でも知っている。常識って感じ。
しかし、それが世界ごと違うなら?
勿論、日本や諸外国は異世界と繋がっていて何か条約を結んでいる……なんて事実はない。
それを、法律で裁く事ができるのか?
逮捕できるのか?
そんな疑問が頭の中を埋め尽くす。
「だね。少なくとも、そこいらの罪人みたいな扱いはできない。ひょっとしたら、逮捕とかそういうのは叶わないのかもね」
霊戯さんも、俺の疑問を解消できる程の知識を持っていなかったよう。
前例なんてあるわけがないんだから、それも当然のことだ。
「羽馬にいもそんな言い方するってことは、警察には言ってないのか?」
「言ってないよ。異世界のことも、エルミアちゃんのことだって」
異世界については警察関係者に明かしていないと、ここで明らかになった。
もし言っていたなら今頃エルミアは記者の波に呑まれているだろうし、察しは付いていた。
しかし、いつか……近い日に、それを明かす必要が出てくるだろう。その時は極小数に限ってそうするのか……そこは霊戯さんに委ねる。
俺が想像するような最悪な事になってほしくはないけど、彼も考えてくれている筈。信じよう。
「……とは言ったものの、やっぱりそれは打ち明ける必要がある。Xについても……兎に角僕たちの持つ情報は全て」
「警察もそれぞれの事件に関連性があるとは考えているでしょうが、今のところ証言しているのは羽馬兄さんただ一人。世界すら跨いでしまう事とはいえ……いや、だからこそより深甚に熟慮してもらうには、羽馬兄さんの言う通り……情報を与えるべきです」
霊戯さんとは違う、芯に堅い何かが通っている咲喜さんの言葉。それは内側から喉を刺してきて、唾と共に飲み込む事を俺に強制させた。
俺だって、警察という強い組織が見方に付く事は嬉しい。心強い。
それでも異世界やエルミアのことを全て話してしまうのは、怖い。
警察だけに伝えるといっても、いきなりそんな非現実的な話を信じてもらえるか判らない。
信じてもらえたとして、その時エルミアの身に何が起こるか。彼女が酷い目に遭ってしまわないか……と、心配が胸を侵す。
そんな程度で済むという前提での心配を凌駕してしまうような未来だって、簡単に予測できる。
俺は「他言無用」が必ず守られるものじゃないと思っている。
もしも、どこかから情報が漏れたら。大混乱を招くかもしれないし、エルミアがより大きな危険に晒されるかもしれない。
情報……特に、異世界などという不信や興味を招くもの。それを一部とはいえ明かすという事は、それだけのリスクがある。恐怖感が、付き纏う。
「本当に……やるんですか?」
痛んだ喉の奥から声を引っ張り上げる。
最後の確認だ。
「やる。……でも安心して。エルミアちゃんに危険が及ぶようなことは、絶対させない」
俺やエルミアの心情を理解してか、霊戯さんは強固な約束を表すように縦にした手を前に出した。
「何か考えがあるんですか?」
「ある」
自信に満ち溢れた声での肯定。安心感が漂ってくる。
「警察は今、現場の物的証拠とか目撃人物とかそういうのを探してる。後は既にある物から組織を特定しようとしてたり。それじゃ埒が明かないからさ、僕が思い切って言ったんだ。『この事件は特異で、非現実的な問題が絡んでいます』ってね」
右手で掴んでいるマーカーのキャップ部分を左手にグリグリと擦り付けながら、霊戯さんはそう言った。軽い痕が付きそうだ。
もう伝えてしまったなら、後には引けない。
霊戯さんの言葉から感じていた妙な自信は、自分の考えていることを行動に起こせば上手くいくという思いだけのものじゃなく、ここまで来たらやるしかない、という覚悟もあると分かった。
それはこの際もう仕方のない事として。大事なのは、詳細をどう伝えるか。
事件を扱っているんだから、警察も不確かな話は簡単に信用できない。それこそ、証拠が必要だ。言葉だけじゃない、目に映せる物が。
証拠を見せるとなったときに一番手っ取り早いのは、エルミアが会議の場所に赴いて実際に魔法で火を出してみせる事。
でもそれだと、俺が認められない。他の誰が認めようと。
エルミアの安全が確保されないやり方は、絶対に却下する。
「明後日、僕と咲喜と泰斗君の三人で警視庁に行く。証拠としてエルミアちゃんを撮影して、その動画を持ってさ」
え……。
「けっ……警視庁!?」
嘘だろ、俺警視庁行くの?
警視庁って東京にあるバカデカいあれ?
エルミアを連れて行かず、代わりとして俺が行く。それは良い考えだと思う。
……でも、ねぇ。警視庁か……。
「俺無事帰って来れますか、そんなとこに行って!」
「落ち着いて落ち着いて。そんな怖い所じゃないから」
慣れていそうな霊戯さんじゃ、説得力に欠ける。何度も足を運んでいれば、そういう意識も掠れていくだろう。
俺はこれが初めてだ。事件とか法律とか、関わったことが一度もない。そんな俺が恐怖と緊張を感じずに、警視庁をズカズカと歩けるわけないだろ。絶対に。
タイムリミットは明後日までの二日間。その内に心の準備をしなければ。
祭りの大太鼓みたいに揺れ、震える心を静めなければ。俺はそのように意識的に呼吸を繰り返し、できる所まで気持ちを落ち着かせた。
「泰斗君、嫌ならいいんだよ? 私の心配なんてしなくても」
「…………いいや、俺ならやれる。警察の人達にバッチリ伝えてきてやるぜ」
俺は心臓を掴むようなイメージで胸の前にグーを置き、エルミアに約束した。
そうだ、俺ならやれる。エルミアのためならちょっとの恐怖に負けたりはしない。
どうせ、ほんの数時間で終わるんだ。
滅茶苦茶重く考えていた事も、過ぎたら意外とあっさりしていた、なんて経験は今までに何度もある。
「大丈夫そうですね」
「うん。良かった、良かった」
咲喜さんは……落ち着いてるんだな。
彼女の探偵歴が何年か知らないし、他にどんな経験をして来たのかもそんなに知らないが、その落ち着き度からして過去にも似た体験をしていそうだ。
「……なぁ、その決定は何も否定しないけどよ」
透弥が突然、口を開いた。
また文句か……と思ったが、それともまた違うらしい。
ただ、その声は暗かった。いつものこと、で頭から放り投げられる程度でもない。かなり真剣そうだ。
「警察と協力して、それで何とかなる問題なのかよ?」
「それは……どういう?」
俺は思わず、彼に尋ねてしまった。呆気に取られた表情だっただろう。
透弥の目から閃光が放たれる。そして、俺に当たる。ビクッと震える。
その瞬間、部屋全体が灰色に変色していくように感じられた。昼間なのに暗い。
この空気の中で、もう今のような態度は取ってはいけないと本能的に感じ取った。
「泰斗。お前もしかして分かってないのか? 警察っていうデカい名前に気を取られて、それで大事なことを忘れてんじゃねぇよ」
俺以外は全員分かっている。そう捉えられる言葉だ。
見ると、皆んなの目は光を失った鉱物のようだった。俺がそう感じているだけかもしれないが。……いや、そうだ。そうに違いない。
無機質に感じられる一瞬があったが、皆んなは確かに生きている。生きている目だ。
「……分かってねぇのはお前だけだ。別にこんなこと言わなくても良いと思ってたけどよ……まさか、お前がそうとはな」
えっ。というリアクションを飲み込む。
「警察がマジになって動いたところで、何になるよ。人間離れしたアイツらに対抗できると思うのか? 俺は思わねぇ」
「そうか…………そうだな。確かにお前の言ってることは分かるが、これまでより状況はマシになるだろ? きっとやれ――
「俺はそんなことを言ってんじゃねぇよ!!」
手をあちこちに広げて話す二人だったが、透弥はその手をドンとテーブルに叩き付けた。
突然の一喝に、俺は面食らって黙り込んだ。
「俺が言いたいのはな……これからも戦わなきゃいけねぇってことなんだ。これまでよりマシになるとは思うが……警察が立ち向かって勝てる相手じゃねぇのは、お前の身に染み付いてるくらい分かり切ったことだろ」
「あ……ああ」
透弥の言っていることに間違いはない。間違いはない……けど、そんなことで怒り過ぎじゃないのか。
「さっきっから羽馬にいが言ってた話は、全部表向きの計画。表に出さない俺達の計画では、これからも戦い続けて…………人を殺さなきゃならねぇんだ!」
透弥は怒り、嘆くように語り続ける。
……そうか。成程。俺は軽く錯覚を起こしていたわけだ。
警察と協力するって話は、端から端まで人殺しの事実を表に出さないための計画。その計画自体にも意味はあるが、真に大切なのは敵と戦う中で情報を得る事。
俺達は戦い続けなければいけない。
俺にもやっと理解できた。いや、理解はしていたんだ。ただ、それが心から抜け落ちていただけ。
「やっと分かったみたいだな。……さあ、ここからは全員に向けて言うぞ」
全員に? 何を?
俺の脳内が反映されたように、全員が一斉に予想外といった顔をする。
「"人殺し"」
透弥はたった一つの言葉を重く重く言った。
その言葉の意味だけが頭に流れるのが普通だが、それ以上の何かが強く頭を押した。
「アイツらと戦う上じゃ避けて通れないからこそ、俺に……自分の考えを言わせてほしい」
「いいよ、透弥」
頼む透弥にオーケーを出す霊戯さん。
その二人のキャッチボールだけの数秒間すら長く感じた。
透弥は立ち上がり、腰で椅子を後ろに跳ね除けた。
次に右足を高く上げ、テーブルに土踏まずを強く貼り付けた。その振動が、テーブルから床へ……床から椅子へと伝わり、最後に俺へ辿り着く。
そして、曲がった右膝の上に右腕を置いた。
「人殺しってのはな! 善でも! 偽善でも! 悪でも……全て同じ! どんな理由が背景にあってもな……人の命を奪ったら、必ず誰かに睨まれる。……そして、それを咎める権利はソイツにねぇ。人を殺したら、その時点でソイツは罪人になるんだよ!! ……人を殺すって……そういうことだろ……!」
第44話を読んでいただき、ありがとうございました!
最近バトルが全然無くて申し訳ないです。話し合いが続くのはイマイチ面白さを感じないかもしれませんが、次回を楽しみにしていてほしいです!




